Gargoyle 11


 身動きさえままならぬ男の目はただ一心に目の前の青年にあてられている。
 


 これがあのフランツ・ハイネルだろうか?
 甘いダークブラウンの髪をカチリと立ち上げ、深く澄んだ緑の瞳を銀縁の眼鏡で隠し、一部の隙もなく着込んだスーツで鎧っていたあの青年なのだろうか?
 男は初めて青年に会った時のことを鮮明に覚えていた。


『これはビジネスです。手短に済ませましょう』


 深い色をした緑の瞳はちらとも感情の揺らぎを見せなかった。ずれてもいない眼鏡を神経質に押し上げながら告げられた端的な言葉。
 彼が発する冷たく理知的な声の響きには、知性と自信の影にある種の傲慢さが見え隠れしていた。若く、美しく、地位も名誉も生まれながらにして持つ者ゆえの無垢で無邪気な傲慢。
 持たざる者が自分の言動にどんな思いを抱くかなど想像さえ出来ないに違いない。・・・憧憬と反発、相反する想いを同じ対象に抱くことが容易にあり得るのだということを。


 ヨーロッパ随一と目される服飾メーカーの総帥。
 男は特に容色に優れているわけではない。かつてあった若さは掌中の砂のように容赦なく零れ落ち、だが彼には金と権力があった。若さや美貌を持つ者が、金や権力を持つ者に報酬を与えられる代わりに体を投げ出す。当然の取引である。男は自分の持つ金や力で、若さと美しさを持つ者からいっときそれを奪う。互いに納得づくであるならば誰に非難される謂れはないと、少なくとも男自身は信じていた。

 だが、フランツ・ハイネルは男が持たぬものを持ち、なおかつ男が持つものをも既に有している。

 男は金と権力で若く美しい者の肉体を奪う。では、若く美しく、だが金も力も兼ね備えた者はどうやって奪えばいいのだろうか。人は、手に届かぬと知れば更に憧憬をかきたてられる愚かな生き物だ。



『まず今期の経営計画からご説明します。前四半期の経常利益からご覧下さい』



 まるであらかじめ設定されたプログラムを起動しているかのような淀みなさでフランツ・ハイネルは続けた。スポンサードを取り付けるためとは言え、彼の態度には少しも臆したところや卑屈さが見受けられなかった。それはそうだろう。彼には十分な後ろ盾があり、実力があり、自信がある。スポンサー契約など彼にとっては数ある日常業務の一つに過ぎず、男が首を縦に振ることは当然の事項として組み入れられているに違いない。万一そうならなかったとしても、また別の企業を相手に同じことをするだけだ。彼の才能や知性は彼一人のものだが、彼の要求を満たせる会社などいくらでもある。


 フランツ・ハイネル。才気煥発な英才。清廉で冷徹な容姿と声を持ち、自信に満ちているが故に傲慢だがそれさえも征服欲を呼び起こす。氷のような怜悧な瞳と近づく者を拒絶する峻厳な大気を身に纏う青年。

 彼は持たざる者の昏く深い欲望と感情を掻き立てずにはいられない
 

 その潔癖で澄ました仮面を剥ぎ取り、白い肌を暴き、冷たい体の奥に熱い情欲を注ぎ込んで、声が枯れるまでなき求めさせたいと願わずにはいられない。それは彼が、フランツ・ハイネルという青年が、浅ましく淫らな欲望とは対極にある清新で冷徹な精神を連想させるからである。彼の潔癖な横顔は、肉の欲の呪縛から解き放たれているかのように見える。



 
 それが今はどうだ?






「は、・・・」


 零れ落ちたのは苦しげな甘い声だった。
 白い体がうねり、その動きに合わせて濃密な大気もまたかき乱された。

 髪は汗に濡れ、乱れて落ち、白く滑らかな肌は汗にぬめって紅潮している。もはや潤んだ緑の瞳から理性の光は薄らぎ、代わりに驚くほど淫蕩な影が時折その目によぎっていた。
 赤く染まった唇からは、熱い吐息がひっきりなしに零れ落ちている。 

 白いシャツに包まれた白い体。背後から伸びた日に焼けて色を変えた逞しい腕がそのシャツの合間に忍び込み、白い体に影のように張り付き、蠢いている。与えられる刺激に胸の尖りが立ち上がり、薄いシャツを押し上げているのがはっきりと分かった。

 男の節太い指が作為的な動きで薄い布の向こうの肌を愛撫する様は、直接目に出来ないが故にかえって官能を刺激する。
 背後から伸びた男の手。右手は胸を這い回り、片手は太股の内側に滑り込んで際どい部分に刺激を与えた。とたんに男の手にかけられたハイネルの指に力が込められる。


「くっ、・・・」


 けれど、彼はまだ陥落してはいない。時折体を蛇のようにしならせ、甘やかに眉根を寄せてみせるが、それでも唇を噛み、シーツを指できつく掴んで理性を呼び戻そうとしている。苦しげに零れ落ちた詰めた声は、体の内側から喰い尽くそうとする快楽の波にさらわれそうになる自らを律するためのものだ。 だが、理性と情欲のせめぎ合いの間(あわい)のふとした折りに、男を誘うあらゆる手管を知り尽くした淫婦のような淫蕩さがその緑の目にゆらゆらと沸き浮かび上がるのだった。



「あっ・・・は、離・・・・」

「・・・、・・・」


 背後から滑らかな足の付け根を探っていた指を一度ひき、男はハイネルの耳元に口を寄せ、何か囁きを注ぎ込んだ。その内容まではベッドに横たわる男には届かなかったが、彼の声が淡い笑みを含んでいる気配だけは伝わった。
 柔らかな愛撫のように耳元で囁かれた言葉に、ハイネルが激しく反応して自分を捕らえる男と向き合うために振り向きかけたが、男の動きの方が早くそれを封じた。


「な・・・・っ!」


 一度ひいていった指が、今度はハイネルの背後から足の奥に忍んでいった。敏感な胸の頂の感触を楽しんでいた左手はシャツから引き抜かれており、ハイネルの左肩から回され、彼が逃げられないように右の肩口をしっかりと押さえ込んでいる。


「あっ!」


 高い声をあげて、ハイネルの上半身から一気に力が抜け落ちた。だが、背後から肩を押さえ込むことで男が彼の崩れ落ちた体を支えている。
 

「あ、あ、・・・あ!」


 ますますきつく眉が寄せられ、何かに耐えるような悩ましさでハイネルが身悶えている。肩を押さえ込まれているせいで動きを封じられている彼がわずかに身悶えるたびに、薄いシャツが揺れて白い足の付け根に影が躍った。



 これは誰だ?




 ひらめく白いシャツ。
 ・・・・その奥、見えぬところから何か粘着質なものを掻き回しているかのような音が漏れている。男の腕から、忍ばされた指がゆっくりと上下の動きを加えていることが分かった。


「あ、あ、っ」


 男が背後からハイネルの首筋に甘く噛み付く。離れ際にその唇は再びハイネルの耳元へと言葉を落としていった。今度は明瞭に聞き取れる声量だった。



「ハイネル、もう二本入ってるぜ」

「っ、」



 まるで体を抱くかのように肩に回された男の腕にハイネルの手がかけられたが、力の入らないその腕では抑止力などあろうはずもない。逃れようとわずかに体をひねるその動きが、かえって男の指を迎え入れようとしているかにさえ見える。男は巧みに腕一本で彼の体を操り、既に精を注ぎ込まれて濡れそぼっている場所を穿つ指に合わせて動きを加えた。淫らな音に聴覚が犯されていく。






『あ、ああ・・・・』


 獣のような掠れたうめき声はベッドに横たわった男のものだった。肩の傷からの出血は止まり、その辺りを濡らしていた血も乾き始めている。
 意識は泥のように澱んでいた。
 酒と血のせいで体は石のように重く、まるで見えぬ枷を科されているかのように男の支配を拒んでいる。それでも男は手を・・・・肩口を朱に染めた手を何とか動かした。まるで意のままにならぬ、倍もの重力を感じる腕が辿りついた先は、男の象徴だった。
 

『はっ・・・・はあ、は・・・・・』

 時折
 濁った、荒い息を吐き出しながらもう片手もそこに伸ばす。滑稽なほどのぎこちない動きで何度も指を滑らせながら、男はウエストボタンを弾き、ジッパーを引き下ろして自分の欲を取り出した。本能に従い、そこは硬く漲っている。

『はあはあ・・・・う、』


 自らの欲を握りこもうとしたが、意に染まぬ体は容易には動かない。男は目を血走らせ、荒い呼吸のままに何とか手を伸ばそうとする。そうしながらも男の目は一瞬たりとも白い体から離れないのだった。





 見られている白い体。グーデリアンはその肩越しからベッドの上で自慰をすべくのたうつ男をちらりと見据えた。青い瞳はこの上ないほど酷薄である。

 後ろからハイネルの涙に濡れた頬に唇で触れると、彼はそっと体を離した。



「グーデリアン・・・?」
 

 突然甘く苦しい責めから開放されたハイネルが、まだ快楽の余韻を宿した緑の瞳を緩慢にグーデリアンに向けた。
 彼はハイネルの背後から右手、つまりベッドに横たわる男の頭の方に回り、右足をベッドに乗り上げた。
 何も言わず、シャツの下のボタンを一つ二つ外していく。そうしてから彼の手はシャツの裾を払い、見事に鍛え上げられた腹筋のその下、おざなりに着込んでいたスラックスのボタンに手をかけた。



「何を・・・」


 声をあげていたせいで乾き、かすれた声でハイネルが呟く。その声には畏れととまどいがにじんでいた。


 グーデリアンは答えない。彼はベッドの男がそうしたように、自らの男の象徴を取り出した。一度放出を終えて果てたそれは今は力を失っていたが、それでも逞しい質量を備えている。

 懼れか・・・あるいはそれ以外の何かからか、ハイネルが短く息を吸い込んだのが分かった。

 





 go on to the next page.