心の距離 


 マシンテストの最中、コーナー侵入に失敗してマシンをすべらせたグーデリアンは、見事にマシンをオシャカにしてピットに戻って来た。
「いやー、参った参った。あれっくらいの速度だったらイケると思ったんだけどなぁ」
 金髪をガシガシとかきながら、とくに落ちこんだ様子も見せずにグーデリアンはタオルを手にする。椅子に座って汗をふいていると、ふと目の前が暗くなった。誰かが目の前に立ったので影が落ちたのだ。
「?」
 不思議に思って顔をあげると、そこにはハイネルがいた。すさまじいまでの怒りのオーラを背負っている。
「グーデリアン」
「なんだよ」
「お前、一体どういうつもりだ!あんな侵入速度ではぜったいに曲がれないと言っておいただろうが!!大体、コーナー侵入直前にも無線で忠告したはずだ、それを・・・」
「今回は曲がれるかもしれないって思ったんだよ」
「曲がれるわけないだろうが!常識を知れ、常識を!」
 このセリフにはさすがのグーデリアンもカチンときた。汗をふく手を止め、上にいるハイネルをにらみあげる。
「ドライバーのすることに監督が口出しすんなよな」
「なんだと!?」
「ハイネルはいっつもオレのこと怒ってばっかりだ。少しくらい静かにしててくれよ!」


 それからいつものように言い合いが続き、最後にはさすがに見かねたクルーたちに半ばムリヤリ止められた。
 ・・・・・・ハイネルはそれで本当にいなくなってしまった。もちろん、グーデリアンに言われたからではない。もともとマシンテストが終わったら、すぐに郊外にあるファクトリーに仕事で行かなくてはならない予定が入っていたのだ。
 それはグーデリアンも知っていた。別に、ハイネルはグーデリアンと顔を合わせるのがイヤで出ていったわけではない。
 ハイネルがいるファクトリーまで車を飛ばせば3時間。不可能な距離ではないが、用もないのに足を運べるほどの距離でもない。
 ハイネルの不在予定は一週間。彼が去ってから三日がたったので、あと四日彼と顔を会わせない日々が続くこととなる。
 これまでにグーデリアンが過ごした、ハイネルのいない三日間。
 ・・・・・・・マシンの咆哮も、ピットのざわめきもいつもと同じなのに、グーデリアンにとって、あまりにも静かなレーシングトラックだった。
 マシンテストはあれからも続いているが、順調すぎて気味が悪いとクルーたちが冗談で言い合うほどだ。

 一度だけタイヤがすべってマシンのフロントを壊してしまったが、誰もがグーデリアンの安否を気にするだけで、ハイネルのように怒ったりするものはいなかった。








「どーしたよ、シケたツラしちまってさ」
「ブリードか、ほっとけよ」

 にぎやかなバーのカウンター。その奥のスツールに腰掛け、これがあのジャッキー・グーデリアンかと疑うようなどんよりした空気を背負って彼はウイスキーをチビチビとやっていた。
 そこに軽やかに登場したのは加賀である。妙なところでウマの合う彼らは、不思議といろんな場所で出くわすことが多い。
 許可も得ずにグーデリアンの隣のスツールに腰かけた加賀は、バーテンにスコッチを注文した。
「で?まーた、プロフェッサーとケンカでもしたのかい?」
 心配しているどころか、加賀のにやけた顔は、あきらかに事態をおもしろがっている。グーデリアンはチラリと加賀を見てから、無言でウイスキーをあおった。どうせ、どんなに酒をくらって二日酔いになろうとも、怒鳴りつけてくる相手はいないのだ。
 加賀はグーデリアンの返答を無理強いしたりはせず、寡黙なバーテンダーが差し出したスコッチを口にした。人々のざわめきの間を、切ない響きのジャズが見えない煙のように気だるげにたゆたっている。
 もう何杯めか数えることも忘れたウィスキーのグラスにグーデリアンが手を伸ばした時、他の手が重ねられた。加賀の手だ。
 グーデリアンは無言で顔をめぐらし、彼を見た。
 加賀はあの独特な、こちらの心をすべて見透かされているような気がして、居心地の悪さを感じる笑みを浮かべている。時折グーデリアンが見せるものと同じ種類の笑みだった。
 加賀とグーデリアンには、どこか同族のような雰囲気がつきまとっている。それゆえに二人はウマが合うのだが、時には相手の反応がそのまま自分にかえってくるような気がしてバツが悪い時もある。まさに今がそんな時で、グーデリアンは苦い笑みを口元にはりつけた。
 加賀がこんな顔をしている時は、腹に何かを抱えているのに違いないのだ。
 
「で?何があったんだ?」

 うながすようにあごをしゃくると、加賀は我が意を得たり、といった笑みをもう一度浮かべ、つとめてさりげなく言った。
「オレのところに、すげー珍しい相手から電話がかかってきてたぜ」
「へえ、誰?」
「プロフェッサー」
「っ!!」
 もう少しでグーデリアンは口に含んだウィスキーを吹き出すところだった。カウンターにつっぷし、苦しそうに息をする。その様子をおもしろそうに眺めやってから、加賀は続けた。
「最近の調子はどうだとか、マシンはどうだとか、風見とはあいかわらず仲良くやっているのかとか、関係ない話を延々とした後、聞いてきたよ」
「・・・何て?」
 半ばは答えを予期していながら、あえてグーデリアンは聞いた。グーデリアンの真摯な表情を目にして、加賀の目が少し優しくなる。
「・・・『もしグーデリアンと会って、ヤツが酒でもかっくらってたら、遠慮なく怒鳴りつけてやってくれ』ってさ」
 そのセリフを聞いたグーデリアンの目が、驚きに見開かれた。恐らく、彼の予想外の答えだったのだろう。
 彼としては『グーデリアンに会わなかったか!?』とか、『グーデリアンの様子をそれとなく見てやってくれないだろうか』と言った程度の内容を予期していたに違いない。
 それは加賀もわかっていたのだろう、彼はそんなグーデリアンの反応を見てもとくに驚いた様子は見せず、スコッチをもう一度口にしてからポツリともらした。

「・・・なんて言うか、部外者のオレが言うことじゃないのかもしれないが、いいよな、お前たちの関係って。この年になると、一体何人の人間がてめぇのコトを本気で怒ってくれるだろうって思わねぇか?それに、離れていても自分のことを考えてくれている人がいるって言うのは・・・心の支えになる」
 そこまで口にして、加賀は照れたようにスコッチを一気にあおった。自分でもガラではないと思ったのだろう。
 少しの間呆然としていたグーデリアンだが、次に彼の顔に浮かんだのは、満面の笑顔だった。ジャッキー・グーデリアンらしい、暖かで、見ている者の心の底までしみわたるような笑顔だ。
「お、やっとお前さんらしい顔になったぜ。ジャッキー・グーデリアンはそうじゃなくちゃな!」
 うれしそうに笑う加賀に、グーデリアンは不敵な笑みを返す。そうして、手元にあったウィスキーのボトルを加賀の方に押しやると、スツールから腰をあげた。
「オレ、今から帰る。オレのボトル飲んでいいぜ、ブリード」
「おーおー、すげー勢いだこと。今マシンテストしたらコースレコードじゃねーのか?」
 楽しげにグーデリアンを見送ると、加賀はお言葉に甘え、手酌でウイスキーを飲み始めるのだった。






 ナンバーを押してコール音が聞こえている間、グーデリアンはらしくもなく自分が緊張しているのに気づいた。たったの三日。
 言ってしまえば、ハイネルに会っていないのはそれだけの時間である。けれど、グーデリアンにとってはとても長い時間だった。
 ハイネルが出たのは5コール目のことだった。その声には、ほんの少しだけ疲れがにじんでいる。
 それでも、グーデリアンにとっては三日ぶりのハイネルの声だ。声を聞くだけで、なんだか心が安らぐ。
 相手がグーデリアンだとわかると、ハイネルは少し驚いたようだった。

『グーデリアン?いきなりどうしたんだ』
『会いたいんだ』
『お前、勝手なことを・・・』 

 受話器を通してとどけられてくるハイネルの声。機械越しなんかじゃなく、今すぐ彼の声が聞きたかった。
 グーデリアンは目を閉じる。脳裏にハイネルの姿を思い描きながら、声をよりクリアに受け取ろうと努力をする。
 通りのいい、耳に心地よいハイネルの声。いつもは冷静でキビキビとさまざまな指図を送るこの声が、自分にだけは怒鳴りつけたり、文句を言ったり、声をたてて笑ったりしてくる。・・・・自分にだけは。
 ハイネルがあんな風に怒ったり声を荒げたりする相手は、ジャッキー・グーデリアンただ一人なのだ。
 そして、ハイネル以外であんな風にジャッキー・グーデリアンを叱りつけてくれる人間もいない。母親でさえ、いつの間にか彼を大人の男として扱い、以前のようには怒鳴りつけたりしなくなった。
 もちろん、グーデリアンは一人の大人の男で、誰に依存しなくても生きていける。そんなことはグーデリアン自身も、そしてハイネルもよく分かっている。
 それでも、誰かが自分のことを思い、時には忌憚なく叱りつけてくれる、そんな人が自分のそばに存在してくれていることの幸福をかみしめるくらいのことは許されるだろう。

『会いたいんだ、ハイネル。・・・会いに行ってもいいか?』

 受話器ごしに思いをこめ、グーデリアンはささやきかける。
 いつもの、まるで母親に怒られるのがわかっていて子供がこねるダダのような言い方ではなかった。切実な響きのこめられた声だった。
 一つため息の音がして、ハイネルがゆっくりと口を開いた気配があった。

『・・・・・そちらに、大事な書類を忘れてきてしまったんだ。私の方から行くから、お前はそこにいろ』

 受話器を通してハイネルの優しさまでが届けられたような気がして、グーデリアンの口元が柔らかくほころんだ。





「グーデリアン、キサマ、また酒を飲んでいたな!こっちはずっと働き詰めだったというのに、ちょっと人が目を離していればこれだ。酒くさくてかなわない!!」
 深夜の道を飛ばしに飛ばしてきたらしいハイネルは、二時間ほどでグーデリアンと再会していた。出会いがしらに強く抱きしめてきたグーデリアンに、赤くなりながらもさっそく文句を言っているのがハイネルらしい。
 なんだか嬉しくなってグーデリアンがハイネルを抱きしめたままくすくす笑っていると、ハイネルが不審げに眉を寄せた。
「何を笑ってるんだ?」
「いや、オレ、ホントにハイネルがいないとダメなんだな、と思って」
 まだグーデリアンが言いたいことが分からないらしいハイネルが、不思議そうに首をかしげている。かしこいわりにこういう面にはうといハイネルにも分かるよう、グーデリアンは分かりやすい言葉を使った。

「オレもう、ハイネルにめんどー見てもらわないと何にもできないんだよ。オレには、ハイネルみたいにいつもオレの身近にいて、容赦なく叱ってくれる相手が必要なんだ。一生オレの世話してくれよな、ハニー」
「・・・・バカだな、グーデリアン」
 ハイネルは困ったように笑うと、グーデリアンのこめかみに触れるだけのキスを落とした。グーデリアンは目を閉じ、その柔らかな感触を受けとめる。
 グーデリアンが目を開け、ハイネルの目線と合うと、彼がめずらしくいたずらっぽい笑みを浮かべてみせた。
「じゃあ私は、年中お前を叱りつけていればいいのか?」
 グーデリアンもハイネルのこめかみにキスを返す。頬にも、顎先にも、そして最後に口元に。
「ハイネルがオレを叱りつけてる声が聞こえないと、調子が狂うんだ。見事にハイネルに調教されちゃったぜ」
「私こそ、お前を1日1回は叱りとばさないと調子が出ないようになってしまった。お前があんまり私を怒らせるようなことばかりするからなんだぞ。どうしてくれるんだ」
 二人で目を合わせ、同時に吹き出す。


「やっぱりオレたち、いっしょにいないとダメだってことなんだな」
「不本意ながらな」


 そんな言いぐさもやっぱりハイネルらしくて、グーデリアンはうれしくなってしまう。
 あと数時間。あと数時間もしたら、またハイネルは仕事に戻らなくてはならない。
 それでも、それまでは二人だけの恋人同士の時間を過ごすことができるはずだった。



 ・・・最近、『最初に思い描いていた筋から、どんどんお話がそれていってしまう病』の病状がどんどん深刻になっています。どうしたらいいのでしょうか!(笑)
 3500番を踏んでくださったたちばなさん、本当にどうもありがとうございました!お待たせしてしまってすみませんでした。相変わらず進歩がまったく見られない頭のわるそーな小説で申し訳ないのですが(笑)、少しでも楽しんでいただけたらうれしいです。
 次にたちばなさんがキリ番を踏んでくださったら、どんなお題を下さるのか楽しみにしておりますので(毎回ドキドキしつつも楽しみにしているのです!)、よろしかったらぜひ!お願いいたします!

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