午後のテストが開始してから悠に一時間が経過していた。ほぼレースディスタンスを走り終えているというのに、グーデリアンの走行には疲れが見えない。何もかもが革新的なマシンであるシュティールは、通常のCFマシンよりもずっと膂力を必要とする。脅威的な集中力と体力だと言えた。

 サーキットに水を撒いてハーフウェットの状態にしてあるため、タイヤやハンドルが取られて通常よりのドライヴよりも神経を使うのだが、グーデリアンは過酷な状況にもけして音をあげなかった。

「ハイネル監督、マシンの挙動を見ていると少しオーバー気味のようですが、かえっていいみたいですね」

「ああ、ヤツ自身も少しオーバーが出ているくらいの方が運転しやすいと言っていた。セクション2のふらつきもなくなってきているな」

「あそこは出口に軽いバンクがついていて特殊なんですよね。・・・・うん、いい感じだ」

 ハイネルとチーフメカニックは並んでモニタをのぞき込んでいる。グーデリアンの走りが段々波にのってきているのが端から見ていてもよくわかった。

 ジャッキー・グーデリアンというレーサーは印象そのままの走りをする男で、アグレッシヴで非常にダイナミックなドライビングを身上としている。またよく言えばカンのいいレーサーだが、悪く言えば波のあるレーサーだ。一度のると手がつけられないほどに速いが、信じられない凡ミスでリタイヤすることもある。そこがレーサーとしての彼の魅力の一つでもあるのだが、監督やチームスタッフにしてみれば気が気ではないだろう。

 だが、今の走りは明らかに調子がいい時のものだ。攻撃的な走りをする彼は、ウェットコンディション時のこのサーキットを苦手としていたのだが(あまりにも攻めすぎてスピンを喫してしまうのである)、鬼門としていたセクション2の連続コーナーもキレイに抜けていく。セッティングも決まり、マシンとレーサーが一体になっている。マシンをデザインしたハイネル、そのマシンを調整するスタッフ、そしてマシンを操るグーデリアンの力が見事に調和して初めて生み出せる走りだ。

 マシンがコントロールラインを駆けぬけた時、その場にいる誰もが風を感じたかのような錯覚を味わっていた。 見ているだけで風を感じさせることのできるレーサーは少ない。

「監督!やりました!コンマ2縮まっています。コースレコードだ!」

 タイム計測を担当しているスタッフの上ずった声に、ピットはわっと沸きあがった。待ちに待った瞬間だ。彼らは瞬きにも満たないこの瞬間のために生きていると言っていい。
 ハイネルは大きくうなづいただけで何も口には出さなかったが、輝く緑の瞳が彼の心情すべてを雄弁に物語っていた。

「やったぜハイネル!」

 それから数周してテストを終え、マシンから降りるなりグーデリアンが口にしたのはその一言だった。ヘルメットと防火マスクを乱暴にはぎとり、頭を一度大きく振るうと、濃く色を変えた金色の髪の先から汗が散った。どれほど体力を要するドライビングだったのかがそれだけでもわかる。

「グーデリアン、よくやった」

 ハイネルがかけた言葉は短かったが、声は力強い誇りに満ちていた。
 スタッフ達も次々とねぎらいと賛美の言葉をグーデリアンに浴びせかけている。今日の彼はそれだけの働きは十二分にしてのけたと言っていいだろう。

「監督、よかったですね、本当に。社長からの風当たりが最近少し厳しくなってきたようだったから心配してたんですよ」

「そうだな。・・・今なら父は一人でオフィスにいるはずだ。連絡を取ってみよう」

 常に(グーデリアンさえ絡まなければ)冷静なハイネルだが、やはりうれしさの興奮は隠せないのだろう、白い頬がわずかに紅潮している。早速彼がピット入り口にしつらえられた機器で操作をすると、ほどなくして彼の父親の姿がモニタに映し出された。

『フランツ、どうしたね急に?君の方から連絡をいれてくるとは珍しいな』

「父さん、・・・いえ、社長。たった今ウェット時のコースレコードが出たのです」

 モニタの向こうに語りかけるハイネルの姿を、スタッフ全員が注視している。グーデリアンは人気の高いレーサーで個人スポンサーも多く、元トップレーサーであるハイネル自身もいくつものスポンサーを抱えていたが、やはりシュトロゼックの母体はシュトロブラムスであり、ハイネルの父親が最大のスポンサーなのである。自然、この場にいる誰もが胸襟を正すような思いで成り行きを見守っているのだった。

 いつの間にかハイネルの隣にはグーデリアンが並び立ち、その肩に手を置いていた。二人がこうして立っているとあまりに自然で、まるで初めからこうあるように定められているかのようだ。

 ハイネルの父の目には、寄り添い立つ二人の姿しか映っていないだろう。その彼は画面の向こうで手元を動かして何らかの操作をしていた。恐らく先ほどのテストランに関するデータにざっと目を通しているに違いない。

『・・・なるほど』

 低い声が零れた。
 ハイネルの父親は決して横暴な人間ではない。しかし生まれながらにして人を制する威圧感のようなものが時としてその声にはこめられるのだった。スタッフ達は息さえも潜めて事の成り行きを見守っている。
 ピンと張っているハイネルの背中が緊張のためにわずかに揺れたことに、彼の肩に手を置いたグーデリアンは気づいたようだった。

『なるほど、なかなかいいタイムだ。だが、テストサーキットでいくらいいタイムを出そうと、レース本番でそれができねば意味があるまい。違うか?』

「・・・仰る通りです。ですが我々は、必ず次のレースでも今回以上に・・・」

『フランツ、レースに『必ず』や『絶対』はありえない。ましてやお前の造ったマシンは新機軸、新世代をうたってはいるものの未知の部分が大きすぎ、レーサーには波がある。シュトロブラムスはギャンブルに興じる気はないぞ』

 父の言葉に、一瞬ハイネルは反駁する機を逸した。何かを言おうとするのだが、とっさに言葉が出てこない。そして、そんな彼のすきを埋めるかのように隣に立っていた男が口を開いた。

「レースほどじゃないかもしれないけど、ビジネスにだって時にはギャンブルも必要だ。あなたの会社だってあなた自身だって、リスクをおかしたからこそ今の地位にあるんじゃないんですか?」

 グーデリアンだ。

 思いもかけないグーデリアンの言葉にハイネルは驚いて横にいる男を見つめたが、驚かされたのはハイネルの父でさえも同様だった。彼は一瞬口をつぐんだが、今度は言葉の刃を息子ではなく、息子に寄りそうように立っている男へと向けた。

『グーデリアン君、私はレーサーとしての君の腕は評価している。だが相性というものも考えたまえ。そもそも私は、フランツが君と一緒になったこと自体納得がいかないんだ。君は、君たち二人が一緒になって上手くいくとでも思っているのかね?』

「心配しなくてもいいぜ。ハイネルにはオレがついてるんだから。な?ハイネル」

 グーデリアンの答えはあっけらかんとしたものだった。笑顔でそう言い放ち、肩にこめていた腕にぐいと力をこめ、ハイネルの体をさらに引き寄せる。太陽そのもののまぶしい笑顔だった。
 その笑顔を至近距離で目にしたハイネルは、顔をそむけながら怒っているような声を出した。しかしいくら口調は怒ってみせていても、白い頬がわずかに染まっていては威力は半減である。

「何を言うか!お前が私についてるんじゃない、私がお前についてやってるんだ!お前のようなだらしない男、私がついていなかったらどうしようもないだろう!」

「ひでぇなあ。オレを選んだのはお前自身だろ?お前がオレを選んで、オレもお前を選んだ。そういうコトじゃないのか?」

 グーデリアンは真っ直ぐハイネルを見つめてそう言った。いつもからかいばかりを口にしている男だが、今この時の彼に軽薄さはまったくない。口元には笑みが浮かんでいるが、それもハイネルをからかうためではなく、安心させるかのような深く静かな笑みだ。彼の男として、そして人間としての懐の深さをそのまま形にあらわしたかのような笑顔だった。

「グーデリアン」

「なあハイネル。オレ達は、オレ達自身で二人でやっていこうって決めたんだろ?オレを信じろよ。そして、オレを信じたお前自身を」

「グーデリアン・・・・」

 その笑顔に勇気づけられたのか、ハイネルはもう一度モニタごしに自分の父親に向かいあった。肩が上下して、彼が深く呼吸をしたのがわかった。
 グーデリアンの手が、彼を励ますかのように強く肩を抱く。ハイネルも自らの身を預けるかのようにグーデリアンの厚い胸に寄り添っている。
 ハイネルはゆっくりと、しかしハッキリとした声で父に語りかけた。

「お父さん、分かって下さい。私は自分でこの男を選んだのです。他の誰でも駄目なのです。私はジャッキー・グーデリアンだからこそ一緒になったんだ。例えお父さんでも、私たちのことに口出しはさせません!」

『フランツ・・・』

「親父さん、ハイネルには、・・・フランツにはオレがついてる。約束します。今はまだオレ達のことを認められないかもしれない。でも、いつかあなたにもオレ達のことを認めさせてみせる」

『グ、グーデリアンくん・・・』






 ・・・・・・・。

「つーか盛り上がってんのはいいんだけどさ、ここはどこだ?結婚お披露目パーティーか?」

「んなワケねえだろ!」

「じゃあどこだよ。結納の場面か?」

「んなワケもねえだろ!・・・むしろボーイフレンドお披露目場面?いいとこのお嬢様がプレイボーイを恋人として紹介してきてパパ大慌て?」

「そのうちランドルあたりが監督のいいなずけとして出演してきそうだよな。『僕には耐えられない。君みたいな下賎な血の者が、何故高貴なフランツと!ああフランツ!』」

「その見下し視線けっこう似てるな、おい!そんで葵今日子女史がジャッキーに向かって『私のお腹の中にはあなたの子がいるのよ!』なんて乱入してきちゃったりして」


 固唾をのんで様子を見守っていたハズのスタッフたちには、今や緊張のキの字も見当たらない。炎天下のサーキットで半日放置されたソフトタイプのタイヤでもこれほどダレてはいないだろう。盛り上がってるのは二人プラスモニタの向こう一人だけである。
 ・・・別の意味ではスタッフたちも十二分に盛り上がってはいたのだが。



「お。ようやく終わったみたいだな。あーあ、ブレンダのヤツが早速ジャッキーの方に駆け寄ってるぜ」

 一人の言葉通り、通信が終わるのを待つのももどかしい様子でブレンダがグーデリアンの元へと走ってきた。飛びつくようにした彼女を彼は難なく抱きとめ、早速その細い腰に両手を回している。ブレンダはそれを嫌がるどころかさらに密着するよう相手の太い首に手をかけ、鼻にかかった甘い声を出した。

「ジャッキー!んもう、待ちくたびれちゃったわ」

「ごめんよブレンダ。このお詫びは後でたっぷりするよ」

「ふふふ。支払いはベッドの中かしら?」

「お望みなら前払いで今一部を支払っても・・・・・って、痛ェなあ!」

「貴様、つい先ほどまであれほど殊勝なフリをしていてもうそれか!やはり貴様などを信じた私が馬鹿だった!」

「なんだよソレ!ちょっとオンナの子と仲良くしてたくらいでいちいちトガんなくたっていいだろ!?」

「それのどこが『ちょっと』だ!神聖なピットでそのような行為に及ぶなと言うのだ!」





「・・・・・・」

「・・・・・・・おい、どうする、アレ?」

「どうするったって止めるしかないだろう」

 スタッフたちのうちの何人かは、既にグーデリアンたちのやりとりに全く動じることなく黙々とテスト走行の後片付けを始めている。彼らのこうした言い争いは、すでに小鳥のさえずり程度にしか感じられなくなっているのだろう。
 ブレンダは『んもう、何よ!』などと言いながら自慢のブロンドを揺らしながらさっさとピットを去ってしまっているし、着々と撤収作業も進んでいる。
 しかし放っておいたらいつまでも諍い(とはすでに言えない気もするのだが)が続くのも本当のところだったので、スタッフの一人が止めに入ることとなった。彼はハイネルがS.G.Mにいた頃からのつきあいで、年がわりあい近い上に相手が年上ということもあってか、温厚にして冷静な彼の言うことならハイネルもよく耳に入れるということを誰もがよく知っていたのである。


「ハイネル、気持ちは分かるが、もうテストも終わったし今日は引き上げた方がいい。グーデリアンにも、そして君にも休養が必要だ。な?」

「あ、す、すまない。みっともないところを見せてしまった。こんな所をスタッフたちに見せてしまうとは、この私としたことが」

 諭すような穏やかな口調で声をかけられたハイネルは自らの言動を恥じてわびたが、当然それを聞いたスタッフの誰もが心中で同じ言葉をつぶやいていた。『監督・・・・いまさらです』と。

 それでもとにかくハイネルが落ちついてくれたので誰もがほっと胸をなで下ろし、彼に声をかけたスタッフが肩に手をかけた。ハイネルも長身だが、このスタッフも長身である。恐らくグーデリアンと同じかわずかに低いくらいだろう。肩を抱いてハイネルを促そうとしたわけだが、数歩もいかないうちにその手がはたき落とされてしまった。

「痛っ!」

 スタッフの手を叩き落としたのはもちろんエースドライバー、ジャッキー・グーデリアンである。彼は不機嫌そうな様子を隠そうともしないでハイネルに向きなおった。声には明らかに非難の響きがある。

「ハイネル!お前、ヒトにはいろいろ言っておいて自分はコレかよ!」

「グーデリアン、いきなり何を言うんだ、貴様は!」

「オレがほんのちょっとオンナの子と仲良くしてたくらいで怒ったクセに、スタッフといちゃついてんじゃねぇよ!」

「誰がいちゃついてるんだ、女ならば誰でもいいお前と一緒にするな!お前こそ女と見ればすぐ相好を崩しおって、私の身にもなってみろ!まったく下品極まりない男だ」

「その下品極まりない男を選んだのはお前だろ!」

「ああそうさ!だから私自身の品性まで疑われてしまうと言うんだ!」

「オレ達自身がよければそれでいいだろ。周りの目なんて気にするなよ」

「お前がよくても私は構う!いい加減にしてくれ!」


 ハイネルはそう叫んだが、その言葉を本当に口にしたかったのはもちろんスタッフたちである。頭が痛いとはこのことだ。どちらか片方を止めたのでは意味がないことがわかったので、今回はグーデリアンとハイネル、両方をおさめる役がつくことになった。
 二人の言い合いは見ている分には楽しいのだが、このままではいつまでたってもテストが終えられない。正直なところを言えば、過酷なスケジュールの元で行われたマシンテストを終えて疲れきっているスタッフたちは一刻も早く帰って休みたいのである。監督とレーサーの痴話ゲンカ(もはや誰もがそう思っていた)につきあってはいられない。


「まあまあジャッキー。今日はご苦労だったな。そろそろ体を休めないといかんぞ」

「ハイネルさんも。明日からテストの解析が待ってるんですから、ここで休息を取っておかないと!」

 それぞれスタッフになだめられ、ようやく二人とも大人しく歩き出したのだが、よく考えずとも彼らは今同居中の身。結局は同じ場所に向かうのだ。
 きっと家でも彼らは年中こうやって言い争っているに違いない。出会ってからというもの、数え切れないほどケンカをして、反発して、それでも離れずに今もこうしてそばにいる。誰よりも近くに。
 二人が別々の方向に(どうせ同じ家に向かうのに)歩き出したのを見ていた、まだ参入して間もない年若いスタッフがぽつりとつぶやいた。


「つまり結局のとこ、ハイネルさんとグーデリアンさんは、お互いのことが実はけっこう・・・」

『大嫌いだ!』


 グーデリアンの声とハイネルの声は、まったく同時に発せられた。
 二人がお互いの、そして自分自身の本当の気持ちを理解するのには、もう少し時間がかかりそうである。




 よかったー。あほな話があほなまま終わって!途中超シリアス展開になってしまって、ものすごく重いレースドラマになったらどうしようかと思ってしまいました。すみません、もちろんウソです(笑)。
 前川さん、リクエストをして下さって本当にほんとうにありがとうございました。そして、本当にほんとうに申し訳ありませんでした。ふざけてるのにもほどがある更新ペースでした・・・。すみませんでした。
 しかし最終話はフタをあけてみたらめちゃくちゃ書くの速かったです。あほな話なだけはある・・・(笑)。こんなんだったらいくらバタバタしてようがもっとはやく書けただろうと思うんですけど、どうにも書ける気分ではなかったので仕方ないですよね。と言い訳をしてみます。でもやっぱり途中まで読んで声をかけて下さった方や、何よりわざわざリクエストをして下さった前川さんには申し訳ない気持ちでいっぱいです。本当にすみませんでした。
 あほな感じで始まりあほなままで終わってしまった話ですが、あほに書けて私はうれしかったです(笑)。読んで下さった方がほんの少しでも楽しんで下さったらとてもとてもうれしいです。




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