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 ぽっかりと意識が浮上してきてまぶたを開くと、ナイトスタンドが投げかける柔らかな光の当たった見慣れた男の顔が目に入った。こうして眠っていると、普段の子供っぽいとさえ表現したくなる少年の要素はどこにもうかがえない。輪郭のぼやけたあかりが男の顔に荒削りな陰影を刻み込み、それが彼の精悍な印象をさらに強めていた。

 まだ眠りについてそれほどの時間がたっていないことは湿気を含んだ夜の大気が教えてくれている。下ろされたブラインドの隙間からうかがえる闇が柔らかく、またシーツから出ている肌が冷えていることからして夜明けが近い時間帯なのだろう。

 昨夜の交歓のせいで体は疲れているはずだったが、目が覚めた時の気分は悪くはなかった。目が覚めた時に最初に目に入るのがグーデリアンの顔というのは、そう悪いものではない。

 ナイトテーブルに置かれたデジタル時計はやはり明け方が近いことをさしていた。ベッドを出る時に気をつけたつもりだったのだが、意外にグーデリアンは人の気配に敏感な男である。シーツから体が離れる直前でハイネルの腰に突然腕が巻き、寝起きにしてははっきりした声がかけられた。


「まだ早いだろ?今日は予定がイレギュラーで、撤収は午後四時からだし、もう少しゆっくりしてろよ」

「いや、私はその前に予定が入っている。確かにまだ早い時間だがシャワーも浴びたいし私は起きることにする。お前はそのまま休んでいればいい」

「予定?何時から?」

「午後一時半だ。だが私が二度寝のような自堕落かつ享楽的な真似の出来ない人間だと言うことは知ってるだろう」

 素っ気ない言葉。だがグーデリアンはまったく怯まなかった。

「そうだな。お前がオレと、どんなに自堕落かつ享楽的なことをしてる人間かもよく知ってるぜ」

「グーデ・・・・・・んん、」


 突然腕を引かれ、シーツの波に押し付けられたと思ったら唇を塞がれていた。ひとしきり舌を吸い上げてから離れ、ハイネルの秀でた額や鼻の頭、こめかみに唇を落としながら囁きかけてくる。

「なあ、昼の仕事はキャンセルしろよ。撤収準備が早まったって言って」

「キャンセルして・・・どうする・・・・」

「もちろん、オレともう一度ベッドに入るんだよ。昼過ぎまでずっと、自堕落で享楽的なことをするために」

「だが、もう朝・・・・」

「"Night and Day"でも歌って求愛しようか?"君を想ってる 夜も昼も・・・"」

 おどけたような声。むきだしの肩口に唇を落とされながらそんな風に言われると、息がかかるくすぐったさとあいまって胸がざわついた。大きな手がゆっくりと、まるでもったいをつけるかのようにわき腹をたどっていく。グーデリアンの親指が胸の頂点をかすめた時にはハイネルの体が敏感に震えた。昨夜泣いて許しを乞うまで指が触れ、唇で愛された場所だ。 

「あ、」

「オレを一人にしないでくれよ。一人でこのベッドで寝てたらきっと悪い夢を見る」

「・・・私はお前の母親じゃないぞ」

「よかったよ。さすがのオレもマム相手にこうは出来ないからな」

「ん・・・・・」


 唇が重なり、ハイネルの手が伸ばされてグーデリアンの首に回る。甘い意識に理性をゆるやかに溶かされていきながら、ハイネルは鈍く思った。こうして何度他のことよりこの男のことを優先しただろうかと。昼からの仕事をキャンセルする言い訳を考えている自分に苦笑しながら。


 だが、そんな意識は突然鳴り響いた機会音でいちどきに霧散した。





『ジャッキー』

「マリー?どうしたんだ?こんな時間に」



 体に感じていたぬくもりが離れていく。グーデリアンが体をずらし、ナイトテーブルに置かれていた電話のスピーカーボタンに手を伸ばしたのだ。


『ごめんなさい。まだ寝てたわよね』

「君の声が聞けるなら真夜中だろうが大歓迎だからいいんだ。それより君は大丈夫なのか?』

『ええ、大丈夫。大したことじゃないの。悪いとは思ったんだけど、ひどい夢を見て目が覚めて、あまりに怖くて・・・衝動的にかけちゃったの。本当にごめんなさい』

「ひどい夢?そりゃないぜ。ひどい夢を見たってことは、君はオレの夢を見なかったってことだろ?ひどいな」


 大げさに嘆いてみせるグーデリアンに、電話の向こうにいる彼女の体から一気に力が抜けたのがハイネルにさえ伝わった。張り詰めていた空気が柔らかい。グーデリアンはただ一言で彼女を緊張の呪縛から解き放ったのだ。次に電話線を伝わって届いてきた彼女の声からもそのことがはっきりと伝わってきた。


『夢の内容自体はよく覚えてないのよ。ただひどく怖かったことしか記憶になくて・・・。でも、もしかしたらあなたの夢を見たからこそ起きてしまったのかも』

「ああマリー、美人は憂いていようが恐怖におののいていようが美人だが、オレが一番見たい君の表情は笑顔だ。そんなオレが夢の中でも君にひどいことをするわけがないだろう?君にそんなことを言われたら、ショックのあまり今度はオレが悪い夢を見そうだぜ」
 
『そうしたらあなたもいつでも私に電話してきて。例え真夜中でも。私がひどい夢のことなんてすぐに忘れさせてあげる。・・・・ありがとう、ジャッキー』


 マリーの、彼女の『ありがとう』という言葉に込められていた響きは、今までにハイネルが目にしていた彼らのやりとりの他のどんな時とも違っていた。何か特別な、・・・・胸をつくような真摯な思いが込められた声だった。


『ジャッキー、・・・・そちらに行ってもいい?また一人のベッドに戻るのが怖いの。一人でいたら怖いまた怖い夢を見てしまいそうで』 



 ・・・・ハイネルが聞いていられたのはそこまでだった。









「ハイネル、どこに行くつもりだ?」

「向かいの自分の部屋に戻るだけだ。心配する必要はない」


 シャワーも浴びずに昨日身につけていた服を再び着込むのは耐えられなかったが、それよりも一刻も早くここから出たかった。シャツのボタンをしめる指先が震え、舌打ちをする。疲れた体であれほど深い情交をすれば力が入らなくて当然だった。


「マリーなら落ちついたよ。念のためサーキットに行く前に迎えに行くが、今すぐどうこうする必要はない」

「今呼べばいいだろう。それより、彼女のところに行ってあげるべきなんじゃないのか?」

「怒ってるのか?」

「怒ってなどいない。怒るはずがないだろう。女性が一人で心細く思っている。彼女はお前と一緒にいたがっている。だから私がここを出る。論理的な帰結だ」

「怒ってるんだな。オレが彼女の電話を無視しなかったからか?」

「怒ってなどいないと言っているだろう。私と話などせず、さっさと彼女に電話をかけ直してやれ。きっと心細く思っている」

 
 シャツのボタンさえまだ全部とめきれてはいなかったが、ハイネルは上着を手にして歩き出した。ベッドを回り、グーデリアンが立っている寝室のドアへと向かう。


 怒ってなどいない。それは本当だった。少なくとも自分では怒ってなどいないと思っていた。
 もし怒っているとすれば、それは自分に対する怒りだ。うぬぼれ、勘違いし、勝手に夢を見ていた自分に対する怒りだ。本当にひどい夢を見ていたのはまさしく自分だった。

 あの電話でのやりとりを耳にするまでもなく、ジャッキー・グーデリアンは誰にでも優しい男だった。巧みなセリフ回しも行動も、全て舞台俳優のそれだ。グーデリアンは何度も何度も同じ舞台に立ち続けている。
 公演項目はいつも同じ稀代の遊蕩児ドン・ファン。相手役の女優はその都度違っても、主演男優のセリフもふるまいも変わらない。変わるわけがない。

 最初からずっと、観客として舞台を見ているだけのつもりだったのに、いつの間に舞台に上がり込んでいたのだろう?

 ・・・・・上がっていたつもりになっていたのだろう?



「とにかく、私とてそこまで気が利かないわけではない。早く彼女をここに呼ぶか、行ってあげるんだ。私は戻るから・・・・そこをどいてくれ、グーデリアン。扉はお前の後ろなんだ」

「オレはどかないぜ」

「・・・どういう意味だ。・・・・・・・グーデリアン!」




 その時、目に見えぬ緊張感をはらんだ大気を震わせたのは、場違いに甲高い電話の着信音だった。確認するまでもなく、マリーがもう一度かけなおしてきたに違いなかった。

 グーデリアンは出ようとしない。鳴り続ける電話の音もまるで耳に入っていないかのように立ち続けている。
 何回かのコール音の後、機械的な女性の声でアナウンスが流れた。留守を告げる素っ気ない音声。それが終わるのを待ちきれなかったかのようにハイネルが動き出した。



「グーデリアン、どけ」


 グーデリアンは無言である。しかし真っ直ぐ見つめてくる青い瞳と微塵も動かぬ逞しい肩が、何よりも雄弁に拒否の意志を伝えていた。
 グーデリアンは何も言わず、ただその場に立っているだけだ。だが青い瞳が告げている。絶対に行かせないと。


「私がわざわざこの場所をあけてやると言ってるんだ。どけ」

 無言の拒絶。

「なぜどかないんだ」

「お前を行かせたくないから」



 "'Cause I don't wanna let you go."


 ・・・子供のようなセリフだった。
 レトリックもライムも何もない、ただ感情をつづっただけの言葉。

 男の体躯は明らかにハイネルよりも逞しく、押し合いになれば絶対に叶わない。分かっているからこそ腹立たしさがこみ上げ、ハイネルは心の底から叫んだ。


「『行かせたくないから』?勝手なことばかり言うな!貴様はいつもそうだ!女性達へのスマートなリップサービスはお手のものだろう?もう少し気の利いた言い回しをしたらどうだ。勝手な、自分の言いたいことばかり言って・・・・これ以上私を振り回すな!」

「オレの言いたいこと?」

 

 低く、抑えられた声だった。
 あまりにも静かな声だったので、ハイネルはかえって毒気を抜かれ、呆然として間近に立っているグーデリアンを見た。

 グーデリアンはただ黙って見つめ返してくる。

 
 一度途切れたコール音がまた始まった。それにさえ気づかぬかのように、二人はただその場に立ち尽くしている。繰り返される機械的な案内。その後に続く声。・・・マリーだ。もしよかったら連絡が欲しい、と控えめな口調で綴られたそのメッセージを、だが二人ともまったく耳にしていなかった。


「オレの言いたいこと」


 もう一度グーデリアンが繰り返した。今度は自分に言い聞かせるかのように。


「オレが今言いたいことは一つだけだ。・・・・・お前を行かせたくない」

「何故だ!」

「それは、・・・・・」


 その続きは言葉ではなく、唇でハイネルに与えられた。何度か触れては離れていく、子供のようなキス。

 唇が重ねられる暖かな感触。それが何故かハイネルをとても切ない気持ちにさせた。こらえる間もなく眦から涙が零れ落ちる。止める時間さえもなかった。

 その涙を優しく吸い取り、グーデリアンが口を開いた。
 

「言わないといけないのか?」

「え?」


 意外な言葉をかけられ、ハイネルは緑の瞳をわずかに見開いて目の前の男を見返した。グーデリアンはこちらを真っ直ぐに見つめている。真摯な、一人の大人の男。

 夜明けが近いこの時間帯に、この男のこんな顔をこれまでに何度も見てきた。昼のどの時とも違う、男のこの表情を。
 この時の彼は、いつも何か物問いたげな青い瞳を向けてきて、ハイネルの心を騒がせてきたのだ。


 
「ハイネル、教えてくれ。・・・・オレは言葉にしないといけないのか?」

「・・・何をだ?」

「オレがお前をどんな風に想っているのか、お前は言葉にされないと分からないのか?綺麗だ、素敵だ、愛してる・・・そういう言葉を音にすればお前は満足なのか?」

「グーデリアン」


 そこまで口にしてグーデリアンはうつむいた。長い前髪が彼の表情を隠し、雄弁に心情を伝えてくる青い瞳も今は見えない。褪せた、独特の色をした麦色の髪を呆然と見つめながら、ハイネルは言葉を無くしてただ相手の名を呼ぶことしか出来なかった。


「ハイネル、オレは・・・・」



 ハイネルはとっさにグーデリアンの体を力いっぱい抱き締めていた。大きな男の頭を胸に抱えて抱きしめると、男はされるままになっていた。逞しい腕が伸び、ハイネルの体を抱き返す。まるで母が自分よりも成長した息子と抱き合うかのような体制だったが、今のハイネルには何も気にならなかった。


「・・・・・お前が好きだ」


 小さな声。普段の男からは信じられないような、振り絞るような声だった。

 グーデリアンを抱き締める腕にぎゅっと力を込めた。目の裏が熱い。


「ハイネル、お前は知ってるか?・・・・本当に伝えたいことは言葉にならないんだ」



 好きだよ、愛してる。綺麗だ、君といたい。



 何度も聞かされた言葉だ。・・・・・グーデリアンが他の女性に向かってそう言っているのを。
 その都度相手を変えて投げかけられる、重みを失った言葉。



「お前の目を見ていると、言葉が出てこなくなる」


 抱き締められていたグーデリアンが顔をあげ、ハイネルを見つめながらぽつりと言った。

 青い目が真っ直ぐに見つめてくる。いつか夜と朝の境界線に立っていた時に見つめてきた瞳だった。

 見つめているとどこまでも吸いこまれ、言葉を忘れる目だ。どんな言葉もこの目の前では霧散する。



「教えてくれ、ハイネル。・・・・・オレの想いは言葉にしないとお前に伝わらないのか?」



 ハイネルの答えは寄せられてきた唇で返された。軽く触れ合わされていたキスが熱を帯びるのにそう時間はかからない。目を閉じず、見つめ合いながら舌を絡ませあい、唇を吸う。
 その間彼らは何度も吐息にのせて互いの名を囁きあった。

 けして言葉にはならない、想いをそこに託すために。
 






 主観なんですが、こういうグーを好きな方はあまりいらっしゃらないのではないかと思うのです・・・。ハイネルもですね。うじうじ系。うじうじ系って書くとホントにヤな感じだなあ!(笑)

 ところでもう何度も言っているのに申し訳ないのですが、私はタイトルになっている「Do I have to say the words?」という曲がものすごく好きで、プリーストという話もこの曲がきっかけになっていますし、多分他にもこの曲を下敷きにしている話があるはずです。というか、このタイトルで既に話を書いてる気がひしひしとするのですが、本人も覚えていないので万一そうだとして、それに気づいた方がいらしたとしても忘れて下さい!(笑)
 
 とても淡々としていて盛り上がりも特になく、ドキドキするようなお話が好きな方には全くもって物足りない話ですみませんでした。自分のヘタさ加減が改めて身にしみたという意味ではかなり厳しい話になってしまいました。が、とりあえず終わってよかったですし、書けてよかったなとも思うのでありました。しかしコレ読んで楽しいヒトなんていないですよね・・・(笑)。すみません。

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