まずグーデリアンが最初に提案したのは、実際に加賀が目を配ることができるような位置でハイネルと二人きりになってみせることだった。加賀が心の底から自分の言い分を信じているわけではないのを肌で感じていたのだろう。
実際、つい二週間ほど前にこの目で見たことがあるとはいえ、加賀にとっては『あの』ハイネルがグーデリアンに言い寄る姿など想像しがたいものがあった。
幸い、今回の合同テストは五日通して行われる本格的なもので、まだ四日も日数的には猶予がある。まずは事実確認の後に対処法を練る必要があるだろう。
いざとなれば加賀の行動は早い。グーデリアンとの打ち合わせ五分後には、早速ハイネルの元へと足を運んでいたのだった。
「加賀。悪いが私はまだマシンのセッティングを詰めたいので、それほど時間をさけないのだが・・・」
「ちょーっとだけつきあってくれればいいんだよ。お前さんに会いたいっていうヤツがいてさ、そんなに手間は取らせねぇから」
育ちのせいか、グーデリアン以外の人間に対しては実は素直なハイネルは、少し困惑した表情を見せながらも言われるまま加賀の後についていった。場所はモーターホームからさらに少し外れた、関係者駐車場の一角である。今の時間帯ならばまず他の人間が来ることはない絶好のポジションだ。
もちろん、そこで待っているのはジャッキー・グーデリアンである。
「グーデリアン・・・」
自分を待っていたのがグーデリアンだと知れると、ハイネルは不快そうに眉をひそめた。その仕草を見ている限り、特に普段と変わりはないようだ。
ハイネルはすぐに身を翻すと、大抵の人間ならば身をすくめてしまいそうな鋭い視線で加賀を射貫いた。
「加賀!どういうつもりだ?ただでさえ目も回るほど忙しいというのに、待っているのがグーデリアンだなどと!冗談ではない、私は帰る!」
「何だよ・・・全然普通じゃねえか」
「加賀!何か言ったか!?」
「いんや、別に!まーまー、ハイネルの気持ちも分かるけどさ、グーデリアンのヤツがどうしてもって言うんだ。ほんのちょっとでいいからつきあってやってくれよ!おっと!わりぃがオレはちょっと抜けられない用事があってさ。すぐ戻るから!」
「お、おい、加賀!?」
突然消えてしまった加賀を呼びとめる間もなく、一人グーデリアンと共に残されたハイネルは何が起きているか分からないといった表情で呆然と立ち尽くしていた。
だが、そこはフランツ・ハイネル。一瞬で立ち直ったようである。加賀が近くのバンの影からのぞき込んでいるのも知らず、再び表情を険しくして今度はグーデリアンの方に向き直った。
加賀の位置からだと二人を横からのぞき込む形なので彼らの表情をつかむのに都合がいい。グーデリアンをにらみつけているハイネルの表情はいつもの冷たさそのままで、少なくとも彼を好きで好きでたまらないようには見えなかった。
こんな時でものん気な風情でグーデリアンが片手をあげ、緊張感のカケラもないあいさつをハイネルに送る。
「ようハイネル。元気か?悪かったな、突然呼び出したりして」
「それで、お前が私に一体何の用だ、グーデリアン!貴様のことだから、どうせ大した用事では・・・・。用事、・・・・・・用・・・・・・・・・・・グーデリアン・・・・・・」
変化はやはり突然訪れた。みるみるうちに眉間の皺がとかれたかと思うと、次の瞬間にはもうハイネルは目の前のグーデリアンに抱きついていたのである。
・・・・・あのフランツ・ハイネルが、あのジャッキー・グーデリアンに、である。
予想していたこととは言え、やはり驚かずにはいられなかった加賀がただでさえ大きな猫目を見開いていると、切なげに眉根を寄せたハイネルが切々と自分の心情を訴えはじめた。
「グーデリアン・・・私はもう、お前と離れているのが耐えられない!なぜ私とお前は別チームのレーサー同士なのだろうか。お前と命を賭けて競り合う喜びは何にもかえがたいが、それでも、一端マシンを降りてしまうと私は切なくてたまらない。いっそお前と一つになってしまえればいいのに!」
「ハイネル!ハイネル、ちょっと落ちつけよ!な?聞いただろ!?今のセリフ!」
「おいおい、マジかよ・・・」
聞きようによってはものすごいセリフである。あまりに驚いたせいで加賀が何のリアクションもできないでいると、更なる驚愕が彼を襲った。
「は、ハイネル・・・!?」
加賀はもはや、隠れることさえも忘れてバンの前に立ち、目の前の信じられない光景を見つめていた。彼ほどの男が、この時はこれだけの金づる的スクープを目前にしつつ何をすることも思い至らなかった。日が西から昇ったとしても、彼にこれほどの衝撃を与えることはできなかったに違いない。
数歩の距離に第三者がいるというのに、ハイネルはまるで頓着した様子がなく、ただ己の行為に没頭しているように見えた。
信じられない行為に。
・・・・ハイネルがグーデリアンにキスをしている。
どれくらいの時間がたったのだろうか。加賀がショックのあまりの自失から立ち直ってみると、グーデリアンはキスしてきたハイネルを押しのけるどころか、彼の体に腕を回して応えていた。二人は固く抱き合い、どう考えても恋人同士でしか交わさないようなキスを交わしている。
よりキスをしやすいようになのか、いつの間にかハイネルのメガネが抜き去られてグーデリアンの手に握られているのは一体どういうわけなのだろうか。
目の前で交わされている二人のキスシーンに、一気に怒りがわいてくる。
「グーデリアン!あっさりハイネルとキスしてんじゃねえよ!」
加賀は有無を言わさずに歩みより、グーデリアンの腕をひっつかんで二人をひきはがした。
「あ、わりぃ、加賀。なんかハイネルの唇柔らかくてさ、意外と気持ち良かったからついその気になっちゃって」
「・・・・・・・・・お前な・・・・。さっさと術師の所に行くぞ!」
こうなるともうどちらが行動の主導権を握っているのかわからない。自分のお人よし加減に歯噛みしたい思いを味わいつつ、それでも乗りかかった船を下りることのできない加賀はかなり面倒見がいいのだろう。そういう意味ではグーデリアンの人選はまったくもって正しかったといえる。
もちろん、巻き込まれた方の加賀としてはたまったものではなかったのだが。
あの日と同じバーに赴くと、幸い術師はもう店に来て舞台前のメイクを施しているところだった。
加賀とグーデリアンがかなりの勢いで乗り込んできたのにも関わらず、彼は極めて冷静かつ飄々としている。まだドーランが半分しか塗られていない顔はどこか滑稽でさえあったが、今はそんなことにさえ気が回る状況ではなかった。
「なんでこんな状況になってるのか説明してくれねぇかな」
口火を切ったのは加賀の方である。術師はいたずらっぽい仕草で肩をひょいとすくめると口を開いた。
「ハイネルさんの方の術がまだ解かれてないことですか?いやまぁ、ちょっとしたイタズラ心だったんですけどね」
「はぁ!?」
世界のトップレーサー二人にこれ以上はないほど剣呑な顔つきでにらまれているというのに、術師にはまったく悪びれた様子がなかった。事実、彼は悪いなどとこれっぽっちも思ってはいないのだろう。
豊かにたくわれられたヒゲをゆっくりとなでさすりながら、彼はあっさりと答えた。笑いながら。
「いやぁ、以前お会いした時にも言いましたけどね、私はCFなんかが好きで、あなたのファンなんですよ、グーデリアンさん。でまぁ、テレビや何やらで見るたびにあなたはものすごい美女に囲まれていらっしゃる。全くもってうらやましい限りです。で、まぁ・・・かわいさ余って何とやらと申しますか、ちょっとイタズラ心が芽生えたわけですな」
「イタズラ心って!ハイネルがオレに迫ってきたことか!?ハイネルがオレを好きになったら面白いだろうって思って、試してみたくなったのか?」
グーデリアンに目を剥いて詰め寄られたというのに、やはり術師は涼しい顔をしていた。催眠術を生業にしているだけあって、この辺り彼はただものではない。
「違いますよ。・・・ジャッキー・グーデリアンさん、私はただ、ほんの少しの間だけでいいからあなたの周りにいる美女たちをあなたから遠ざけてみたかっただけです。少しの間だけ」
「そうか・・・つまり、プロフェッサーがグーデリアンのヤツにあんな風にまとわりついてたら、グーデリアンはおちおちガールフレンドとも会ってられねぇ。そういうわけなんだな?」
加賀のセリフに、術師は肯定するかわりに肩をちょっとすくめてみせた。
術師の襟ぐりをつかまんばかりの勢いだったグーデリアンは、その言葉に何だよ、と気の抜けた声を出して力を抜いた。
「オレは、それだけのためにハイネルの変わりっぷりに怯えて逃げまわってたってわけ?あんたのちょっとしたヤキモチで!」
術師はなおも澄ました顔をして、こんな風に言ったのだった。
「まぁそういうことですね。私は世の中のひがみっぽいモテない男たち全ての代弁者だったとでも思ってください。でもいい経験だったでしょう?あのクールなフランツ・ハイネルに情熱的に言い寄られる経験なんて、そうそうできるものじゃないですよ」
「・・・・・!!」
ここまで悪びれないと怒る気にもなれない。半ば呆れつつグーデリアンは肝心要の質問をすることにした。
「で?・・・当然!あんたがかけた術だかノロイだかを解く方法っていうのがあるんだよな!?もう今までのことはどうでもいいからさ、それを早く教えてくれよ!」
「いやあ。あなた方がそれを知りたくてここまで来たのはわかってましたからね。わかってれば最初にお伝えしたんですが。さすがの私も、悪ふざけはこの辺にしておくべきだとは思ってたんですよ」
「・・・・・・・・・」
「術をかける時っていうのは、基本的にきっかけになる言葉なり仕草なりがあるはずなんですよね。それは術師である私が支配している。例えば拍手を二回。例えば相手の名を二度連続で呼ぶ。そんな風に。私はもちろんプロですから、その辺りはキッチリとしています。・・・・いつもは」
・・・・・聞いているうちに、グーデリアンと加賀から剣呑な大気がたちのぼってきた。無言のプレッシャーは相当なものだろうに、術師はいたってのん気である。この二人を相手にしてこうまで泰然としていられるのだから、彼は大物なのだろう。
「『いつもは』!?いつもはっていうのは、どういう意味なんだよ!?」
加賀が食ってかかったが、聞いている彼も、言われずとももう次に紡がれる言葉はわかっているはずだった。
・・・・そう。いつもとは違うことが起こったからこそ、今自分たちはここにいるのである。
そして、やはりあっさりと術師はそのことを肯定してみせるのだった。
「いやー、グーデリアンさんとハイネルさん、私が思った以上にポンポンポンポン二人でやりあっててね、私が口をはさむスキがなかなかなかったじゃないですか。で、時間も押してましたし、客席は最高潮に盛り上がってたからその空気も壊したくなかった。だから、・・・その場のノリで術をかけちゃったんですよ、要するに。はっはっは。だからあんなイタズラめいたことをしちゃったわけですな!で、その場のノリで術をかけちゃったんで、醒ます時のきっかけもわからないわけですな。いや参りましたね、はっはっは」
「はっはっは!・・・じゃねえだろう?術師さんよ!一体どうするつもりなんだよ?」
「いろいろ試してみたら、そのうち解けるんじゃないですかね。私にも分からないんですから、私に聞いたってムダですよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
こんな男が催眠を扱えるというのは、3才の子供に核のスイッチを握らせるようなものなのではないだろうか。弾みでどんなにキケンなことをしでかすかわかったものではない。
「要はグーデリアンさんがハイネルさんに迫られなくなればいいんでしょう?」
「そうだよ。けど、その方法がわからないんだからしょうがないだろ」
独特の色合いをした金髪をガシガシとかきあげているグーデリアンを、術師はじっと見つめた。彼がグーデリアンのファンだと言ったのはあながちウソではない。とかくいいかげんなイメージを世間に持たれがちな彼ではあるが、レースの時に見せる真剣な表情は本物だったし、第一、彼のように朗らかで明るい笑顔を持つ人間を意味なく嫌うことができる人間は少ない。
今だって、困ったように頭をかいているその仕草がグーデリアンをやんちゃな少年のように見せていた。。
「方法がないことはないですよ」
グーデリアンから目を離さないまま口にした術師に、加賀とグーデリアン、二人分の視線が彼に注がれた。彼は続ける。
「ハイネルさんに、恋人でも紹介してやりなさい。もちろん、術がかかっていない状態で、です。きっちりとかけたものならともかく、その場のノリでかけた術などそれほど深くかかってやしません。他に本当に心奪われる相手ができれば、自然に術の束縛からも逃れられるはずですよ」
「なんでオレがハイネルにオンナなんて紹介しなくちゃならないんだよ!このオレが、ハイネルに!」
やけにムキになってグーデリアンはそう叫んだが、その言葉に微妙なニュアンスが含まれていたことにその時の加賀は気づくことができなかった。ただ、術師がその言葉に反応したかのようにわずかに双眸を細めてみせただけだった。
『・・・・がかかっているのは、本当は・・・』
「何?何か言ったか?今」
『いいえ。健闘をお祈りしますよ・・・・この翡翠のサソリにね』
あれほどいい加減に見えた術師が帰り際に一瞬だけ見せた表情は、驚くほど鋭いものだった。胸元にはあの翡翠をはめこんだ銀のサソリがゆれている。
彼の琥珀の瞳は空気を裂くような鋭い光を宿している。全てを見透かしてみせるかのようにグーデリアンと加賀の上に視線が落ちた。柔らかな喉元に刺さった小さな骨のように、その視線は微かな、・・・・けれども無視できない痛みにも似た刺激としてこちらに知覚されたのだった。