The Curse


「ああん?もう一回言ってみろよ」

 加賀は彼を特徴づけているその猫のような大きな瞳に、鋭い光を宿らせてグーデリアンを見た。
 場所は柔らかな光あふれるカフェ。春ほど近い、冬の1日のことである。
 サーキットからそう離れていない場所にあるこのカフェは、合同テストに訪れているレーサーやスタッフたちの恰好の憩いの場となっていた。加賀はTシャツにジーンズというシンプルな私服だが、グーデリアンなどスタンピードのレーシングスーツをまだ下半身にまとったままである。
 加賀とグーデリアンは、外にしつらえられたテーブルの一つに陣取ってコーヒータイムとしゃれこんでいたのだが、このなごやかな雰囲気に満ちたカフェにあって、彼らがいる一角だけはなぜか奇妙な緊張感にあふれているのだった。
 加賀の大きな目でにらみつけるように見つめられているグーデリアンは、声を一段と低くして同じセリフを繰り返した。どう考えても『怯えている』としか表現のできない様子である。

「だからさ・・・・ここんとこものすごいヘンなんだよ、ハイネルが。オレもうどうしていいかわかんなくって。助けてくんない?加賀」

「お前さぁ!」

 薄氷を何の躊躇もなく叩き割るような無遠慮な大声をあげて加賀は心底呆れたような目線をグーデリアンに送る。テーブルに手をついた拍子にコーヒーカップが頼りなげにカタカタと音をたてて揺れたが、そんなことさえ気にはならないらしい。

「お前がハイネル怖がってんのなんていつものことだろぉ?大体さ、『ハイネルちゃん、怒るとコワイんだからぁ!』とかいいつつ、そのハイネルを怒らせるのが楽しくていつもつっかかってんのはお前の方じゃねぇか。自業自得ってヤツだ。勝手にしな!」

 ご丁寧にグーデリアンの口真似をしてまで加賀は言ったが、すぐに本人からの否定が飛んできた。

「そうじゃないんだって!全然違うんだよ、今回のは!」

 いつになくグーデリアンの青い目が真剣な色をたたえている。いつでも飄々とし、ふてぶてしい笑みを口元に刻んでいる彼にしては珍しいことだ。
 加賀は片眉を器用にはねあげ、とりあえずこのアメリカンの主張を聞いてやることにした。グーデリアンとハイネルは周知の通り寄ると触るとケンカの仲ではあるが、そのケンカは陰湿なものではなく、むしろ見ている者が苦笑を零したくなるほど子供っぽく、かつ互いへの好意が透けて見えるような類のものである(ハイネルが聞いたら目を剥いて反論するだろうが)。
 だが、グーデリアンの反応を見る限り、今回ばかりはいつものケンカとは毛色が違っているらしい。もっとも、加賀はグーデリアンの言うことなど話半分でしか聞かないのだが。

「まぁ、どうせ下らないことなんだろうが聞いてやるだけ聞いてやるぜ。で?ハイネルが怖いんだって?今回はどんなイタズラをして怒られたんだ?」

「・・・・・・・・二人きりになると、ハイネルに迫られるんだ」


「は?」


「二人きりになると、ハイネルがオレに迫ってくるんだ!ハイネル、オレのことが好きで好きでたまんないんだ!なんとかしてくれよ、加賀!!」

 ・・・・・・・・時は二週間ほど前まで遡る。







 二週間前、レース開催後に仲のいい主だったレーサーたちで連れ立って飲みに行くことになった。グーデリアンは当然のこと、ハイネルも参加している。もちろんハイネルはイヤがったのだが、グーデリアンに強引に引っ張られてきたのである。
 そこは落ちついた雰囲気が素晴らしいクラブで、一番のウリがマジック・ショーだった。マジック・ショーというよりも、いわゆる催眠術のショーだ。

 術師はいかにもといったターバンを頭に巻いたインド系の体格のいい男で、巧みな話術と確かな腕を持ち、場を最高潮に盛り上げていた。もちろんCFレーサーが大挙してこのクラブに押し寄せているのは経営者もろとも十分承知していただろう。世界のVIPたちを前に、いつも以上に熱が入っていたのかもしれない。
 様々なテーブルを回って見事な腕前を披露していた彼は、最後にグーデリアンやハイネルらがいるレーサーたちのテーブルにやってきた。

『私の術からはどんな人間も逃れられません。どなたか希望なさる方はいらっしゃいますか?お一人よりは二人の方がいいでしょうね。おもしろい場をお見せできると思いますので。愛し合っている者を憎み合わせ、憎みあう者に愛を与える、それが私の術です。もちろん、術がとければ何の後遺症もありません。本人たちの記憶も真っ白になっています。さあどなたか、勇気ある挑戦をなさりたい方はいらっしゃらないですか?』

 術師の声は、大きくはないのに不思議と胸に響いた。口元には常に穏やかな笑みが浮かんでいるが、目には何か侮れない輝きがある。
 そんなセリフにノリのいい加賀や好奇心旺盛なナイト・シューマッハなどが反応を見せたが、何と言っても目立っていたのはアメリカが誇るお祭り男、我らがジャッキー・グーデリアンである。しかも、ハイネルにとってはハタ迷惑なことに、この男は絶対にこういう時彼を巻き込むのだった。

「はいはーい!オレおれ、オレがやるよ!二人ならオレとハイネルでちょうどいいだろ!」

「ふざけるな!なんで私とお前が二人で何かしないといけないんだ。大体催眠術など非科学的な。バカバカしい!」

「ほらほら、こういうヤツにかけるからこそ面白いんじゃん。な?皆もそう思うだろ?」

 グーデリアンが笑顔で振り仰げば、レーサー仲間たちはうなづくというよりも『またか』という感じで呆れた視線を送っていた。その反応に不満げな表情を浮かべかけたグーデリアンだが、次の術師の言葉にあっさりと機嫌を直した。

『あなたは・・・ジャッキー・グーデリアンさんですね。稀代のカサノヴァ、世界の恋人と呼ばれた。私はあなたの大ファンなんですよ。私は見た目もこんなだし年も食っているので全くですが、あなたの100分の1でいいので女性にもてはやされてみたいと思ったものです』

「サンキュ。な?ハイネル。今のセリフ聞いただろ?このオレと一緒に舞台に立てるんだぜ?光栄だと思わなくちゃ!」

「誰が貴様なんかと!」

「またまた、オレのこと好きなクセに!ほら、来いよ」

「私はイヤだと言ってるんだ!こら、グーデリアン、勝手に人の手をとって引っ張るな、このバカ!!!」


 ・・・・こうなるともう完全に世界は二人だけのもの、である。言葉を挟むスキもなく二人のやりとりを見守っている加賀たち他レーサーをよそに、彼ら二人は術師に導かれて舞台へと上がるハメに陥ったのだった。



『ではいいですか?リラックスして、息を大きく吸ってください。そして、このペンダントの先をよく見るように』

「OKOK、このペンダントね。・・・へえ、これ、サソリの形をしてんだな。で、真中の石は、エメラルド?」

『それは翡翠ですよ。翡翠は古来より人を幻の世界に惹きつける作用があるのです』

「ふーん。キミの瞳のように美しいグリーンだね、ハニー」

「グーデリアン。そういうバカなことばかり言うなと言ってるだろうが、貴様!」


 舞台に引き上げられても一向に変わらない二人のやりとりに周囲の人間たちがどっと沸く。エンターテイメントという意味では、この術師は最高の人選をしたと言ってもいいだろう。ハイネルには不本意極まりない事態だろうが。
 それからいくつかまた場をわかせるようなやりとりがあり、いよいよ本番ということになった。ハイネルもいきがかり上、不本意ではあるがやるだけのことはやる決意を固めたようだ。この辺り、彼は育ちがいいためか妙に義理堅い一面が見える。


『いいですか。このサソリ・・・特に真ん中の翡翠から目を離さないようにして下さい。これからあなたたちは、あなたたちではない別の存在になります・・・・』

 術師の言葉に合わせ、銀の鎖でつながれた先にある翡翠をはめこんだサソリが左右に揺れる。ゆっくり、ゆっくりと。
 術師は珍しい色合いの琥珀色の瞳を、じっとグーデリアンとハイネルの二人にあてていた。左手が不思議な円を描き、雰囲気を盛り立てるためなのかアラビックな音楽が店内に流れ出す。

 恐らく『自分は絶対に催眠術になどかかるものか』という意識が強いのだろう。細い眉をきつく寄せ、まるで生来の仇をにらむような目で揺れる翡翠を見つめていたハイネルだが、変化があらわれたのは彼の方が先だった。
 疲れきって眠りの欲求に抗いがたくなっている時のように美しい緑の瞳が焦点を怪しくし、何度もまぶたがおり、長いまつげが白い頬にかすかな影を落とす。何度かそれが繰り返されると、グーデリアンの方にも似たような症状があらわれてきた。
 術師の声が、一段と幻惑と不思議に満ちた、甘くて深いものになっていく。

『いいですか。あなたたちは熱愛の末に結婚したばかりのカップルです。みんなに祝福され、傍らには愛する人がいる。幸せの絶頂だ。今あなた方は二人きりのバカンスにハワイのプライベートビーチに来ています。・・・・分かりましたね?』

『はい・・・』


 二人の声が重なった。術師が指をぱちんと鳴らすと、急に夢から醒めたように二人が閉じていたまぶたを押し上げる。
 そして首をめぐらし・・・・目線があった時に先に行動に移ったのもハイネルの方だった。

「グーデリアン!」

 あのフランツ・ハイネル、サーキットの精密機械の誉れも高い青年とは思えないほど明るい声を出して突然ガバリとグーデリアンに抱きついたハイネルの様子に、一斉に周りの者たちが笑い声をたてた。
 それはそうだろう。いきなり男二人がそんな行為に出れば、普通は滑稽なものとして目に映るものである。ましてや加賀を初めとするレーサー仲間たちは普段のハイネルのグーデリアンに対する態度を知りすぎるほどに知り尽くしている。普段とのギャップに声をあげて笑ったとしても罪はないだろう。
 あのロペでさえも笑いすぎで目尻に涙を浮かべているくらいだった。

「やっと二人きりになれてうれしいよ、ハニー」

「そうだな・・・やっと二人きりだ。お前は人気者だから、どこにいても誰かがいつも一緒にいて、・・・・私はいつも悲しくなるんだ」

「何言ってるんだ、オレが愛してるのはお前だけだよ。お前だってオレのこと愛してるんだろ?だったら、オレの言うことだけ信じててくれよ」

「グーデリアン・・・」

「ハイネル!!」


 加賀はこの時、カメラもビデオも持参していないのを死ぬほど悔やんでいた。もしこの様子を修めることができていたら、とてつもない富を彼にもたらしていたに違いない。
 グーデリアンの方はいつもハイネルをからかって似たようなセリフを何度も口にしたことがあるので衝撃も少ないが、とにかくおかしかったのはハイネルの変わりようである。
 何か一言彼らが言葉を交わすたびに場内は大爆笑。ほんの数メートル離れた場所には何十人もの人間がいるというのに、二人は完全に自分たちだけの世界に入りこんで愛のやりとりを繰り広げていた。これほど熱烈な愛に満ちたセリフのやりとりには、今時三流のソープ・オペラでさえもお目にかかれないことだろう。

「グーデリアン・・・私を強く抱きしめてくれ」

「ハイネル・・・」

 二人が鼻先まで顔を寄せあった時にようやく術師が指を鳴らした。もしあと3秒そのタイミングが遅れていたら、彼らはそのままこの上もなく情熱的な抱擁とキスを交わしていたに違いない。

 パチンという高く澄んだ音が耳に入ると、催眠状態に入った時と同じような唐突さで二人は目を見開いた。この日はとにかくハイネルの方が速く反応を返す日だったらしく、この時もやはり先に行動を起こしたのは彼の方だった。

 いきなり術師が鳴らした指とは比べ物にならないほど大きな高い音が場に響き渡った。ハイネルが思いきり平手でひっぱたいたのである。・・・30秒前まで唯一無二の愛を誓っていた相手を。

「いいってえ!なにすんだよ、ハイネル!!」

「何すんだよはこっちのセリフだ!貴様、人がぼうっとしている間に抱きついてきたりして、どういうつもりだっ!?」

「何言ってんだよ、抱きついてたのはそっちの方じゃねえか!!」

「そっちこそ何を言う!七回生まれ変わっても私がお前などに抱きついたりするものか!」

「じゃあお前は5分の間に八回生まれ変わったんだろうよ。だって現にお前はオレに抱きついてたんだからな!」


 これらのやりとりに場内はまたもや大爆笑。ハイネルが正気でいたならば世を儚みたくなることは疑いがないほどの大盛況で、この出し物は幕を閉じたのだった。






 ・・・・・・というようなことが二週間ほど前にあって、それから各チーム、レーサーともそれぞれの場所に戻って別々の時を過ごしていた。そして再び彼らが顔を合わせたのが今回の合同テストだったというわけである。 


 合同テストの初日、つまりそれは昨日のことなのだが、途中までハイネルは極めて普通だったとグーデリアンは言う。からかえばムキになって向かってきたし、マシンに乗りこめば互いに命を賭けてギリギリのやりとりをした。常と変わらず彼は沈着でノーブルだったし、グーデリアンが絡んだ時だけは感情を剥き出しにしてみせるのもいつもの通りだった。
 彼がおかしな素振りを見せたのは、偶然モーターホーム裏で二人きりになった時である。今となってはグーデリアン自身も詳しいことは覚えていないのだが、最初の3,4分ほどは何の異常もなかったように思う。
 普段のケンカじみたやりとりを交わしていて・・・・急にそれまで怒りで語気を荒げていたハイネルが黙りこんだのをグーデリアンがいぶかしく思った時だ。

「ハイネル?急に立ち止まったりしてどうかしたのか?」

「グーデリアン、お前は私の他に一体何人の恋人がいるんだ」

「は?」
 
 言われたことの意味が理解できず・・・というよりは信じられず、グーデリアンは青い目を丸くして自分よりわずかに低い位置にある相手の整った顔を見つめた。
 予想に反し、ハイネルは真面目な表情を浮かべている。メガネごしにも美しいグリーンアイズが真摯な切なさをたたえて自分を見上げてくるのに、グーデリアンは胸をざわつかせないではいられなかった。
 尚もハイネルは言い募る。いつも怒鳴り声ばかりをつむぎ出す唇が、今は胸を震わせるような甘い響きの声を生み出していた。

「辛いんだ。私はお前だけを愛してるのに、お前には多くの相手がいる。私だけを見てくれ、グーデリアン・・・!」

 そのセリフの直後に抱きつかれ、グーデリアンはかつてなかったほどの驚きに見舞われて午後からのマシンテストに支障を来すほどとなってしまった。




 ・・・・冗漫になってしまったが、以上が大体グーデリアンが加賀に説明した内容である。加賀は冷め切ったコーヒーの残りを一気に流しこむと、乱暴な仕草でカップをソーサーに戻した。ついでに近くを歩いていたウェイターにそんな細い体のどこに、と不思議になるほどの追加オーダーを入れ、グーデリアンに対してお前のおごりだからな、と一方的に宣言した。彼からの反論はない。


「つまり、お前の今までの説明から考えると・・・ハイネルがおかしくなっちまったのは、あの時の催眠が解けてないからじゃないかってお前は言うわけだな」

「だってそれしか考えられないだろ!『あの』ハイネルが、オレに迫ってくるなんて!」

「オレはお前が怯えてるとこなんて初めて見たぜ、グーデリアン」

「加賀、おもしろがってないで、オレを助ける気があるのかないのか、そこんとこハッキリさせてくれよ」


 加賀は独特の猫目でグーデリアンを見上げていたが、やがていいぜ、とあっさり承諾した。ただし、もちろん謝礼の請求は忘れない。グーデリアンとハイネルが心配だったのはもちろんだが(むしろ加賀としてはハイネルの方を心配していた)、何より・・・こんなにおもしろい事態に首を突っ込まない手はないではないか。うまくいけばグーデリアンとハイネル、両方からの謝礼も期待できる。

 こうして、加賀はこの奇妙な出来事に巻きこまれることになったのであった。


元のページに戻る
 HOMEに戻る
続きに進む