木星の雫



 「オレの恋人は今木星あたりを旅してるんだ」


 その男はとても魅力的な、口元を歪めた感じの男っぽい笑みを刻んでそう言った。
 場所は「Milky Way」・・・そう、「天の川」という名のちょっと洒落た落ちついた雰囲気のバーで、まだ人があふれて混み出す前の木曜日の夜のことである。
 その男はバーに入ってきた時から異彩を放っていた。異彩と言ったら変だろうか・・・とにかく、妙に人目をひいたのである。
 店内は照明を落としているので本来の色合いはわからないが、恐らくくすんだ感じの金髪をしているのだろう。頭上から振りかかる琥珀色の明かりが彼の髪に落ち、柔らかな色が髪の上で波打ち、踊っている。ちょっと言葉では表現できない何ともいえない色合いが印象的だった。
 非常に長身で、上質なレザージャケットをラフな感じに着こなしているのも恵まれた体躯にしっくりとはまっていたし、何よりも薄闇に包まれているこの場でさえわかる彼の鮮やかな青い瞳は、彼を周りから切り離し、確固たる存在感を与えていた。


 彼はたまたまカウンターバーに座っていたこちらの隣に座り、あいさつのつもりなのか肩をあげてちょっと笑った。男っぽい風貌が、気安い仕草で軽い笑みを口元にのせるだけで少年のようになってしまうのが不思議で、しばらくの間見入られてしまったような気がする。
 我にかえり、あわててスコッチグラスをあげてあいさつを返せば、彼の笑みがますます深くなった。


 そこから、この奇妙な一時だけの友情が始まったのだった。
 

「オレはウイスキーをもらうよ」


 彼はそうバーテンに話しかけ、寡黙なバーテンダーが黙って寄越したウイスキーグラスを軽くあげて感謝の意を表すと、一息にそれを飲み干した。見事な飲みっぷりだ。間髪入れず、再び同じオーダーを入れる。

 青い瞳が印象的な彼は、『オレの名はジャッキー・グーデリアンだ。ナイショだけどオレって実はものすごい有名人だから、オレがカッコいいからって騒ぎたてたりしないでくれよな』などとどこまで本気なのかわからないようなことを口にする。
 確かにどこかで見たことがあるような気もしたが、これだけ印象的な男なのでそう感じるだけなのかもしれない。
 問いただしたい気もあったが、それよりもこの不思議な空気をまとった男の話を聞いてみたい気持ちが先にたった。深く詮索することはせず、ただ手にしたスコッチを味わい、ジャッキー・グーデリアンの話につきあうことにしたのだった。

 彼は話上手で、話題も多岐に富んでいた。表情も身振りも豊かで聞くものを全く飽きさせない。生まれながらにして人を引き付けるものに恵まれている男だった。

 
 それから何度杯を重ねただろうか。それまでとりとめのない話ばかりをしていた彼が、不意に手にしていたウイスキーグラスを目の高さに持ち上げ、長い年月をかけてまろやかに熟成された、その柔らかな液体をまじまじと見つめ始めた。
 琥珀色のその液体は、降り注ぐくすんだ照明を吸い込み、ゆらゆらとさざめいている。少し彼の髪を連想させるような色合いだ。


「なぁ、あんたにはこのウイスキーからどんなものを連想する?何に見える?」

 
 ちょうどこちらの考えを見透かされたようで少しうろたえたけれど、そのまま素直に自分の思ったことを口にした。


「君の髪の色に似てるな」


 短い感想に彼は少し笑い、再びウイスキーを見つめながら、とても不思議な言葉を口にした。


「オレにはこの液体は木星の雫に見える」


「え?」


「オレの恋人は今木星あたりを旅してるんだ」



 こちらの反応を楽しんでいる少年のような顔で笑った後、彼は木星の雫さ、ともう一度繰り返した。
 彼の青い瞳は透明なグラスを、そしてその中でたゆたう液体さえ透かし、遥か遠くに広がる宇宙を見つめているようでさえある。

 そして彼は語り始めた。恋人であるジャッキー・グーデリアンを置き去りにし、たった一人で宇宙を旅している恋人のことを。


 
「オレと恋人は・・・まぁ言ってみれば職場が同じなんだ。で、数週間後には大事な晴れ舞台が待ちうけてるっていうのに、突然旅に出ちまったんだ。オレに何の相談もせずね。もちろん責任感がある人だから仕事には差し支えない時期に戻ってくるだろうけど、それにしてもひどいと思わないか?一言の相談もなしに突然旅に出ちまったんだぜ?」

「君を置いて?」

「そ、オレを置いてさ。でも、出かける時に短いメモを置いてった。『私はこれから宇宙を旅してくる』って、たった一言のメモを」


 ・・・・それから現在まで、このジャッキー・グーデリアンの元には何通かの手紙が届いているという。どれもとても不思議な、・・・不可思議でロマンティックでなぜかほんの少しだけ切ない、そんな手紙が。




 手紙によると、ジャッキー・グーデリアンの恋人はまず月を旅した。



 さんざめく星々の煌きを頼りに、広大な宇宙へと旅に出る。
 深遠の闇と、目もくらむような星の輝きと、絶対的な無音の世界。


 月の海でたわむれ、太陽の炎に思考を焼かれ、地球の重力から放たれてミルキー・ウェイを泳ぎ、彗星を見送る。
 流星群がまたたいて出会いと別れのあいさつを送り、スーパーノヴァを目にし、時の果てへと思いをはせる。
 木星の雫で乾きを癒し、土星の輪で眠りにつく。



 宇宙は完全なる静寂で満たされ、そこでは恐ろしいほど孤独である。星が生まれ、育ち、老い、やがて死んでいくのを見つめながら、広い、・・・ちっぽけな人間からすれば広過ぎる宇宙に意識を泳がせる。



 ジャッキー・グーデリアンがウイスキーグラスを揺らすと、中に満たされた液体が照明の光をキレイに弾いた。
 



「オレにはこいつは木星の雫に見えるけど、恋人にとってはどうやら違うらしい。昨日はこのウイスキーみたいな星を見たんだそうだ」

「ウイスキー?」

「そう。オレの髪のようでもある」

 そう言ってグーデリアンは笑う。笑いながら、彼は歌うように、呪文のように唱えはじめた。

「アルクトゥルス。うしかい座の1等星。オレンジ色に見えるところから麦の穂を連想し、「麦星」と呼ばれることもある。・・・オレの髪、麦の穂みたいだってよく言われるんだ。・・・恋人がくれた手紙がうれしくて何度も読み返してたら復唱できるくらいになっちまったよ」


 シリウス、ベガ、アルデバラン、カペラ、ホマルハウト、レグルス・・・夜空に輝く1等星たち。
 それから太陽系に戻り、冥王星、海王星、天王星、土星をくぐりぬけて木星へ。


「・・・で、今オレの愛しい愛しい恋人は、オレから離れて木星にいるってわけなのさ。衛星イオの観察日記でもつけてるんじゃないか?」


 ジャッキー・グーデリアンの言葉の響きも紡がれる言葉そのものもとても不可解で現実離れしていて、・・・そしてなぜかとても、とても心をひかれるものだった。



「夜空を見上げて、オレは遠くを旅している恋人のことを思い出す。恋人は六月のように語り、春のように耳にし、湖のように笑い、九月のように涙する。手を伸ばせば届きそうな気がするのに遠い・・・はるか彼方の宇宙を、そして恋人を想ってオレはウイスキーを飲み干すんだ。この、木星の雫をね」



 ジャッキー・グーデリアンは語る。深い、愛しさと切なさのにじんだ声と表情で。

 あまりにも壮大な恋物語に引き込まれていたが、不意にひらめくものがあった。
 ・・・何のことはない、彼の恋人は天文観測所かどこかに通い詰めているのだろう。それならば居場所を特定するのは簡単だ。
 
 ジャッキー・グーデリアンが深く恋人を愛しているのはわかった。さぞかし恋人に会いたいと願っていることだろう。
 そこまで考えると、自然にその言葉は口から滑り出していた。


「恋人に会いたいんだろう?手紙の消印を見れば、君の恋人がどのあたりにいるのか予想がつくんじゃないのか?この消印なら、さしづめあの天文台に・・・」



「必要ないよ」 



 グーデリアンは即座に否定した。口元には笑みが浮かんでいる。その表情は屈託のない少年のようでもあり、それでいて何もかもを受けとめることのできる大人の男の顔のようでもあった。
 遠い宇宙を夢見るような青い瞳で、彼は優しい声で言った。


「だって、オレはわかってる。どんなに遠くにいても、・・・どんなに離れてしまっても、オレの恋人は絶対にオレの元に戻ってくるって。戻って来る場所があるからこそ、きっと旅に出たんだ。一人っきりで自分自身を見つめ、自分を探し出す旅に。・・・オレという、いつでも戻ってこられる場所があるから」


 ジャッキー・グーデリアンの声は深く、まるで彼が手にしている年代物のウイスキーのようだった。聞くものの意識を優しく酔わせ、引き入れてしまう不思議な力に満ちている。
 グーデリアンはウイスキーを・・・彼の言う「木星の雫」を一口飲みこみ、この話にピリオドを打つべく再び口を開いた。


「恋人の目を通してオレは宇宙を旅する。恐ろしいほどの孤独感に襲われながら、耐えられないくらいの心細さを抱えながら。・・・この広い広い宇宙でたった一人の恋人に再び出会うために。そしてオレは確信するんだ。オレがこれまでに味わってきた孤独も心細さも、全部恋人に出会った時の喜びのためにあったんだって」



 そうして、彼の不思議な話は終わった。
 魅力的なジャッキー・グーデリアンという男のことと、彼が心から愛しているとわかる恋人のことをもっとよく知りたいと願う気持ちは確かにあったが、一夜の優しい奇跡としてこのまま胸に留めておこうと決意し、あえて連絡先などは聞かなかったし、向こうもそれ以上自分や恋人について語ろうとはしなかった。

 ひっそりとしたバーでこうしてジャッキー・グーデリアンという一人の男と、そして会うことは叶わなかったが宇宙を旅しているという彼の恋人のことを知り、また別れていく。
 夜空を見上げていて不意に美しい流れ星を目にできた時のように、今日のことは淡く美しい思い出として心に残ることだろう。そして、流れ落ちた星の行く末を想うように、ジャッキー・グーデリアンと恋人のことに思いをはせる。


 恐らくジャッキー・グーデリアンも恋人を求めて宇宙を旅することだろう。星が生まれて死んでいく様を目の当たりにし、銀河の流れに目を奪われ、彗星にのって宇宙を旅する。
 あの広い広い宇宙を。たった一人の人と再び巡り合うために。

 ・・・そして彼らは、銀河の果てで愛する恋人に再会できるのだろうか?



 













 長い旅からようやく帰るという報を恋人から・・・ハイネルから受けたグーデリアンは、待ち合わせの時間よりもずいぶん早くに着いて待っていた。ようやくハイネルに会えるのかと思うと心が騒ぎ、そうしないではいられなかったのである。
 女性とばかりつきあっていた頃は遅刻魔で通っていたから、その頃の知り合いが知れば苦笑を浮かべたことだろう。

 いつの間にか、外は雨がしのついていた。グーデリアンはもう閉まったカフェの屋根の下で雨宿りをしながら時計をのぞき込んでいたが、ふと何かの気配を感じたのか顔をあげた。
 待ち人来たる、である。


「ハイネル!」


 満面の笑顔をたたえて駆け寄ってきたグーデリアンの腕の中に、ハイネルはおとなしく収まった。
 そのまま首筋に鼻先を埋められ、きつく抱きしめられると彼の目元が赤く染まったが、それでもためらいがちに彼の白い腕が伸ばされ、グーデリアンのたくましい背中に回される。


「ハイネルだ・・・ハイネル」


 グーデリアンは子供のように無心な声を出し、ハイネルの首筋に埋めた鼻先を左右に動かした。ハイネルがくすぐったがって身じろいだが、もちろん離してやることなどできない。

 彼にとっては久しぶりのハイネルの感触だったのだ。
 ハイネルの甘やかな匂い。なめらかな肌の感触。抱きしめた時にもれる安堵にも似たひそやかなため息。そんなもの全てが懐かしくて愛しくて、グーデリアンの胸はすぐに目に見えないもので満たされていった。

 ハイネルに問いたいことは山ほどあったが、今はもうそれもどうでもいい。
 腕の中にハイネルがいる。それだけで十分だった。


「なぁハイネル」


 ハイネルの下ろしたままの柔らかな髪を優しくすきながら、たった一つだけグーデリアンは聞いた。仕草と同じく、とても優しい声だった。

「オレを置いて一人の旅に出てた間、オレのこと考えてくれた?・・・寂しいって思ってくれた?」

 その問いに、ハイネルはかすかな笑みを口元に浮かべた。
 柔らかくてとても綺麗な・・・目を奪われずにはいられない静かな笑顔を。そして、ハイネルは秘密の喜びを打ち明ける時のように、人知れず野に咲く白い花のようにひそやかに、小さな声でこう言った。



「私は、お前のことを考えるために旅に出たんだ」



 驚いたグーデリアンがわずかに口を開き、何も言わずにハイネルを見つめていると、彼は軽い仕草でグーデリアンの鼻の頭にキスを落としてきた。
 それから、目元に、頬に、唇に。

 風に吹かれた花弁のような、優しく淡いキスだった。



「無性に空が見たかったんだ。それも、夜の空が」



 ハイネルの髪は甘い香りがする。少し離れていたせいなのか、それとも雨の雫に濡れたせいなのか、その香りは記憶とはわずかに違っていてグーデリアンは深く息を吸い込んだ。
 ・・・まるで長い宇宙の旅からようやく大気圏に戻ってきて、やっと呼吸することができたかのように。


「吸い込まれそうな夜空の星を目にして、私は私自身を見つめる旅に出たかった。一人になって、私自身のことを見つめたかった。自分探しの旅だ。・・・そして、ジャッキー・グーデリアン、お前のことを。お前といっしょにいると、いつも私は無我夢中で何も分からなくなってしまう。私自身のことも、お前のことも。だから少し離れて・・・宇宙を旅して、いろんなことを冷静に見つめ直したかったんだ。グーデリアン。・・・・お前がいないところで、お前のことを考えてみたかった」


「ハイネルらしいな」


 グーデリアンは深い笑みを浮かべてハイネルを見つめながら言った。
 それからようやく待ち焦がれていた再会の深いキスを交わす。

 きつく抱きしめ合い、何度も何度も顔の角度を変え、舌を交わらせてキスを繰り返した。甘いハイネルの声がグーデリアンの耳朶を打ち、彼を抱きしめている腕に力を込めさせる。


 長い長いキスがようやく一段落つくと、グーデリアンはハイネルの額に自分の額をあてて美しい彼の緑の瞳をのぞき込んだ。深いキスの名残でその瞳が潤んでいる。
 キレイな光彩が浮かんだその緑の瞳は、まるで二つの惑星のようにグーデリアンの目には映った。この世で一番小さくてキレイな惑星。

 グーデリアンにとっての宇宙はここにある。

 暖かで幸せな気持ちがこみ上げてきて、自然にグーデリアンの口元に笑みが広がっていく。
 

「ハイネル、言い忘れてたことがあったよ」


「何だ?」


 一度軽いキスをし、唇の離れ際に自分だけのひそやかな宇宙に、・・・恋人にグーデリアンは心からの言葉をかけた。


「・・・おかえり」


 それから後は再びキスが深くなり、そして・・・後は雨の幕に閉ざされ、何も見えなくなっていった。


















 数週間後に行われたレースで、グーデリアンは見事表彰台の一角に上っていた。喜びと喧騒に満ち溢れたポディウムをハイネルは見上げている。

 彼が・・・ジャッキー・グーデリアンが頭を振ると、シャンペンに濡れそぼって色を変えた彼の髪の先から雫があたりに散っていった。小さな無数の雫が、日の光をキラキラと弾いている。
 ジャッキー・グーデリアンの輝くような笑顔とあいまって、その雫はこの世で一番小さな星のカケラのようにも見えた。
 またたく間にいくつもの惑星が生まれ、消えていく。


 まぶしいその光景を目を細めながら見つめ、ハイネルはこっそりと自分の胸のうちでささやく。




 ・・・宇宙でたった一人、心細いはずの旅をしている間も、自分はずっと寂しくなかった。
 銀河の果てと果てに離れ離れになったとしても、きっと自分は絶望しない。

 ・・・この思いの行きつく先には、いつもジャッキー・グーデリアンという名の輝く星がいてくれるから。


 







 私は一体どうしちゃったのでしょうか!?(笑)
 まぁでも、理由はよくわかっています。そういう歌があって、その歌をほぼそのままパクっているだけなのです!(笑)すみません・・・毎度毎度・・・。ハイネルが六月みたいに話したり春みたいに聞いたりしてるのも全部そのせいです(そういう詩なのです)・・・・頭わる・・・。

 すごく詩も曲調もロマンティックで私はこの歌が大好きなので、ちょっとロマンティックな話を書きたかったんです。そしたら、ロマンティックからは1456万光年かけ離れたわけのわからない話になってしまいました。痛恨の一撃です。

 今回咸月さんがして下さったリクエスト内容は「お酒に関する話」ということでした。そして、全く出てくるお酒に必然性がありません・・・。
 久しぶりにキリ番のお話を書かせていただいたからだ、と言い訳したいとこなんですけど、私もともとへなちょこ話しか書いてなかったですもんね・・・(笑)。

 咸月さん、せっかくリクエストしていただいたのに相変わらずへんてこですみませんでした。本当にありがとうございました!私が修行しに宇宙を旅して来い!って感じですよね・・・(笑)。
 もう私、皆さんから「恥ずかしい話王」(語感がよくないとこがまたピッタリ・・・)と呼ばれても甘んじて受け入れます。ホントに・・・。

           

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