EVERYBODY HURTS


 今となっては思い出の1ページとなった、もう何年も昔の話。




「あ、ハイネル」


 緑を基調としたS.G.Mのスーツに身を包んだハイネルを遠目に発見したグーデリアンは、喜びいさんで彼の方に駆け寄ろうとした。
 が、思いとどまって足取りをゆっくりとしたものに変える。

 一人たたずんでいるハイネルを驚かせてやろうという魂胆からだったのだが、途中からグーデリアンは息さえひそめ、ハイネルに気づかれないようにと本気で気を遣いながら彼の元に歩み寄っていた。
 グーデリアンにとって、にわかに信じがたいことをハイネルがしていたからである。


 ハイネルは一人、サーキットの脇にしつらえたフェンスに上半身をあずけ、目の前に広がる景色を見つめていた。
 森の中に作られたコースなので、奥まったところにいるハイネルはまず人の目にはつかないだろう。それでなくてもまだ数チームがこの地に到着したばかりで、サーキットにいる人数はそれほど多くはない。
 目がよく、さらにはハイネルの姿を見つけることにかけては誰よりも得意なグーデリアンだからこそ彼を見つけられたと言ってよかった。さもなくばハイネルは、誰に見とがめられることもなく、一人の世界に浸っていられたに違いない。
 その彼はサーキットに背を向け、フェンスの向こうを見ているのだった。フェンスの向こうはゆるやかな丘になっており、眼下に小さな町のたたずまいを認めることができる。


 いつも忙しくしているハイネルが、一人でぼんやりとそんな光景を見やっているのも驚きだったが、グーデリアンにとってもっとも意外だったのは、ハイネルが何か歌を口ずさんでいたことだった。
 しかもドイツ語ではない、自分もよく慣れ親しんだ英語の詩だ。


 ハイネルは聞き取れるか聞き取れないかが微妙なくらいの、とても小さな声で歌っていた。抑えられてはいたけれど、彼の伸びやかな声は緑に染まった森の空気に、みるみるうちに溶け込み、一体となっていく。キレイな声と旋律だった。
 グーデリアンはしばしの間その声と詩に聞き入っていたが、やがて再び歩を進めた。自分もハイネルの歌の後をひきつぎながら。



”When your day is long, and the night, night is yours alone,”


”When you think you had too much of this life,...hang on.”



  グーデリアンの声に気づき、驚いたハイネルが振り向く。


 「ハイネル、歌うまいんだな。ビックリしたよ」


 許可も得ず、勝手に隣へと立ってフェンスに体を預けたグーデリアンに冷たい一瞥を投げると、ハイネルは素っ気無い口調でにべもないことを言った。


「お前はあまり歌がうまくないんだな。予想通りだ」


 ハイネルらしい言いぐさに、思わずグーデリアンの口元に苦笑が浮かぶ。

「言ってくれるよな。オレの歌聞きたがるオンナの子ってすごく多いんだぜ?ハイネルだからって特別にタダで聞かせてあげたのに」
「誰も頼んでない」

 素っ気無い言いまわしもいつものことだ。周囲にはだんだんと『寄ればケンカになるコンビ』として認識されつつあるようだが、このころのハイネルは、グーデリアンを見ればなるべく無視しようとまだ(ムダな)努力をしているころだった。
 そうして、ハイネルが頑なであればあるほど、グーデリアンはちょっかいを出したくなるのである。二人の仲は悪循環、険悪の一途をたどっていると言ってもよかった。
 だが、いつもはからかいの言葉ばかりを連ねるグーデリアンも、この時はハイネルを怒らせるような言葉を重ねなかった。ただ、素直に疑問に思ったことを口にしてみる。
 

「・・・・ハイネル、歌よく歌ったりするの?」
「別に・・・」


 それきり、ハイネルはまたフェンスの向こうに視線を向けてしまう。その仕草はハイネルらしくなく、まるでムリに意識を何かにそらそうとしているかのようだった。どんな時でも、彼はいろいろなことを同時に抱え込み、しかも生き生きとそれらをこなしていた。背は高いけれどもほっそりとした体のどこにそんなバイタリティが隠されているのかと驚かされてしまうほど。
 なのに、今の彼はどこか悄然とし、目的を失って何をしたらいいのかわからないようだった。明らかに彼はいつもと違う。

 それに・・・グーデリアンは、心の中でだけそっと思った。

 ハイネルが口ずさんでいたのは、心が弱くなっている時に歌いたくなるような、そんな歌だった。自分や、そして自分の大切な人が傷ついている時、心を奮いたたせたい時に自然に口元に浮かんでくるような、そんな歌。



 ハイネルの緑の瞳は、相変わらず眼下の街並みにあてられている。なかなかの眺めだったが、どんな景色も今の彼の心を静め、満たしてはくれないようだった。
 グーデリアンはしばらくハイネルの横顔を見つめて何やら思案顔でいたが、やおらハイネルの肩に手をまわした。とたんに容赦のない声がハイネルから飛んでくる。


「貴様、何のつもりだ」
「まぁまぁ、いいじゃんかこれくらい。寒いんだ」

 そう言ってウインクを一つ。それだけでやめておけばいいのに、ついついいらない一言を付け加えてしまった。

「それにしても、ハイネルの肩って薄いよなぁ。ちゃんとメシ食ってんの?」

 
 とたん、まだ比較的穏やかだったハイネルのまなじりがキリリとつりあがった。


「貴様、私をからかいたいだけなら今すぐ消えろ!こっちはそれどころじゃないんだ」
「それどこじゃないって、どうしたんだ?ハイネル」


 グーデリアンの切り返しに、ハイネルは思わず息を呑んで言葉に詰まった。痛いところをつかれても適当な言葉で切り返し、お茶を濁してしまえない正直なところはハイネルの美点でもあり、欠点でもある。
 

「別に・・・何でもない」

 明らかに何でもない口調と表情ではなかったが、グーデリアンは苦笑いを浮かべるだけで、追求をするのはやめておいた。
 この頃の二人は、まだ相手の深い部分にまで遠慮会釈なく踏み込んでいけるような、そんな時期でも間柄でもなかったからである。
 かたくななハイネルの態度に一抹のさみしさを感じていると、ハイネルがまた視線をフェンスの向こう側に戻した気配があった。
 それから、ぽつりと言葉が飛んでくる。



「別に、大したことじゃないんだ。ただ・・・・」
「ただ?」


 うながすグーデリアンの声は、これまでハイネルが聞いたこともないほど優しく、穏やかだった。その口調に励まされたように、ハイネルの唇から短い言葉が飛び出した。

「ただ、レース関係のことがうまくいかなくて、何だか・・・何だか少しいたたまれなくて、ここに逃げてきたんだ」
「ハイネル・・・」

 グーデリアンが何か言いたげな顔をしたのに気づいたのだろうか。ハイネルを先手を打つようにグーデリアンの言葉をさえぎった。


「私が落ち込んだりしてると、おかしいだろう?鬼の霍乱だな」

「何で?おかしくなんかないよ。誰だって落ち込む時はあるさ。オレだってさ、こう見えてレースの後にはいっつも落ち込むんだぜ?”ああ、やっぱりアメリアちゃんじゃなくて、シンディアとデートしとけばよかった。そうすりゃこのレースだって勝ててたのに”ってさ」

 予想外のセリフだったのだろう。ハイネルは少し目を丸くしたが、やがてほんの少しその目元が優しくなった。不器用なりにグーデリアンが自分をなぐさめようとしてくれているのが、彼にも伝わったのかもしれない。


「冗談はさておき、ホントだよ。誰だって泣きたくなったり、自分のことがイヤになったり、すべてを投げ出したりしたくなったりする時ってあると思うんだ。エラそうに断言できるほど、長い人生生きてないけど。オレがこの前泣きたくなったのは、あの時だな・・・・やっぱりレース関連。インディ第3戦だったかなぁ?マシンテストをやってたんだけど、オレが”絶対このセッティングに変えた方が速い”って主張してるのに、オレがまだ若いからってだけの理由で誰も耳を貸してくれなかった。くやしくてくやしくて・・・”デートの約束を思い出したから帰る!”って言い捨ててそのままホテルに戻って、シーツひっかぶって泣いてたよ」

 

 『いやー、あの時は若かったなー』などと、まだそれから2年しかたっていないというのにグーデリアンは物知り顔でうなづいてみせたりしている。


「オレ、ハイネルはすごいと思う。何でも自分でできるし、しっかりとした自分の意見を持ってるし、マシンのことだってレースのことだってよくわかってる。でも・・・だからって、弱気になっちゃいけないコトないと思うんだ。人間なんだからさ、たまに落ち込んだりするのも自然じゃないか」


 グーデリアンは、ハイネルの顔を見ず、ハイネルがそれまでそうしていたように、フェンスの向こうの景色をにらみつけるようにしながら、自分の思いを正確に伝えられるよう、一言一言を噛み締めるようにして口にした。
 そして、ハイネルの肩に回していた腕に力をこめる。


 ハイネルの背中に回り、肩にかけられたグーデリアンの腕は、暖かかった。ハイネルはいつのまにかグーデリアンの腕を振りほどこうとすることも忘れ・・・それどころか、その腕を心地よく感じている。グーデリアンの腕は冷たくなっていた心まで暖めてくれるような、優しく力強いぬくもりに満ちていた。
 ハイネルの顔を見ないまま、グーデリアンは歌を歌った。ハイネルが口にしていたあの歌を、小さな声で。まるでハイネルではなく、自分自身に言い聞かせるように。


『If you feel like you’re alone, no, no, no, you’re not alone.

 Everybody hurts,sometimes,everybody cries.Everybody hurts...
 Sometimes...hold on,hold on,hold on,hold on,...Everybody hurts...』



 ゆっくりとした旋律にのって届けられる数々の言葉。決して装飾的な、文学的な言葉ではないけれど、朴訥で誠実さに満ちあふれた言葉だった。どんなにレトリックをこらした美しい文体でなぐさめられるより、飾りけのない、シンプルで不器用なほどの言葉の数々がこんな時にはストレートに心に響くのだということを、ハイネルはこの時初めて知った。
 

 
 ”時にすべてを投げ出してしまいたくなることがあっても、耐えるんだ。
 孤独だと感じられることがあっても、キミは一人じゃない。
 誰だって傷つくんだ。ときには誰だって泣くんだ。誰だって・・・・。”




 いつの間にかグーデリアンは歌うのをやめ、顔を戻してハイネルを見つめていた。
 ハイネルの形のいい唇がわずかに開き、何かを言いかけたが言葉にならずに終わる。

 グーデリアンは無言でハイネルの背中に回していたのとは逆の手を伸ばし、暖かい手でハイネルの頬を包んだ。



「ハイネルみたいに強い人だって、時には泣いていいんだよ」



 ハイネルの緑の瞳が見開かれる。グーデリアンが指先で何度か彼のなめらかな頬をなでた。

 まるでその仕草を待っていたかのように、澄みきったハイネルの瞳から、一筋涙がこぼれ落ちた。
 まるで夜空をかける彗星のように、すうっと現れ、消えていく。

 最初の涙がこぼれるとすぐに目の縁に新たな涙が盛り上がり、ハイネルが長いまつげを伏せると押し出されてこぼれ落ちる。
 透明な涙のしずくはとてもキレイだった。ハイネルの心そのもののように、何の汚れもなく、透明な美しさに満ちていて目をひかれずにはいられない。
 



 しばらく声もなく泣いていたハイネルの涙が止まると、涙の跡が残る頬に、グーデリアンは口付けた。
 濡れた緑の瞳を見開いてハイネルがグーデリアンを見つめてきたが、グーデリアンは答えず、ただ優しく穏やかな笑みを浮かべてもう片方の頬にもキスを落とした。


「グーデリアン・・・」

 まだビックリしたように目を丸くしたままで自分を見つめてくるハイネルが子供みたいでかわいくて、グーデアリンの笑みが深くなった。実際、どんなに大人びて見えていても、しっかりしているようでも、ハイネルだって一人の人間だ。
 まだ少年期と青年期のはざまを生きている、ゆらゆらと不安定な時代を、彼は毎日懸命に生きているのだ。背筋を伸ばし、肩を張り、風を切って歩いて誰からも目をそらさずに。

 それはハイネルが強いからじゃない。強くありたいと願っているからだ。


 彼が他のどんな人間よりも強く、しっかりしているように見えるのは、彼がそうあろうと努力しているからだ。決して生まれながらにしてすべてに恵まれ、挫折を知らずに生きてきたわけじゃない。生まれた時から強い人間なんていやしない。

 その証拠に、ハイネルは今たった一人、肩を震わせて耐えていた。押し寄せてくる無力感や敗北感に。たった一人で。
 いつものように、ピンと背筋を張って、まるで挑むように前を見据えて。



 そんなハイネルの一面を知ることは、グーデリアンに一種の切なさと、そして保護欲、さらに優越感のようなものをもたらした。
 今、ハイネルの、・・・・とても強い人のように思われているハイネルのこんな弱い一面を目にしているのは、世界中で自分だけなのである。

「何も特別なコトじゃないんだよ、ハイネル」


 グーデリアンの言葉は、優しい春の日差しのように、ハイネルの心に穏やかに染み込んでいった。


「キミだって、もちろんオレだって。誰だってみんな傷ついたり、泣いたりするんだ・・・」



 

 


 
 どれくらいたっただろう。やがてグーデリアンの腕の下にあったハイネルの肩が、わずかに身じろいだ。
 そろそろ戻らなくてはならない頃合いだということに気づいていたグーデリアンも、素直に腕を解いてやる。
 そうして、ハイネルが別のことに気をとられていそうな時に、そっとつぶやきをもらした。



「・・・・・次にハイネルが何かに悲しんでて、誰かにそばにいてもらいたいと思った時にも、そこにいるのがオレだったらいいのにな」


「え?」

「・・・・・・・何でもないよ」



 その時ハイネルが目にしたグーデリアンの笑顔は、少年そのものだった。何か楽しいたくらみごとでもしている時の子供のように、生き生きとした、それでいてひとクセありそうな笑顔だ。
 いつもはそんな表情を目にすると『また何かからかわれるのではないか』ととがった気持ちになるハイネルも、今だけは違った。
 今日は大キライだったはずのジャッキー・グーデリアンのことをほんの少しだけ、・・・・そう、ほんの少しだけスキになれたような気がする。
 だからお礼の言葉も、驚くほどスムーズに口から滑り出していた。

「グーデリアン・・・ありがとう」

 すると、グーデリアンは照れたように一瞬頬を赤らめたが、驚いたように自分を見つめているハイネルの視線に気づくと、顔を落としてガシガシと髪をかきあげた。顔を再びあげた時には、もういつもの不敵な表情に戻っている。


「今度は、オレが落ち込んでる時にハイネルがなぐさめてくれよ」

「そうだな・・・・今度は、私がお前のために歌ってやってもいい」

「ホント?」

「ま、・・・・気が向いたらな」

「イエーイ、次に落ち込む時が楽しみになったぜ!」

「楽しみにしていたら落ち込んだことにならないだろう?」

「そういえばそうかな・・・。ハハハ、次に落ち込むのが楽しみだっていうのは、確かにヘンな話だよな」



 ・・・たわいもない言葉をかけあいながら、二人は肩を並べてサーキットへと戻っていった。
 もうハイネルの足取りはしっかりしている。恐らく彼ならば、たとえあの場にグーデリアンがいなかったとしても上手に自分の感情をコントロールし、何とかとりつくろっていくこともできただろう。


 けれど・・・グーデリアンの存在が、少なくともあの場でハイネルの大きな支えになったことは確かに違いない。

 二人は、友人として支えあうことができる。

 そう・・・今はまだ、友人として。
 

 この先にどんなことが待ちうけているのか彼らには知るすべもなかったが、二人ならきっと、どんな激しく荒い波も超えていけることだろう。
 さりげなく伸ばされたグーデリアンの左腕が、軽くハイネルの右腕をつかんでいる。

 服越しに伝わってくるその暖かさを、珍しくハイネルは素直にいいものだ、と感じていたのだった。




 凝りもせず、またR.E.Mですよ・・・・ごめんなさい(笑)。ちょっと前までスティング週間だったのですが、今はR.E.M週間らしいです。←私にはよくあることなのです・・・。恐らくそのうちバックストリートボーイズやブライアン・アダムス、ニュー・ラディカルあたりを変遷し、またスティングに戻っていくことでしょう(笑)。

 R.E.Mの歌は特殊(?)で、決して万人にすすめられるものではないんですが(すんごい暗い歌多いし・・・)、この歌だけは別です。”Everybody hurts”!詩といい曲といい、彼らのとても優しい気持ちが伝わってくるような感じで大スキです。10年以上前にグラミーで何か賞をとったように記憶しています。機会があったらぜひどうぞ!・・・と言いたいトコですけど、そんな機会ないですよね(笑)。

 私はB.G.Mに話の内容をメチャクチャ左右されるタイプなので、最初はもっと明るいお話を書こうと思っていたのに、気づいたらこんなに暗いお話になってしまいました・・・。『歌を口ずさんでるハイネル』でリクエストを受けて、これだけ暗いシチュエーションに話を持っていける自分のアマノジャクさ加減に乾杯!(笑)

 といきゃっとさん、ありがとうございましたー。8000番ですね!?といきゃっとさんはけっこううちのキリ番踏んでくださってるので(すみません・・・)、リクエスト考えるのも大変かと思います。いつもありがとうございます。
 そして、いつも十分に応えることができなくてごめんなさい!『進歩』や『発展』という言葉、どうやら私には無縁のようです・・・。


                          

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