それは、心地よい風が吹き抜けてゆく感覚に、とても酷似していた。
目の前を、独特の音を轟かせてサイバーカーが走り抜けてゆく。
これまでの『車』という概念を覆したシステムを搭載したそれは、トップスピードでは音速に近いほどの数値を叩き出すことも可能なほどの速さで、だから鍛えぬかれた動体視力を持ち合わせていなければ、爆風と間違えてもおかしくはないくらいだ。
その強い風を受けてふわりと一瞬だけ浮いたテンガロンハットの下から、少し長めに伸びたくすんだ金髪をのぞかせ、大き目のサングラスで顔の半分を隠した男の唇の端が、僅かに上がった。
Tシャツ1枚だけに覆われている、一見して鍛えられていると分かるその体躯は、けれどまだ発展途中の少年と青年の間くらいを思わせる若さを惜しみなく晒しており、同時に隠せないほどにあふれた自信をゆったりとみなぎらせる彼は、見る者に若獅子といった感じを抱かせるだろう。
その青年は、走り去った車の消えたコースの失焦点を見て満足げにひとつ軽く頷くと、ずれた帽子の角度を直しながら踵を返しかけ、だが、降りそそぐ陽光を仰ぎ見るように顎の角度が上げられた瞬間、片手がまだ頭の上にある状態のまま、すべての動きを止めた。
その顔の向く先、まだ人気のない閑散としたスタンドに、佇む人影がある。
遠目で見てもほっそりとした体つきは、膝丈ほどもある薄手の白いロングコートで覆われており、気まぐれに裾を揺らす風を気にもとめず、その人は彫像のようにコースを凝視していた。
短めに切りそろえられたココアブラウンの髪が明るい陽光を弾き、その下に見える肌は眩しいほどに白い。
すらりとバランスよく見えるのは、頭身が高い所為だろうか。
「サイバーに、興味があるの?」
なるべく自然に視界に入れるように若者は近き、サングラスを取りって晴れわたる空よりも蒼い瞳で屈託なく笑いながら声をかけた。
隣に立てば、けっこう背が高いことに気付く。
青年は決して小さい方ではなかったが、その人は更に指3本分ほど、高かった。
そして、ちらりと侮蔑と警戒心を隠そうともせずに見返してきた瞳は、鮮烈なかがやきを持つ緑柱石色。
その瞬間、青年の中を、心臓を鷲掴みにされたような感覚が突き抜けた。
だが、青年の上にその視線があったのは僅か数秒にも満たない短い時間で、すぐにそれは正面へと戻ってしまい、残念に思った。
「俺はさ、ジャッキー・グーデリアンっていうんだけど」
だから、もう一度その瞳が見たくて、青年は名乗ってみた。
「来年か、遅くても再来年には、俺もサイバーのレーサーになるつもりなんだ」
恐れを知らぬ少年の無謀さとも取れるその弾んだ口調は、夢を見るものに与えられた特権だ。
それを受けるシルクのようにすべらかな肌には、ほんのわずかな化粧すらもされておらず、グーデリアンの言葉にほんの少しも反応を示さないひきしめられた薄い唇は淡い紅色。
横から見ているだけであっても、広めの額、きれいな曲線を描く眉、通った鼻筋、流形線の顎と視線でたどれば、神の手によって造られたと思わせるほどに整っていると分かる。
背の高さやその細い身体は中性的で、ほぼ全身がコートに覆われている所為もあって、俄かには判別がつきにくい。
女性にしては肉づきが薄いからか少々尖った印象を受けたが、けれど男性と思うにはかなり華奢で。
「時間があるなら、未来のトップレーサーとコーヒーでも飲まない、レディ?」
レース期間中ともなれば、レースそのものに興味はなくてもレーサーのファンという女の子もたくさん来るから、それなりにサーキットには花があふれるが、まだ開催までに日数があり、全チームがピットに揃っていないくらいの今の時期では、関係者以外にここに来るものは滅多にいない。
以前は男社会だと思われていたレース界にも、今は当然のように女性も参画しているから、まだテストドライバーが操る本物ではない走りを、それでも射抜くように真っ直ぐに見つめていたその瞳の真剣さとあわせ、おそらくどこかのチームのクルーだと推測したのだ。
そして、レースに関係する人ならば、始めたばかりのインディでいきなりタイトルを覇した自分の名に反応するだろうことも、期待した。
何よりも、グーデリアンの中の雄が、女性だと、告げていた。
たとえ僅かな時間であっても、心を寄り添わせるのに足る人だと。
グーデリアンの野生の勘とも言うべき感覚は、鋭い。
けれど。
予想していたような反応は、なかった。
というよりも、反応そのものが、なかった。
まるで誰も周りにいないかのように、それからもしばしコースを食い入るように見つめていたその人は、グーデリアンのほうを一瞥もせず、薄地のコートの裾を軽やかにひるがえして立ち去ったのだ。
「やって、くれるじゃん」
たたき出した自分の結果と共に、ティーンエイジャーとは思えないほどの女性遍歴をあわせ持つグーデリアンは、それなりにもちろん自負もあったのだが、その自分を悔しさすら湧かぬほどにきれいにふってくれたのだ。
今までにない手強い相手には、かえって嬉しくもなろうというもの。
どちらかといえば、抱きしめるなら豊満でやわらかな身体を好むグーデリアンに、風に掻き消えそうなほどに静かな靴音のみを残したその身体はあまりにも細く映ったが、それを差し引いてもなお、あの澄んだきつい瞳に焦がれたのだ。
たった今、出会ったばかりの人で、名前はおろか、一言の声すらも聞いてはいないのに。
掌中に欲しいと、思ったのだ。
ミドルティーンの少年が、2年目にしてすでにインディのタイトルを獲得できてしまった容易さに興味を無くし、サイバー界を次なるターゲットに!
大々的な見出しと共にグーデリアンがマスコミ業界を騒がせたのは、あの衝撃的とすら思える出会いから1年後だった。
その外見は、年齢に比してふてぶてしさの勝った、けれど彼の出した結果を見れば頷かざるを得ない態度で。
「要は、速ければいいんだろ?」
そう言って笑った顔は、世間知らずな少年の無鉄砲さと高みを目指す男の自信とが微妙にブレンドされていた。
海千山千を超えてきた大人たちの不躾な視線にも、たじろぐことなく堂々とこなす姿は、感嘆すべきものだ。
だが、記者たちの差し向けるマイクに対して、たった1つの質問にだけ、真摯な瞳の色を見せたものがあった。
「ここに、探している、人がいるんだ」
なぜ、F1やその他にも数多くあるレースの中からサイバーという世界を選んだのかという、ある意味おざなりなものだったにも関わらず、グーデリアンは見ているもの全員が切なく感じてしまうほどにその瞳の蒼を深くしたのだ。
「ミスター・グーデリアンが探しているというと、もちろんそれは女性なのですよね?」
「どういったご関係の方なのですか?」
「容姿を詳しく聞かせてもらえませんか?わが社が総力をあげて探してさし上げますが」
「その方を知ったきっかけというのは?」
恰好のネタだと色めき立ち、嬉々として質問を浴びせる記者たちに、けれどグーデリアンはそれ以上を語らなかった。
ただ、その唇の端に、野生獣の舌なめずりを思わせる笑みを刷いたのみである。
ZIPレーシングのエクスプロゼを視界に認め、グーデリアンはにやりと笑った。
並居る強豪たちの中で、若いグーデリアンと唯一同年代の青年が駆るそれは、どんなときでもグーデリアンの血を熱く滾らせるのだ。
速ければよい。
どこまでも強引で力で押すようなドライビングをするグーデリアンを鼻で笑うように、緻密な計算のもとに完璧なラインをとって走るドライバーの名を、フランツ・ハイネルという。
グーデリアンのマシンをミラーごしに見つけたのだろう、ハイネルのドライビングが、わざと隙を見せ煽り立てる、グーデリアンの闘争心を焚きつける類のものに変わった。
「そうこなくっちゃね」
ヘルメットの中で頬が緩み、ステアリングを握る手を数度握り締める。
たとえそれがタイヤをあたためるだけの走行のときでも、たとえそれが重要なタイムアタックの最中であっても、瞬時に心から楽しめるレースになるのが、命とプライドを賭けたハイネルとのバトルだった。
初対面から、彼の印象は最悪だった。
グーデリアンよりも1年早くこの世界へ入ってきていたハイネルを、初めてのレースである第7回グランプリ開幕戦の直前に、マスコミを介して紹介された。
「おふたりで、握手なんてした写真を撮らせてくれませんかねぇ」
なんでも、年は半年しか違わないふたりなのに、これまでのグーデリアンの走りと昨年のハイネルとを比べ、そのタイプの違いにおもしろさを感じたのだろう、勝手にライバルと決められているらしい。
グーデリアンとしては、そんなものに興味はなかった。
目指すのは、覇者の地位のみ。
叩きのめすのは、現在の王者であって、年が同じだかひとつしか違わないだかというひよっこは眼中にないのだ。
けれど、そう大きく構えていた自信が、ハイネルに出会った瞬間に塗り変えられた。
カメラマンや報道記者の屯する用意された部屋に入った途端に感じた、背筋がぞくぞくするくらい冷ややかな気配。
ハリネズミが威嚇しているかのようにがちがちに立てられた髪と、まるでエリートコースをまっしぐらに目指すビジネスマンのような細いフレームの眼鏡で武装したその姿。
その眼鏡の奥でどこまでも冷たく感情を表さない瞳は、残念ながら反射したレンズの所為で色はわからなかったが。
並び立てばほぼ同じ背の高さはあるのに、そのスピードにともなうGに耐えられるのかといぶかしみたくなるほど細くぎすぎすとした身体。
そして。
「女のケツを追いかけているような輩など、私のライバルではない」
グーデリアンのほうをちらとも見もせずにそう言いきったときの、蔑みすら含んだ低い声。
絶対零度の冷たさの中に閉じ込められた、灼熱の炎。
どくん、と。
心臓がひとつ大きく鳴り、我知らずに乾いた唇を舐めた。
触れられないもの。
うかつに手を出せば、こちら側により被害をこうむるような。
けれど、ここではいそうですかと引いてしまっては、グーデリアンの名が廃る。
昔から、駄目と言われれば余計にしたくなった。
無理だと言われれば、意地でもやり遂げたかった。
そんなグーデリアンだから、触れるなと言われるのは、どんな犠牲を払おうとも鷲掴みにしてみろというのと同意語だ。
鼻でせせら笑うようにお高くとまっているならば、そこから引きずり降ろすまで。
「いい気になンなよ」
わざと粗野な言い方をすれば、想像どおり、嫌悪の色を隠そうともせずに睨み返してきた。
その、翡翠色の瞳の、深さと透明さに。
らしくもなく、グーデリアンの心臓が悲鳴をあげた。
そのままグーデリアンとの時間など勿体無いといいたげに音もなく踵を返して立ち去るその後姿は、グーデリアンに1年前の出会いをフラッシュ・バックさせる。
「ハハ、まさか、な…」
あのときの人は、グーデリアンよりも僅かに大きかったが、女性だったはず。
だが、今目の前にいたハイネルは、グーデリアンとほぼ同じか、僅かにグーデリアンのほうが勝っていたくらいで、紛れもなく、男、だ。
誰にも聞かれないように口の中だけで否定の言葉を呟いてから、ずらりと並ぶ記者たちに向かって大袈裟に肩をすくめて見せた。
「ミーは、嫌われちゃったのかなぁ?」
わざとらしく嘆くふりをして笑いを提供し、胸中を暴かれる前にグーデリアンも自分のチームへと戻ったのだった。
そのあとはもう、条件反射のようなもので。
ハイネルの姿を見れば、その仮面のような表情を壊してやりたくなる。
ハイネルのマシンを見れば、バトルを嗾けずにはいられない。
いちいち突っかかってくるグーデリアンにハイネルはどう対処していいのか分からないようで、苛立ちも露に、困惑げにひそめられる柳眉を見るたびになぜだかグーデリアンは嬉しくなるのだ。
「はぁいねるっちゃぁーん」
何戦目かで思ったようにタイムが出せて上機嫌だったから、視界の隅を掠めていった御仁にいつものように声をかけた。
その声が届いていないわけでもないだろうに無視して通り過ぎてゆくハイネルの姿は、グーデリアンにしてみればいつものことなのだ。
だから、わざわざそばまでスキップをしながら走り寄り、自分よりも下位にスタート位置を取った相手をからかってやろうとほくそえむ。
が。
肩を叩こうと伸ばした手が相手に届く前に、それが崩れ落ちた。
「え?」
見れば白い顔はまるで蝋人形のように色をなくしており、広めの額にはうっすらと汗をかいている。
レーシングスーツに覆われているその背中がかすかに震えているのを認めれば、いくら相手が気に入らない相手であっても放っては置けない。
「だ、大丈夫か?」
からかう色をその声から消し去って問うたが、最初の目的とは違う意図で肩にかけた手は、容赦ない力で振り払われた。
「放っておいて、もらおう」
荒い呼吸のすき間から、それでも気丈に言い放った言葉は本人が思ったよりも弱々しかったらしく、小さく舌打ちの音が続いた。
けれど、その瞳だけは、ぎらぎらとグーデリアンを睨みつけ、僅かな隙も見せまいと強がる。
うっかりとグーデリアンがそれに見とれている間にハイネルはゆっくりと立ち上がり、僅かに上体を前かがみにしながらもモーターホームの方へと去っていった。
その一件から、ハイネルの態度が変わった。
よくなったわけでは、決してない。
けれど、これまでは完全にグーデリアンの存在を無視しつづけていたのが、ちょっかいをかければ拳で返してくるようになったのだ。
どうも、自分の弱った姿を見られたのが気にいらず、あくまで『強さ』を表したいらしい。
グーデリアンにしてみれば、これは大きな一歩である。
何にむかって、とは、考えないようにしたけれど。
しかも、雑誌に載るおざなりな彼の、ヨーロッパの由緒ある家柄のお坊ちゃんであるという経歴からは考えられないほどの重さが、その拳にはあったのだ。
グーデリアンの方は、もともとがガキ大将がそのまま大きくなったようなタイプだから、身体を張った喧嘩など、もしかしたら女性を扱うよりももっと得意で、素手でのタイマンならば誰にも負けないという自信さえある。
そのグーデリアンに、ハイネルは全く引けを取らなかった。
筋力的にはグーデリアンに及ばないものの、いやだからこそなのか、護身術を彷彿とさせる、確実に急所ばかりをきっちりと狙ってくるハイネルのスタイルには、何度もグーデリアンは、小さくもなく毛まで生えているんじゃないかと思われている心臓をひやりとさせられた。
さらに、ウェイトの所為か、ハイネルのフットワークは驚くほど軽い。
レースで仕掛ければ、本能のみでマシンを駆るグーデリアンの先をきちんと読んで牽制してくるし、拳同士での喧嘩ですら互角以上にわたりあえる。
こんな相手に、わくわくするなという方が、無理だろう。
グーデリアンの意識は、自分でもそうと気がつかないほど、いつの間にかハイネルにだけ向けられるようになっていた。
第7回、第8回と、ハイネルの成績はいまいちふるわなかった。
完走率は高いものの、どう見てもハイネルの細い身体ではマシンに振り回されているようにしか見えないのだ。
どうしてそうまでして、とグーデリアンは不思議でならない。
その答えは、数年後にしか明らかにはならなかったが、このときのハイネルは昼間はドライバーとしてマシンを駆り、夜は誰にも言わずにひとりでマシンのデザイン・設計に時間を費やしていたのだ。
グーデリアンほどの体力をもってしてもかなりきついドライビングを、まったくと言っても過言ではないくらいの休息のみでこなしていたハイネルは、このとき、ほとんど意志の力だけでマシンを駆っていたのだろう。
第9回を、ようやくそれなりの成績を残したハイネルは、そこでようやく踏ん切りがついたのか、翌年、チームSGMへ移籍した。
そこはハイネルの父親が経営する会社が資本のチームで、だから周囲からは、今までのところではぱっとした成績を残せなかったハイネルに対し、親の庇護のもとで走る意気地なしだとか、七光りを利用するだけの道楽レーサーだとか、かなりの辛辣な言い方をした。
けれど、顔を合わせれば乱闘騒ぎを起こす、お世辞にもまだ仲がいいとはいえない間柄のグーデリアンだけは、気がついていた。
ハイネルのその手にあるのが、ステアリングを握るために出来るタコだけではないことを。
チームクルー以外では、唯一、ハイネルとの物質的な距離が近かったからかもしれない。
もともとハイネルは、面倒くさいほどに長い名前の肩書きを多く持つ頭脳派である。
だから、極秘にされてはいたから実際には何をしているとまでは分からなかったけれど、ただのドライバーとして籍を置いているわけではないことは、想像できたのだ。
周りの雑音を相変わらずの仮面でシャットアウトするハイネルを、グーデリアンは知っていて、わざとこれまでどおりちょっかいをかけてはすでに名物とまで言われるようになってしまったどたばた喜劇を演じた。
そうすることが唯一、ハイネルを尊重することだと、頑なに信じて。
そんな中で、思い出すのもつらい、忌まわしい事件は起きた。
表沙汰にもならず、関係者以外にその事実も真実も知る者はない。
だが、その事件がグーデリアンの人生を狂わせ、大幅に進路を変更することになったきっかけであることは、紛れもない事実だ。
第10回グランプリシーズンの真っ只中、命の時間を削りあう激烈なレースの直後、何者かに乱暴され意識のないハイネルを、グーデリアンは発見し介抱した。
とっさに自分が取ったホテルの部屋へとかつぎ込み、服とは呼べなくなったボロ布を取り去って身体を拭いてやっているときに、その肌に目を奪われた。
そのきつく他を威圧するほどの強さを持つ外見からは想像もできないほどに、白く細い肢体。
同じ男であると分かっていながら、触れたい衝動を押さえるのに苦労したのだ。
自分が好きなのは、やわらかく包み込む女性であったはず。
けれど、驚きはそれだけではなくて。
立ち上がるのもきついであろう事はわかっていたけれど、それでも気丈に立ち上がるのを止めることをせずシャワーを浴びさせて。
意識のない身体を抱き上げるときに拾い忘れた眼鏡もなく、彼の戦闘スタイルである整髪料もすっかり洗い流して、戸惑いがちにバスルームのドアから出てきたハイネルに、グーデリアンは呆然とすることしかできなかった。
「嘘、だろ…」
そこに立っていたのは、もう何年も探しつづけたあの人。
間違えようもない。
ココアブラウンの髪、シルクのようにすべらかに白い肌、鮮烈な緑柱石色の瞳。
さらりと、グーデリアンの中を通り過ぎるだけで、その姿をグーデリアンに焼き付けた、初めての人。
うっかりと、グーデリアンはまだ自分が成長過程で背が伸びていることを失念していた。
惹かれる、はずだ。
一瞬にして心を奪った人も、その存在を強烈に己に刻みつけた人も、同じ人物だったのだから。
はじめから、すでにグーデリアンはハイネルに囚われていたのだ。
今更もう、足掻くことも、もはやできなかった。
それからしばらくの時間を費やして、グーデリアンは己の中の気持ちをすべてハイネルに吐露した。
男同士だからとか、世間体とか、そんなものを構ってはいられない。
欲しいものは、手に入れるまで。
けれど、ハイネルからの返答は、グーデリアンの予想を越えたものだった。
「やっと言ったな」
にやりと。
そりゃもう、妖艶、という言葉がこれほどにしっくりくる笑みをグーデリアンは見たことがなかった。
「やっと…?」
「そう、やっと」
私としたことが、これだけのことにずいぶんと時間を浪費してしまったな。
なんてぼそりと言うから、グーデリアンはさらに混乱した。
「その言い方って…」
もしかして、ハイネルが俺を欲していたということなのだろうか。
「そう聞こえなかったのなら、私の言い方が悪いのだろうな」
貴様の喋るブロークン・イングリッシュは、さすがに語学が得意な私でも苦手だから。
なんだか貶されているのかも、と思いつつ、それでも、
「この蒼に、魅入られたのだ」
うっとりというハイネルが、とても綺麗で。
「なのに貴様は、私をこともあろうか女として声をかけてきたから」
だから、その容姿を変えたのだと。
「これまでだって間違われたことは何度もあったから、なのに、なぜだろうな、おまえにだけは腹が立ったのだ」
対等で、いたかったからかも知れない。
あの時、ハイネルが見ていた景色の中にいたグーデリアンは、覇者たる威厳すらをも身に纏った、サーキットの若獅子に見えたのだと。
グーデリアンの小麦の穂のような髪の中に、そのオイルの染み付いた、けれどグーデリアンにとっては誰よりもきれいな指先を滑り込ませて言った。
己には見えていた限界をも、鼻先で軽く蹴飛ばして雄々しく進む、理想の体躯と有り余るほどの自信、飾り物ではないテクニック。
「その存在を欲したのは、だから、私のほうが先だ」
彼の目の中に、己の存在を焼き付けて、彼の視界から他のもの一切を拭い去りたくて。
「その挑発に、俺は見事にはまったわけだ?」
「ついでにもうひとつ、挑発してやる」
耳元に唇を寄せ、ハイネルは喉の奥で笑った。
「私だけの、ドライバーになれ」
高飛車に、そして妖艶に笑って見せるハイネルの淡紅色の唇に、ああもう、あんたにはかなわねぇ!とグーデリアンは優しいキスを落とした。
第11回グランプリ。
かつてのライバルが手を組んだと、シュトロゼック・プロジェクトという名のチームが一大センセーションを巻き起こすことになる。
サーキットを、今も風が吹き抜ける。
ホントにどーでもいーことで申し訳ないのですが私はグーと同じ5月生まれで、といきゃっとさんがお誕生日プレゼントとして(と勝手に認識)お話を下さいました!しかも私が読みたかった、『ハイネルのことを女性と間違えてナンパしたグー』のお話です。感激です。といきゃっとさん、本当にありがとうございました!
といきゃっとさんのお話は、どんな内容であっても筆致が非常に優しいように思います。文章が柔らかいので、切ないお話だと余計に切なくなっちゃうのですが・・・(「たにん」や「ろくさーぬ」とか)。
あと、といきゃっとさんのお話を読んでるといつもハイネルをそれこそぎゅっと抱き締めたくなるのでした。何ていうか、といきゃっとさんのハイネルっていろいろ辛いことや大変なことを抱えつつも誰にも頼るまいとがんばって一人背筋を伸ばして生きている、という感じがして、思わず「支えてあげたい!」と思ってしまうといいますか。ハイネルにしたらいい迷惑かもしれないんですけど(笑)。
でも、といきゃっとさんの心の広いグーを見ていると、グーもひょっとしたらそんな気持ちだったりするのかな、なんて思ったりもするのでした。
でもこのお話のハイネル、最後がカッコいいですよね!支えてあげたいなんて思ってたら思い切り足元をすくわれてしまうかもしれません。でもそこがまたカッコいい!
「たにん」と一緒に読ませていただくとお話世界がさらに広がって素敵です。
といきゃっとさん、改めましてありがとうございました!