SHALL WE DANCE?


 紳士淑女のざわめきたつ会話を、耳から流しながらフランツ・ハイネルはレセプション会場となっているホテルの広間で壁の華となっていた。
 格式ばる主催者の意向でなのか、フォーマルなパーティである。
 レースの終わった後に開かれているパーティは、常のレーサー達も和んでいるようだった。
 皆、タキシード姿であるのは多少窮屈そうであるが、やはりバトルの後では一息つけるものなのだろう。いつもならば、もう少しくだけた感じで行われるパーティは完璧にヨーロッパの社交スタイルであった。
 ハイネルの眼に、踊っているジャッキー・グーデリアンの姿が飛び込んでくる。
 流れているのはワルツか。グーデリアンがワルツというもの不似合いな感じがして、ハイネルは小さく苦笑する。
《まあ、あいつでも一曲くらいは踊れるはずだ…》
 パーティ好きのグーデリアンが踊れないわけはないかと、考え直し手にしていたシャンパンを飲み干す。
 曲が終わり、踊っていた人々が退けてくる。
「やあ、ハイネル。どうだい?君は踊らないのか。」
 人波をぬって、現れたのは巨体を小さくしながらハイネルの横へと立ったブーツホルツだった。
「いや、私は…。シューマッハは一緒ではないのか?」
 踊らない、と肩を竦めてブーツホルツの相方である青年の所在を尋ねた。
「いまハヤト達に捕まってな。」
 顎で指し示すブーツホルツの目線をたどれば、ハヤト達に纏わりつかれている青年の姿がみえた。
 そこへグーデリアンが、人波を器用にかき分けてシャンパンを両手にもってハイネルの前に現れた。
「ブーツホルツのだんな。便利だな、すぐどこに居るのか判るぜ。」
 壁の華となるハイネルを捜していたらブーツホルツに眼が行き、捜し人も見つかったという事か。
「お前でもワルツが踊れるのだな。」
 ハイネルが、今しがた見ていたダンスの感想をのべる。
「悪かったな。一応、テネシーワルツで昔練習した事があってね。うちの叔母さんがすきでさ…付き合わされた。」
 自分でも似合わないと思っているのだろう、口には苦笑が浮かんでいる。
「こういうフォーマルなパーティに参加はしていないだろう。」
「あ?よく知っているな。ハイネルが出るって聞いたからさ。」
 タキシードの袖を捲り上げて、グーデリアンは答える。
「くだらんことを…大方、スポンサーのご機嫌伺いだろうが。」
「あれ?ばれちゃってるか…まあ、な。けどハイネルが居るとは思わんかったし、ラッキーじゃん。」
 何がラッキーなのだとハイネルの眉が寄る。
 僅かばかり不穏な空気が漂うとブーツホルツが、場をとりなす。ぎこちないながらも、和やかな雰囲気が出来てきた。取り止めの無い会話が続く間にも、次の曲がかかり人々が踊り出す。
「お、これってタンゴ?俺さ、ワルツしか出来ないんだよね。ハイネルは踊れンの?」
 グーデリアンの眼が踊り出した人達の方に、向く。
「一通りは。…まあ、お前のコトだ。ボールルームダンスよりも、リンディやサルサなどの方が、いいのだろう。」
「でもよ、アルゼンチン・タンゴは覚えたいと思ったことがあるんだぜ。しかし、皆どうしてすました踊りしかしないンだ?」
「あれは、違う。いま踊っているのはコンチネンタル・タンゴだ。…種類が違う。」
 ハイネルが溜息まじりに説明する。
「だって同じタンゴだろ。」
 納得いかないとばかりにグーデリアンは眉を上げた。
「コンチネンタルは、モダン・スタンダートだがアルゼンチンは、ラテンダンスに分類されるのだ。カウントもちがうしな。」
「確か4分2だろ?」
「ちがう…4分3だ。よくそう誤解されるが、踊れば理解できる。しかもアルゼンチン・タンゴはカウントが微妙にズレてくる。正確なカウントの取り方はしらないが…。」
 ダンスレクチャーするハイネルを、グーデリアンは詳しいんだなと感嘆の声をあげた。
「…グーデリアン、お前ハイネルの踊りを見たことないのか?」
 黙って聞いていたブーツホルツがグーデリアンに呆れた声で尋ねた。
「?ないぜ。だんなは、あるのか?」
 ハイネルが踊っている姿と言うのを想像できず、グーデリアンはブーツホルツの問いに疑問で返した。
「今度、見せてもらえば判る。すごいぞ。」
「へぇ…あれ?曲の感じが変わったぜ。」
 グーデリアンがふと、雰囲気の変わった曲に意識をむけると踊っていた客達が、戸惑いながら曲半ばというのに下がってきた。
「ああ、コレがアルゼンチン・タンゴだ。しかし妙だな、こういう場で流れるとは。」
 ハイネルが疑問を口にした時、主催者側からマイクの声が届いた。
『本日はアルゼンチンタンゴ・バンドネオンも招待してあります。どうぞ楽しく踊りください。』
 気を利かせたつもりであろう主催者側であったが、客達は出てこない。
「あ〜あ、皆退いたぜ。どうしたンだ?」
「これは無理もないな。アルゼンチン・タンゴを踊れるのはあまりいない筈だ。曲も『タンゲーラ』ならばまだタンゴにアレンジできようものだが、『ジェラシィ』では難しかろう。」
 ヨーロッパスタイルを好むものは、ボールルーム・ダンスを好む。いや、その前に社交界デビューの場ではアルゼンチン・タンゴ自体が流れる事がないのだ。
 ざわめく会場の中でバンドネオンの音だけが淋し気に流れる。
「これは…演奏している方もつらいだろうな。」
 ブーツホルツが演奏しながら、周りの様子を窺うバンドネオンマン達に同情する。
 主催者側もその不手際に気付いたようで、慌てて右往左往しているが会場の空気は一気にしらけ始めていた。
「あれ?リサちゃんじゃん。」
 女性には目敏いグーデリアンが、主催者の傍に歩み寄るリサを見つける。
「ああ、リサも来ているはずだ。確か、父の代理で出席すると言っていたが…」
 ハイネルの眉が寄せられ、リサの姿を確認する。
 パーティには珍しく、フォーマルドレスではない。どこかで商談を済ませて来たのか、スーツドレスだった。
「なんか、話しているぜ。」
 主催者に何か提案しているのか、リサは確かに主催者に耳打ちすると艶やかな微笑みを浮かべて、スーツの上着を脱ぐと連れに預けてホールの真ん中に進み出た。
『…ご紹介しましょう。リサ・ハイネル嬢です、今宵はシャイな男性陣にダンスを申し込んで下さるようですよ。』
 余興ですとばかりに、主催者の声が届く。
「……ハイネル、いいのか?」
 ゆっくりとした歩調でホールの中ほどに立ったリサではなく、主催者へハイネルの不機嫌な視線が飛ぶ。
「よくは、ない。」
 声も温度を下げるような低さだ。
「レディからの申しこみはマナー違反ですけど、…お兄様一曲踊ってくださらない?」
 肩の高さまで真っ直ぐに右手をあげて、前に差し出すリサはにっこりと微笑みを浮かべている。
 ハイネルは一旦、小さく首を振ったがリサの訴える視線におれて嘆息した。
《きっと主催者を気の毒に思ったのだろう》
 リサの考えがわかり、ハイネルも強く拒絶できなかった。いや、溺愛する妹の頼みならばどのようなコトでも断わるハイネルではないのだが。
「グーデリアン、悪いがコレを預かっていてくれ。」
 言いざまに渡したのは、ハイネルの首にかかっていた白い蝶ネクタイだった。皆がしている黒の方よりもしゃれて見えたタイだ。ひそかにグーデリアンがお気に召している一品である。
 いや、それ自体よりもそれを着けたハイネルを、と言うのが正しいか。
「え?おい…」
 ハイネルが公式の場でタイを外すとは前代未聞とばかりに、グーデリアンが慌てて目を瞠る。
 しかしそれにかまわないハイネルは、とっととホールに向かい出した。歩きながらタキシードの前を開けていく。
「…どうしたンだ、一体。」
 グーデリアンが見ている間に、カフスまで外してポケットにしまうハイネルはどこか雰囲気が違った。いつもの堅いイメージからは程遠い、危険な香りを漂わせている。
「よかったな、お目にかかれるぞ。グーデリアン、ハイネルの踊りは凄いからな。」
 ブーツホルツの言葉に、グーデリアンが横を振り仰いだ。
 演奏が現れた二人に合わせて、静かにアタマから流れ出す。
 その場が、一気に熱い場に変わった。
 ショーを見ているような、絡み合うダンスにグーデリアンも息を飲む。
 火花が散るような、見据えあう美男美女のけぶる眼差し。一触即発の雰囲気が、立ち姿だけで匂い立つようだ。最初は、ただの音が次第にその場を作り出す。
 何が始まるのだろうかと、好奇に満ちた眼差しで招待された客たちは待ち構えている。
 きちりとタキシードを着こなしていたハイネルが、前をはだけただけで雰囲気の違う姿を見せる。
 絡む足、こぎみ良く蹴り上げられる足。兄妹と知らなければ、完全に恋人同士と思ってしまうほどの濃厚な踊りだった。
 普段のハイネルからは想像できない。ただ着崩したように前釦を留めず、カフスの外されたシャツの袖から伸びている白い手首は、筋張ってはいるがしなやかな美しさがある。
 常の硬質な気を纏ったまま、まるでマフィアのような冷たく危険な雄を作り出しているハイネル。
 リサもまるで挑発するように、兄フランツへ艶然と微笑みかけながら好い様にあしらうその情婦、といった雰囲気で踊り、その姿はリサとは別人と思わせた。
 バックスリップ・ターンを繰り返しながらも乱れぬカップルバランス。
「…すっげーじゃん。あれ、本当にハイネルかよ。」
 呆然とした声で呟くグーデリアンにブーツホルツが、頷く。
「なんでもジュニアの時には、兄妹で競技会の方にも出ていたらしいからな。目の保養にはなったろうが…おい、グーデリアンどうした?」
 眼はハイネルに吸い付いたまま、グーデリアンがにやっと人の悪い笑みを浮かべたのをブーツホルツが見咎める。
 ブーツホルツの最愛の相方である青年も、時折このような笑みを浮かべるのだ。そのような時はは、えてしてイイ事ではない事を十分知っている。たらりと気色悪い汗が背中に伝い、一歩退きかける。
 まあ、彼の青年は天使の顔をしている小悪魔なのだが、目の前の男は天使とも小悪魔とも言い難い。
「へへへ…イイ事思いついちゃったぜ、俺。おし!ハイネルに、あれを習う。」
「あれって…今のヤツ、か?」
 人の善いブーツホルツは逃げ出す事を止めて、グーデリアンの悪企みを察した。
 ホールの真ん中で踊りを披露し終わったハイネルとリサが、最後の『演技』をしている。軽く接吻を繰り返す仕種で、目線だけ絡まらせながら女性・リサがハイネルの腕から逃れでて反対方向へと歩み去っていく。まるで、別れの時のようなムーヴィな結末。
 ハイネルはその姿に軽く肩を竦めるような恰好をしただけで追いもせず、そのまま退場してきた。
 曲のフェイダーな終わりと共に、見ていた客達からわれんばかりの拍手が惜しみなく与えられ、リサが感激した主催者に熱く握手を求められているのが見えた。
 それはそうだろう。
 誰が想像出来たであろうか。あの、フランツ・ハイネルが、である。
 ハイネルの側にも、声を掛けたいのであろう客たちが視線を注いでいるが、いつものハイネルに戻った彼に声をかけきれないでいる。
「グーデリアン、タイを返してくれないか。…ブーツホルツ、どうかしたのか?またこのバカが、 何かやらかしたか?」
「いや…そろそろ、切り上げようと思ってな。じゃ、またレースで。」
 なにやら挙動不審なブーツホルツだったが、ハイネルはとりあえず引きとめるのを止めた。
 目の端に、シューマッハ(菅生修)がじっ、とブーツホルツを見ているのが映ったからだ。
 身だしなみを整えて、ハイネルは再び壁に寄りかかる。
「なあ、ハイネル。頼みがある。」
「また良からぬ事を、企む気か?」
 先ほどまでと打って変わって、ハイネルの周りには冷気すら感じ取れそうである。
 ちろり、目線だけでグーデリアンを牽制しハイネルは大仰に嘆息をついた。
「ひどいな。そんなんじゃ、ないって。あのさ、さっきのヤツを教えてくれ。」
「さっき?」
「そう、さっきの。俺もカッコ良く踊ってみたくなった。」
「却下!」
「あ、そう。つれないこと言うと、リサちゃんに習うぜ?」
「……」
 キリリと、柳眉があがっていく。碧眼を煌かせながら、ハイネルが何か探るような眼差しでグーデリアンをみつめる。
「頼む。ハイネルなら、きっちりと教えてくれるだろ。」
 こう言えは、ハイネルが断われないと判っている。
 いたって真面目に頼み込んでいたが、なかなか首を縦に振らないハイネルに焦れてグーデリアンは奥の手を披露した。
「それに、この鍵な〜んだ?」
 なにやらホテルの一室の鍵らしきものを、ハイネルの目前にぶらさげる。
 どことなく見覚えのある、鍵。
「……まさかそれは、私の室の鍵ではないだろうな。」
 誇らしげに鍵を振り回すグーデリアンの顔を睨みつけ、ハイネルは嫌な予感のする鍵へ確認する。
「ビンゴ。さっきフロントで借りてきていたンだ。」
 予定では、こういう風に使うつもりではなかったのだが、これもまた一興とばかりに一人ほくそ笑むグーデリアン。
 もともと今日はハイネルを拉致しようと思っていたのだ。
 妙な具合にはなったが、構いはしない。
「……判った。但し、容赦はしないぞ。」
 眉間に皺を寄せ、もう一度嘆息するとハイネルはしぶしぶと了承した。





「なあ、ここのカウントはどうだっけ?」
「クイック、クイック、クイック、クイック、スロー」
「へ?なんで…ああ、ワン、ツー、スリー、フォー、ファイブか。」
 人前で習うのはイヤだと、駄々をこねたグーデリアンに連れられてきたのは寂れたバーだった。
 ステレオデッキから流れてくる音楽はもの哀しい音色のバンドネオン。
 マスターはアルゼンチン移民の年老いた男だった。
 他に客はおらず、グーデリアンと顔なじみらしく『練習していいか?』の一声で、テーブルをニ〜三避けてくれるとそのまま奥に引っ込んでいった。
 ステレオからBGMで流れる音楽は、ゆるやかに室内を満たす。
「あ、グーデリアン。そこはクイックと、クイックだ。」
「はあ?」
「まあ俗にいう、エンドカウントというものだ。クイック、クイックの間に&を入れこむ。」
 教えてくれてはいるが、ハイネルはグラスを持ちながら口を挟むだけで動きもしない。ただ椅子に座らず、壁に背を軽く凭れかけ立っている。
 グーデリアンの当初の予定から、随分と格差があった。
 教えてもらえるとなれば、身体が密着するのが当たり前だろう。
 そう彼は、ハイネルにフォロー役をさせて踊ろうとしていたのである。リサとハイネルを目にした時に、タンゴを踊れない事をあれほど悔やんだ事は無かった。
「なあ、俺頭で覚えるタイプじゃあないンだぜ…身体で覚えるからさ、ハイネルも動いてくれよ。」
「…何も知らないでいて組め、と言うのか?せめてベーシックの足型くらい、覚えてからだ。」
「…けち、けちけちけちけちけち。見てろよ、ほれこうだろ。」
 すでに汗をじっとりかきながら、グーデリアンは組んで踊るという目標の為に今まで習ったフィガーを覚束無い足取りで、披露する。
「なんとか覚えた、らしいな。ところで言っておくがコレは、ア・タンゴでは無いからな。」
「ええぇっ。なんで?ハイネルのアレを踊りたいのに…」
「は?あれそのものを、か?…誤解があるようだから言うが、あれはコ・タンゴだぞ。」
「でもア・タンゴって…言ったのはハイネルだぜ。」
 あの絡みの多いアルゼンチン・タンゴを踊ろうと必死になっていたグーデリアンは、すかしたコンチネンタル・タンゴを覚える気はない。
「確かに、曲はア・タンゴだ。しかし私とリサが踊ったのはコ・タンゴのバリエーションだぞ。まあ微妙にズレ込むところは、余興としてア・タンゴのベーシックフィガーを入れてはいたが。」
 グーデリアンはハイネルが何を言わんとしているのかが、おぼろげながら解かった。違うダンス曲で堂々と強引に己らの持つダンスを披露してくれたのだ。
 腕が良くないと出来ない荒技だろう。ダンスをよく知らないグーデリアンでも、呆れるくらいだ。
 時々ハイネルはこういった大胆な事をしてくれる。
「………」
「で、グーデリアン。貴様はどちらのタンゴを覚えたいのだ?先程のを、と言っていたが違うようだし。止めるか?」
 ハイネルが腕を組んだまま、片方の手を口元へ置いて尋ねる。
 何の気まぐれで習いたいと言ったのかは、大体見当はついている。大方、見目麗しい女性と絡みの多いアルゼンチン・タンゴを踊って見たくなったのだろう。
 とっとと室に帰ってゆっくりしたいハイネルは、鍵を、と手をグーデリアンに差し出す。
「…いや、習う。けどよ、踊れるモンなのか?二つのタンゴを一つにして。」
 折角ここまで覚えたからには、絶対にハイネルと踊らなければ気が済まない。
「もともとア・タンゴが先だ。コ・タンゴは、ヨーロッパスタイル風に作られたものだからな。偉大なる英国人の、英国人が為のタンゴだという事だ。」
「ケッ。いけすかねえ筈だ、何かっていうと英国人は自分が一番、と思っているからな。」
「そういうな。ボールルーム・ダンスの発祥は英国だから仕方なかろう。だが、ア・タンゴに憬れたからこそコ・タンゴが誕生したわけだ。良く見ていけば、同じフィガーもあるしな。だから、どうにかなるものさ二つのタンゴは。」
 ハイネルのレクチャーに顔を顰めながら、グーデリアンは唸る。
「では、とりあえず組んでやる。ホールドは、まあ大体でいいか…肩肘張ったのは嫌らしいからな。ホールド、解かるな?」
 タキシードの上着を脱いでハイネルがグーデリアンの前に立った。
「へへへへへ。こうだろ?」
「ばかものっ!腰を抱くヤツがいるか!」
 組む、と一声聞いてからグーデリアンがげんきんに右手でハイネルの手を取って、左手を腰に巻きつけた。
 途端に、ハイネルの容赦無い声が飛んでくる。
「誰が、腰に手を廻せと言った。手は女性の肩甲骨の下だ。全く、油断もスキも無い奴だな。」
 なかなか離れないグーデリアンの左手をハイネルが強引に引き剥がす。
「そんな事言ったって、ハイネル。よく判らないンだから、優しく教えろよ。」
 ワルツは踊れるのに、よくいう男である。
 ゆっくりとグーデリアンが習いたての足型で、ハイネルを導く。
 無言でタンゴを踊る二人の男。
 ハイネルはチェックを入れる教師のように、目がグーデリアンのミスを追っていく。
 グーデリアンといえば、最初こそ緊張していたが徐々にスムーズにリードし始めた。
 顔はハイネルを見つめたまま、少しずつ抱きこむ形となっていく。だがハイネルはその顔をずらしたまま、見つめ合うこともしない。 
 誰も見ていない、二人だけのスロータンゴ。バーに設えてある大きな鏡がグーデリアンの眼に入り、ソレにはハイネルの背が映り出されている。
 なかなかいい雰囲気に、見える。
 だが、ハイネルは至って真面目にダンスの教習をしているだけだった。
「そんな窮屈に背中を押されては、女性が苦しいのだぞ。…だから、腰に手を廻すな。」
 段々と怪しげな手の動きになるグーデリアンをハイネルが諌める。彼には、グーデリアンが己と踊りたいから習っている、という考えは及びもつかないのだ。
 そして、ふと思いついた事を口にする。
「ああそれから、もしタンゴを踊るのだったらコレよりもゼネラルダンスの方で踊れ。」
 ゼネラルダンスとは、社交辞令用というか軽く踊るダンスだ。
「なんでさ?」
 折角習ったタンゴをどうして踊ってはいけないと言うのか、グーデリアンはハイネルをご機嫌斜めな感じで見つめる。
「あのな…まあ、踊るのが親密にお付き合いしている女性ならば構わないが。いや、信頼しあっている関係の女性もいいか…とにかく、悪い事は言わない。ちょっと引っ掛けた程度の女性とは止めておけ。」
 妙に歯切れの悪い言い方に、グーデリアンが悪ノリする。
「なになに?ハイネルが妬いてくれるの?」
「何をバカな事を…いいか、あのな。」
 呆れたようにハイネルが、グーデリアンをまじまじと見据えて耳打ちする。
「結構絡むだろう…まあ、タンゴは特になのだが。アウトサイドだと判らないのだが、インサイドに女性がステップを踏めばな、我らが持っている男性のシンボルが女性の足に触れるわけだ。」
 小声で囁くハイネルの顔は至極まじめなものから、珍しくクスリと人の悪い笑みを浮かべたものになる。
 グーデリアンは口をパクパクとするばかり。
 だがすぐさまニヤリと笑って、『上等じゃん』と口笛を吹く。
 傍目からは、そんな踊っている男女の間に触れる・触れないで微妙な緊迫した『間』など判りようがない。
 勿論グーデリアンにしてみれば、ハイネルと踊りたいだけだからそういうものも含めて、問題無いというものだ。いや、反対にそちらの方向に持ち込みたいグーデリアンにすれば好都合。
 ハイネルの言わんとする事は十分わかる。同じ男であれば、明確に触れ合うというので無くともそんなつもりのない時に不意に当たりようならば、結構クルのではなかろうか。
「ハイネルも経験した事あるわけ、だ。」
 なんとも言えない表情を作ってグーデリアンが聞いてくる。
 確かハイネルはリサと組んで、競技に出ていたとブーツホルツも言っていたではないか。
 そこらへんで女のコを引っ掛けて踊るのとはワケが違うのだ。
 あれだけの絡みあるダンスを披露したという事は…・。
 いくら兄妹とはいえ、男女のエチケットという問題は難しいものだ。
「ある。だが、相手はリサだったしな。まだ子供の時分だ、そうこういうのをとやかく言う前に、兄妹して上達する方を望んでいたから…気にしないでおれば、きにならん。」
 むすっとした顔でハイネルが言う。
 その頃の事でも思い出したのだろう。とにかく、踊るなら誤解の少なくて済む相手と踊れ、と釘をさしてきた。
「やはり、気まずい?」
 どうしても好奇心を押さえきれずに、グーデリアンがおそるおそる尋ねる。
「ああ。タンゴをキメて踊りたいというのは判るが、パーティとかではお薦めできないものだ。あれは競技やデモンストレーション・ショーでは華やかで見栄えもするが、なまじ踊ろうとすればしっかり身体をくっつけるから。一般的には…な。」
「けどさ、どちらのタンゴも傍から見ていると赤面するほど絡むところが、あるよな。」
 グーデリアンがハイネルの耳元に囁くように、いう。
「ああ。傍から、だとな。しかし演っている方としては、たいしてソウではないぞ。」
「そりゃ、恋人同士とか夫婦だから、だろ。」
 そういう親密な間柄であれば、絡みのうちには入らないだろう。
「いや、競技選手などはその限りじゃあ、ない。そう見えるように錯覚を起こさせるのだ。」
「へえ、どんな?」
「その鏡から、私の背中が見えるか?なら、すこし斜めになってくれ。…そうだ、そこでいい。
 いいか、この型はセミフットランジ、というのだがコレを2回するのを見たことないか?」
 ハイネルに言われたとおり少し斜めにずれると、ハイネルの背中が少し隠れる。
 そして見たこと無いか、と問われた姿勢を眼にすると、グーデリアンは頷いた。
「ある。これって傍から見ていると、こう言う風に見つめて誘惑されたいと思うンだよな。」
 絡むわけではないのだが、下の位置にある女性から首を斜めにして見つめられ、吸いついてくるように身体を寄せられれば結構そそられてしまうものがあるのだ。
「だが、実際の私は貴様など見つめてはいないだろう。こっちを見てみろ。」
 こっちと言われて、鏡越しではない本物のハイネルを見ればグーデリアンを見ていないのが判った。目線一つも合わせてくれていない。
「なんだか、悲しいンですけどハイネル。」
「だから演っている者の視点と見る側の視点はズレているというのだ。」
 まあ本来はちゃんと顔を見合すのだが、別にちゃんと教えなければならない事ではないので、ハイネルも踊る側の裏事情なるもののみを教える。
 どうせ女性と踊る事になれば、きっと見つめ合う事だろうから。
「なんか幻滅だなぁ、見ているほうがワクワクしていいじゃん。」
「なんだ、貴様は女性から誘惑されたいのか…言っておくが、ダンスは不純な動機のものではないんだぞ。」
「うっ、そうだっけ?」 
 ぼそっと洩らしたグーデリアンの声に、ハイネルが睥睨する。
「だってよ…相手から迫られたら、嬉しいものだぜ?誘惑されたいね。」
 誰を指していっているのやら、グーデリアンはハイネルに言い募る。
「誘惑とは、騙しあいだろうが。…意味が解かっているのか?」
「いや断じて違うぞ。なんで、騙すンだ?」
 何やら話の展開が違う方向へと進むのを感じて、グーデリアンが首を捻る。
 ハイネルは何か考えているふうであったが、グーデリアンの疑問的な視線を受けて数式を解き明かすような、説明しようとする声を出した。
「そうか、誘惑というのはだな……」
 やおらハイネルが未だ組んだままのグーデリアンの方へ身を寄せた。
 姿勢的に片足をスライドさせて踏み留まる男性の足型だったので、グーデリアンはハイネルが寄ってもぐらつかない。もともと腹筋もある。
 だが次のハイネルの動きは予想できなかった。
 グーデリアンの曲げられている膝よりも上腿へ片足を乗せ、眼鏡を取り去りながら腕を首に絡めてきたのだ。
 驚いたグーデリアンを尻目に、ハイネルがけぶる眼差しで近づくと軽く口付けた。
 喉の奥でクックックッと小さく笑うのが見てとれ、ハイネルならではの艶美がある。
 ハイネルのもう一つの手がグーデリアンの顎にかかり、指先で軽く持ち上げられると再びキスを仕掛けて来た。舌でノックするように歯列をなぞり、グーデリアンの口内に入りこんでくる。
 主導権はハイネルのもの。
 常の立場と入れ替わったような口付けは、グーデリアンを驚かしっぱなしだ。
 だがいつにない積極的なハイネルにご満悦のグーデリアンがすぐさま舌を絡め取る。
 わずかばかり高い位置にあるハイネルが、閉じていた瞳を開けた。
 グーデリアンはまだ閉じたまま、キスを返している。
 ハイネルの碧眼が濡れたように煌いていたが、瞬き一つで冷静なモノへと変わる。
 そしてグーデリアンの顎先にあった指が一つの鍵を掠め取っていた。
「グーデリアン。誘惑と言うのは、何かに対して仕掛ける対象を隠すためのものだ。そう簡単に流されては、引っかかってばかりだぞ。」
 余韻を愉しんでいたグーデリアンに、ハイネルが至って平静な声で告げる。
 身を離したその人の指先に、グーデリアンは眼を瞠った。
 それは、ハイネルの宿舎とするホテルの鍵。
「…!」
 声も無く、グーデリアンがハイネルを指差す。
「これで判っただろう、誘惑とはこう言う事だ。では、失礼する。」
 艶っぽさを微塵にも残さず、ハイネルがほれぼれする身のこなしでグーデリアンの前から姿を消した。
 初めて見せたハイネルからの誘いに呆けながらも、グーデリアンは手近にあった椅子に腰を下ろす。
「へへへ…こうくるとはね。」
 どうやら今夜のハイネルは、ご機嫌もよろしかったようだ。
 誰も居ないバーで『乾杯』、と一人グーデリアンはグラスを目線に掲げてご満悦に耽る。
 抱いて眠る予定だったが、これもまた一興。
 ゆるやかに、夜が更けていく。
 
                              了




 どうですか皆さん、ハイネルが!ハイネルがめちゃくちゃカッコいいですよね!きゃーーーー!!!(年考えろって感じです・・・)
 とおこさんの描き出すハイネルは、なぜにこんなにカッコいいのか・・・。
 そして、そんなカッコいいハイネルにぴったりと合うダンスという題材!すばらしいですー。私映画の『Shll we dance?』は楽しく見たクチなのですが、ダンスについては何ひとつ知らないので、ただただその華麗なる世界に圧倒されてしまいました。
 ハイネルがリサちゃんと踊ってるシーンが見られたら、1日に一冊ずつグーハー本作ってもいい・・・(笑)。

 何て言うんでしょう。ダンスってはたから見ていると、とても優雅なんだけれども、それと同時に一瞬も気がぬけないような緊張感をも感じますよね。
 とおこさんのグーハーは、いつも微妙な糸をたぐり寄せあっているような、そんなスリリングで、かつほのかな甘さをも感じさせる関係なので、ダンスという題材にぴったりとハマッていました!うっとりとため息ついちゃいます。
 こういうクールにして如才ないハイネルを押し倒すのには、至上のヨロコビがともなってくることでしょう!とおこさんのグーデリアンに、私はおしみないエールを送りたいと思います!(笑)
 とおこさん、本当にありがとうございました!

                        


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