無自覚症状(ヘル・ハイネルの場合)
ハイネルはピットから少し離れた、人のいない剥き出しになっているフェンスに凭れてサーキット内で試走行をしている数台のマシンを見つめていた。
手にしている紙コップのコーヒーは、既に冷めきっている。
腹に響いてくるエキゾーストを心地よく受けとめて、目の前を通り過ぎるマシンに目を走らせた。
今、サーキット内ではシューマッハ、ブーツホルツそしてジャッキー・グーデンリアンが、思うままのライン取りで疾走している。
ハイネルの操るマシンは既に試走行を終え、最終チェックの詰めを行う為にチームメカニック達へ委ねていた。いまはレーサーである以上、レース前にメカニック達に指示を出して進める訳にはいかない。それぞれの決められた役割があるのだから。
幸い、SMGのスタッフは気心が知れているためか、ハイネルに心酔している為か判らぬがハイネルの動向を機敏に察して、動いてくれる。
後はハイネルが結果を出すだけなのだ。
サーキットの乾いた風が、挑発的にハイネルの身体を突いて去る。
その時、目の前をスタンピートのマシンが駆け去っていった。グーデリアンからは死角となる位置に立つハイネルが、思わずといった感じで軽く眼を瞠って感心する声を上げた。
「ほう。あのバカもよく、ラインを見つけられるものだ。」
遠目で判らないはずのグーデリアンの顔を、ハイネルは身近で見ているかのような錯覚を受けた。
普段の、如何にも陽気なアメリカンを前面に押し出してはしゃぐ男とは別人のような、顔を見出す。複合コーナーの中で見出せるラインは大体のサーキット場でそれぞれの癖はあろうとも、限られている。
だが、そのどれよりも厳しくなおかつ速く抜け去るラインの、このサーキット場特有のシビアな癖をねじ伏せようと新たに見つけ出したらしい走りを、ハイネルは眺めていただけで解かった。
机上の理論を実践に移すのはと、躊躇した己の理想のラインをあの男は、たやすく実行したのだ。試走行だというのに、嬉々として乗りこなしてやるとばかりに舌嘗めずりをしているであろう、マシンに乗りこんでいる男の表情が見えそうである。
「残念だが、…本番ではそのライン、通させるわけには行かないな。」
呟く独り言は、誰の耳にも止まらない。ハイネルは、ふと試走行を終えたばかりの時に見たグーデリアンを思い出す。
つい先ほどまで、いつものように雲隠れしていたグーデリアンをスタンピートのスタッフ達が総出で捜しまわっていたのだ。しばらくしてシュトロゼックのピット前を、うまいこと見つけ出したスタンピートの監督がグーデリアンの片耳をひっぱり、がなりたてて通ったのだ。
その監督を茶化しながら、引きずられるグーデリアンと自然に目が合ったとき、中々サマになるウィンクを一つ寄越してぬけぬけと、『ランデブーしようゼ。』と誘ってきたのである。
『おっ、ハイネル。今から出ンの?』
『今、終えたばかりだ。』
『そうツレない事言わないでさ、ちょいと本番前のエキシビしねぇ?』
『誰が、だ。』
『そりゃあ、俺とハイネル。客も喜ぶぜ、二大ドライバーのドラテク披露ってヤツ。』
『却下する。大事な本番を控えているからな。それに、幾つリタイヤしていれば、のドラ
テクなのだ?』
『嫌味なヤツ。俺、一人で走るの嫌なんだよな。レースの感覚と違うしよ。』
『貴様が、女性にうつつを抜かしたからだろう。スタッフ達がどれほど、迷惑しているの
か知っているのか。』
『へえ、ハイネルも気にしてくれたワケ?』
『わらわらと、他のチームのピット前をウロチョロされたら誰でも目につく。』
へらー、といつもの様子でいるグーデリアンに頭を痛めるスタンピートの監督の心労が手に取るようにわかりそうだ。
ハイネルは、神経質そうに眉を寄せて口を閉ざす。
『なー走ろうぜ。』
『くどい、見ろシューマッハ達が出ているぞ。さっさと混ぜてもらってこい。』
背を向けてピット内に身を引いたハイネルは、またもや監督に怒鳴られて引っ立てられるグーデリアンに呆れた。
この間の嫌がらせが嘘のように、変わりないグーデリアンの様子に何故かホッとするのだが、ハイネル自身はその事に気付かない。
ムラッ気の多いグーデリアンは、調子が上がるまでが往生するのだ。この間のもその一つに過ぎないのだろうと、嫌がらせとしか認識していないハイネルは直ぐにこの前の出来事を記憶の中から排除した。必要のないことは、すぐに記憶から消去してしまえる特技を持っているのだ。けれど、今度ばかりは思うようにいかず埋もれてはいるが忘れ去るまでは出来ないでいる。
しかし、今は関係のないこととして、考える事もせずマシンに押し込められたグーデリアンの走りをチェックしておこうとピットから離れ、サーキット内からは死角になる場所へと移ったのだ。
ステアリングを握ってレーサーの本能のままに走り出せばその素顔が顕れ、常の陽気さがするりと豹変する。
それは、誰よりもハイネルが一番身近な位置で知っていることだろう。
競り合ってグーデリアンを背においた時、殺気にも似た存在を感じるのだから。
その瞬間が、ハイネルにとってレースをしている時に一番楽しいコトなのだ。
力と力。ねじ伏せて、レースの主導権をとった証となるソレ。
歯噛みするグーデリアンの悔しい思いが、その気に凝縮されているようにいつも感じる。
確かにその瞬間は、デッドヒートと呼ばれるものなのだ。
実力の拮抗している者同士でしか味わえない、ポジション争い。
「明日の本選、楽しみだな。」
眼鏡の奥で、細められる双眸は見る者を惹き込む表情を作り出す。
まるでサーキットに潜む魔のような魅惑で。
この場にグーデリアンが居たならば、さぞかし虜となったであろう。
だが、ここに佇むのはハイネル唯一人。
ギャラリーもいない、一人だけの空間。
サーキット内が静けさを取り戻し、全てのマシンが試走行を終えたことを告げる。
吹いていた風が止まり、陽も傾きかけている。ピット内へ一声かけて、ハイネルは宿泊しているホテルの方へと身体を向ける。途中、派手な集団に気付いてみれば早速、両手に花状態となっているグーデリアンを目にした。
ハイネルはいつもと同じく、声をかけることもせずにそのまま通り過ぎようとした。
グーデリアンも気付く距離では、ない。
既にグーデリアンの事など頭から消したハイネルは、後方からとんでくる視線を感じて何気なく振り向いた。
「?」
レース関係者と、それぞれ贔屓にしてくれるスポンサー達の他に、どこから紛れたのか一部のギャラリーで人が溢れている。
誰か用があったのだろうかと、強く感じた方向を見ればジョークを飛ばして女性たちに囲まれているグーデリアンしか、見知る顔はない。
《気のせいか……》
グーデリアンから眼を外し身を翻そうとした瞬間、ピタリとグーデリアンの双眸と合った。
女性たちに見せているフレンドリーな表情のままでありながら、眼だけがハイネルを攻め立てるように見据えてくる。
いつもならば、何かしらの接触がありレース前には、かなり険悪な仲になってレースでケリをつけるのだが今回ばかりは、違っていた。
たまたまさきの通り、監督に引っ立てられてグーデリアンがピット前を通らなければ互いに顔をあわす事もなかったのだ。あれが今期はじめての接触だったと言ってもいいだろう。
レセプションで、軽く社交辞令程度の挨拶をかわして以来、タイミングが良かったのか悪かったのか、ハイネルの血圧を上げる原因となる男とは話しもしていないのだ。
おかげでハイネルは、余計な仕事となる感情を努めて冷静に保つという無駄をせずに、マシンの向上と走りを追求することが出来た。
《何か、私は気に触るような事をしたのか?》
記憶にはないが、なにか意味ありげな眼で見られては少しばかり、気になる。
《いや逆だな。気に触ることをするのは、いつもアレの方だし私に非はあるまい。》
即座に自分で、否定する。
そしてふと、これが今一度だけの事ではないと思い至った。
そう、いつもグーデリアンを目の端に止めて目線を外そうとすれば、その寸前でグーデリアンの眼が見ているのだ。
ハイネルはこれまでその事すら、歯牙にもかけていなかったが気になり始めると思考が深みにはまっていく。
とりあえず何事も感じ取らなかったかのように、そしてさも鬱陶しそうにその視線を外してグーデリアンから目を逸らす。
背くハイネルに合わせるようにグーデリアンも、ハイネルから視線を外す。
絡み合っていたのは、瞬くほどのわずかな時間。
暫くはグーデリアンの不可解な視線に気を取られてはいたが、レース本番前であってはハイネルの思考から直様、押し出されていく。全ては明日の為に。
一夜が明ければ、祭のはじまりだった。
それぞれのマシンが、ピット内から走り出る。ギャラリーの賑やかな声援を背にして、男たちがポール・ポジションを目指し駆け抜ける為に、颯爽と操るマシン。
それだけで、否応なく観客達の熱が煽られる。
マシンに乗ったハイネルにレース以外のことは頭になく、また他のレーサー達も同じはずだ。もし、他のコトが頭によぎる様ならば、レーサーたる資格などない。
緻密な計算でたたき出されるハイネルの走り。
本能の赴くままに縦横無尽に走るグーデリアン。
シグナルが変われば、一斉にマシンが飛び出る。絶叫がサーキット内に向けられ、それを打ち消す勢いでマシンの排気音が響く。
グーデリアンとハイネル。この二人、一見正反対の走りを見せるがその実、これほど近い走りをする者はいないだろう。計算し尽くしたはずのハイネルの通るラインは、レース中に大胆なモノとなる。
そして、計算など頭からないグーデリアンの走りは、その後ろを追走すればハッとするようなシビアなラインをはじき出しては、攻略していくのだ。まだ駆け出しの新米記者が、かつて二人の走りのビジョンが似ていると記事にした事があったが、その当時かなり酷評されたものだ。
しかし、一部のレーサー達からはその審眼を密かに、評価されたもの事実である。
緻密でありながら、大胆な走り。
感性だけで動きながら、ラインを見越した走り。
対極にあると言われる、この二人が絡むクラッシュは他のレーサーとよりも多いのだ。確かに、一流のレーサーならば誰しもラインなど簡単に読み取り、走り抜ける。だが、そこにより速く走り抜けるためのラインを理想通りにこなすのは、一握りのレーサーだけだ。
ましてや人の走った跡のラインを引用するのは、レーサーにとって屈辱以外にない。グーデリアンとハイネルは、正反対のラインを選び取りながらも互いに、相手の取るラインを感じては歯ぎしる思いを受けるのだ。
《そのラインを走るのか、》と。
まるで鏡を間に挟んだような、双子のようなレーサーとしての感性。
かたやプロフェッサーと呼ばれる男と、型破りな男。
最初から気に食わない相手と思ったのは、その走りだからだ。いや、見ている分ならば、素直に相手を賞賛するであろう。お互い十分にその力量は認めている。しかし、同じレースを走るとなれば別だ。互いの位置が気に触り、必要以上に険悪になる。好意を持てなくて当たり前だが、もしその片方でもそうでなくなればどうなるのか?。
既に一人は、何かを仕掛け始めている。
気に触っていた相手が、気になる相手になった時、何が変わるのだろうか。
大きな大会ではないが、点数は稼ぎ出せられる時に取っていなければ大きなツキは廻ってこない。
今は互いにレースの事だけに専念している。純粋に誰よりも速く走る事を。
このレースを見る限り、出来が良いのはスタンピートとSGMであろう。観客の誰もが、そう思った。だが、テクニックだけでは通用しないものS・フォーミュラー・レース。
手応えを感じながらも、勝利の女神は二人に微笑まなかった。陰に身を潜め、隙をついたシューマッハが一気に前に出たのだ。その後を追いながらも巻き返しを狙うが、マシンの限界を感じる瞬間に勝負は決まる。
最後まで熱く戦われたレースだったが、結果は狙ったポジションを奪えなかった。
表彰台の中央に立った人間は、スポークスマンに捕まりフラッシュを浴びている。ハイネルは、早々と人でごった返す場から逃れた。
終わったレースのことは、興味ない。データとして、蓄積するだけだ。
たんたんとした感情でハイネルが離れようと瞬間、ハイネルの目が軽く見開かれ滅多なコトでは拝めない笑みを浮かべる。
たまたま、ソレを目にした記者が幻でも見ているのかという顔で呆ける。
ハイネルの前に現れたのは、一人の女性。
「リサ、来ていたのか。」
常の硬質な声も変わり、親しみに溢れる優しい声。
「お兄様、また速くなったのね。もう少しだったのに、残念だったわ。」
自分の事のように悔しがるリサを、ハイネルは黙ったまま笑うのみ。
余計な詮索を嫌うハイネルは、リサを伴いチームのピット内へと歩き出す。一応チームスタッフはリサと面識があり、快く受け入れると直ぐにハイネルを送り出した。
リサを伴い、ハイネルはゆったりとした歩調で自分の宿泊地としているホテルへと連れ立つ。通りの向かいでグーデリアンがいつものように、派手な存在を主張して記者たちのインタビューを受けていた。
『敗因だって?そんなの決まっているさ。ココの女神様に振られたってコトだ。』
ジョークを混ぜたグーデリアンの答えが、ハイネルの耳に届く。
そのハイネルの姿に気付いたグーデリアンが、その隣りに立つ女性の存在にも気付いた。
グイ、と記者を押しのけてグーデリアンがハイネルの前に大股に歩いて近寄る。
「ヘイ、珍しい事もあるもんだな。俺にも、紹介してくんない?」
いつものように軽い口調だが、眼は完全にすわっている。ハイネルの眉が上がり、秀麗な顔が邪険にあしらう。
拒絶の言葉をのぼらす前に、リサがグーデリアンへ社交辞令の挨拶をする。
「初めまして。ミスターグーデリアン。お噂はかねがね伺っておりますわ。私、リサと
申しますの、お見知りおきのほど。」
ハイネルに絡めていた腕をさり気無く解いて名乗るリサと、ハイネルを交互に見比べてグーデリアンは内心、舌打ちする。
ハイネルがレース会場にて、一度だって女性と肩を並べて歩いている所を見たことなかったのだ。
リサと名乗った女性と、満更でもなさそうなハイネルに我慢出来ない衝動に駆られる。
グーデリアンはガシリとハイネルの首に腕を巻きつけ、その耳元に言葉を送りこむ。
遠く見守る記者たちは、グーデリアンがまたハイネルに絡み出したのだろうと思ってみている。
「そんな女を相手にするのか?お前は、俺を見ていろ。」
揶揄ではない、ゾクリとくる本音の声。
藪から棒に、告白ともとれそうな独占欲に満ちた台詞をさらりと口にしたグーデリアンを、ハイネルは注視した。
「………。」
傍から見れば、女性を連れたハイネルにグーデリアンが冷やかしているようにしか見えない姿。
隣りに立つリサにも聞き取れなかった声音であったが、リサには感づくものがあった。
《あらまぁ、これは……。》
こころなしか楽しげにはずんでいるように、心の内でリサは呟いた。
グーデリアンが完璧に自分の事を勘違いしていると判っていたが、リサはそれに訂正を入れる気はなかった。
兄が、気を留める相手。
一度会って見たかったのだ。同じレーサーという、何度となく兄の口から聞く彼の名。
ハイネルは必要のある者の名しか、滅多に名前を口にする事はない。
例え、血の繋がる妹の前であっても。
レーサーになってから、事あるごとにある一人の人物に対して感情を込めて挙げる姿(これは決して、誉め言葉ではない。むしろ悪態の限りを尽くしたと表現できる)を、幾度か目にして興味がわいた。一度も足を運んだことのないレース場にやって来たのも、グーデリアンを一目見てみたくなったからなのだ。
そして、そのレースを見てリサは兄・フランツが気にする相手が金髪の綺麗な蒼い瞳をした、かなりなプレーボーイである事を知った。
確かに、兄の言っていた通りの人物像。
《だが、この男は兄に対してだけは真剣なのだ。》
ハイネルの姿を見た途端、グーデリアンの顔色が変わったのをリサは気付いていた。
そして、言葉はくだけたモノだったがその双眸はリサを威嚇していたのだ。並みの女性ならば萎縮したであろうほどの強烈な眼差し。常のグーデリアンならば決して女性に対しそのような視線を送らないだろう。
だがリサもハイネルの妹。
そんじょそこらの女性達とは、一味違う。
グーデリアンの心情を唯一、的確に把握しながら素姓を明かさない。
「貴様は何を寝呆けた事を…リサ、かまう事はない。行こう。」
ハイネルが、グーデリアンから離れてリサの肩に手を廻し庇うようにして歩き出す。
後ろに強い視線を受けながら、ハイネル達はその場を後にした。
「お兄様。今夜、チャリティパーティが開かれるのでしょう。お疲れでしょうけれど、そ
れにはちゃんと出席してね。何でも主催者の協賛をしている一人が、お父様の懇意な方
で挨拶しておいて欲しいのですって。伝えるように言われたのよ。」
ハイネルの室に招かれて、リサは寛ぎながら兄へと父からの伝言を言った。
「なんだ、用件はそれか。めずらしく顔を見せたと思えば…。」
「あら駄目よ、勝手な解釈をしては。私はレースが見たくて、来たのだから私の気持ちを
読み違えないでね。言付けがついで、なのよ。」
あの兄にして、この妹である。ハイネルの思いこみ違いにはっきりと訂正をいれる。
「行ってくれるわよね?私、用があるからもう戻らなきゃ。身体には気をつけてね。また、
見に来るわ。」
御曹司というものも、ラクではない。
出席する予定ではなかったパーティへも出席せねばならずハイネルは気が重くなる。
どうせあのパーティ好きなエンターティメント男も現れるのだ。今度はどんな嫌がらせを受けるのか。
リサに気付かれないように溜息をつく。
「そうそう。お兄様、よほどグーデリアンさんを気に入っているのね。仲がいいトコロを
見られてホッとしたわ。レーサーになって、お兄様のご友人が減ってしまったのを心配
していたのよ。」
最後に彼の妹は、さり気無い言葉の爆弾を落としていく。
「何を……。」
思ってもみなかったリサの言葉に、ハイネルは言葉を詰まらせる。一体、何の根拠があってそう感じたのか聞き出さねば気がすまなかったが、声をかける前にリサは軽やかに身を翻してハイネルのホテルを出てしまった後だった。
【グーデリアン的視点】
「なあ、俺と付き合う気ねぇ?」
ホテルから1ブロック過ぎた角で、リサはグーデリアンに出会った。
グーデリアンが魅惑的な瞳でリサを見つめてくる。先の視線に気付いていなければリサでもクラリとなびいてしまいそうなものだ。
リサは、深い笑みを浮かべて首を振る。
「駄目か?マジで惚れた。君だけを見ていたい。」
ワイルドな笑みを浮かべて、グーデリアンは壁を背にして立つリサに甘い言葉を紡ぐ。
名だたるプレイボーイの一端が窺われる。
「あら駄目よ、駄目なのは貴方でしょう。いいの?そんな事を言っていて。…嘘なのでし
ょう。誠意には誠意で応えるけれど………本当は、違うわよね?」
甘い言葉でも誘惑されないリサにグーデリアンは、戸惑った。いや、誘惑されないばかりか暗に知っているのだとばかりの言葉を発したのだ。
指摘されてグーデリアンが目を瞠る。
恋のゲームに関して百戦錬磨な彼は、彼女・リサがグーデリアンの想いに気付かれた事をその言葉から覗いしる。
「私を誘惑しているヒマがあったら、本命に振り向いてもらう努力をする事ね。色男さん。」
「…君はどうして…。」
歯切れ悪くなったグーデリアンにリサがとうとう切り札を披露する。
「私、リサとしか名乗っていなかったわよね?…フルネームを教えましょうか。リサ・ハイ
ネル、貴方の欲して止まないフランツ・ハイネルの妹よ。さぁ誠意には誠意で応えてあげ
るわ。」
そのリサの立ち振る舞いに、グーデリアンはかのフランツ・ハイネルと重なって見えた。
顔立ちは似てはいないが、互いに美形の兄妹だ。しかも知り合ってわずかな時間しか経っていないが、その考え方などは彼の人と同じ生き方をしている者のもの。
違う美しさを持つリサの美貌をまじまじと眺め、グーデリアンは脱力した。
兄妹して振りまわしてくれたのだ。いや、勝手に勘違いして衝動のままに独占欲を止められなかったのは己だと、自嘲する。
「それと、一つ言っておくわ。お兄様は堅物じゃあ、ないわよ。ぼやぼやしていたら、そ
れこそ本当に横から盗られちゃうわよ。」
くすり、と笑いながらリサが忠告を一つ残して去っていく。
柔らかい風のように、ふわりとしていながら颯爽とした存在を残して。
女性に敵わないと思うのは、こういう時だ。グーデリアンの思惑など一足飛びに気付いて道行を示してくれるのだ。
だがリサの場合、普通なら反対する立場でなかろうか。いくら恋愛にオープンな感覚を持っていようとも身内が同性の者に、惚れられていると知れば阻止しようとするはずだ。
後押しするような感じまで受けて、グーデリアンはリサの背に問いただす。
「あら、お兄様にとって良い事だと思ったのですもの。」
明快な応え。理由は、それだけだとばかりに振り向きもせず車に乗りこんで遠ざかって行く。
今は、黙認するということか。
兄妹二人して、鮮やかな印象を残してくれる。
ハイネルへの想いに気付く前だったら、即リサの方に傾いていた事だろう。
《惜しいよなぁ……。…そういや、あの女のコどうしたんだっけ?》
イイ女だな、と思いながらグーデリアンはドイツでナンパした女性のことを思い出した。
ハイネルの事に頭が占められて、すっかり忘れていた存在。
《俺もまだまだだな…ま、いいか。即OKを出したくらいだ、それなりの女だったってコ
トだしな。》
声を掛けたらすぐついて来るような女性など大した女ではない。
その場しのぎだからこそ、その存在も軽くて忘れられる。
グーデリアンはあながち外れてはいないだろうと、考えてナンパした女性の顔も名前も憶えていないことに苦笑した。付き合っている間は、親切に尽くすが切れた時は縁の切れ目だ。これまでも廻りにいる女のコ達は、それを承知していた。だが、友人として続いておればグーデリアンほど親身になってくれる男もいないのだ。それを判っているから誰もグーデリアンを責めない。
ハイネルと出会ったときに居合わせたという事でしか、ナンパした彼女の事は覚えていない。これまでの数多にいる女のコ達と一緒くたにして、思い出す事を放りだす。
なんと失礼な男か。
だが本命に対して余裕がないのは、その辺の男達と変わらずグーデリアンとて例外ではないのだった。
【ハイネル的視点】
リサが出てから、ハイネルはリサの言質を考える。
《私がグーデリアンを気にかけている?》
気付かなかった事。
呆けてしまったハイネルは、やっと無意識に意識する事をはじき出していたコトを考え出す。
落ち着いて冷静に己を考えれば、確かに邪険に扱う相手だが嫌悪している相手ではない。
自己に係わりのない相手はシャットアウトしてきたハイネルに、ずかずかと入り込んで来た相手。
眼を逸らすなと、言ってきたグーデリアン。
《何から?、か》
問題はソコなのだ。どんなにぞんざいにあしらおうとも、ちょっかいを出してくる相手は彼一人だろう。
ハイネルにおいては、レーサーとなってからというもの心血注いでマシンを中心に世界が廻っているフシもある。
かといっても、ハイネルとてレーサーになる前…学生の頃は、男女を問わず声を掛けられてきていた為か、そういう目で見られているかどうかのモノは見分けがつく。
だからグーデリアンの真意がわからないのだ。
グーデリアンが自覚したのも最近といえば、最近なのだが。彼の場合、男にも食指が動くなど考えてもいない人種であったはず。
それが目当てという態度ではなかった。
このフランツ・ハイネルに対して、実にあっけらかんとした態度でごく普通の付き合いをしてきたのだ。(この場合ハイネルの視点からでは、どつき漫才という自覚は皆無である)
鬱陶しい想いの絡んだ付き合いではなかったと、断言できる。
堅物と思われがちだが、本人としては来るもの拒まず、去るもの追わずの姿勢を通しているだけに過ぎない。まして、この業界たるやレーサーというだけで目の色をかえる女性が多く、そのような女性とは懇意になりたいと思わないので『我関せず』の態度でいるのだ。
もちろん若かりし頃(今だって若いのだが)、女性以外からのアプローチも何度となくあったのが、どれも全て丁寧にきっぱり、はっきり拒絶していた。
その人種と、グーデリアンは違うと言いきれる位に目は養ってきたはずだが…と、考えが止まる。
しかし、聡いリサが言うのだ。
妹の事は、目に入れても痛くないと例えられるほど可愛がっている。(世間の基準とは多少なりかけ離れていようともだ。)しかも、互いに考えている事など読み取る事のできる身内だ。
「そうか、私は…気に入っているのか、アイツを。」
人の機微については、かなり鋭く見ているハイネルであったが自分の事となると、今一つ見えないらしい。他人事のように呟く。
彼の人の想いまでは気が廻らず、自分の中を整理し始める。
グーデリアンもまたハイネルと同じように不器用であるのだが彼の場合、先に自覚している分状況を有利に進めようとして、質が悪い。
ハイネルは、やっと自分の中でグーデリアンが居座っていることに気付いた。
了?
おや?
あら、まあ。見つかりましたの?
しょうがないですね。ちょっとだけよ?
【おまけ】
レース終了後のチャリティ・パーティもお開きになった後、タキシードを着崩したグーデリアンは何気ない顔をして、ハイネルをバーに誘っていた。
普段と変わりない態度でいるハイネルに、多少苛つくグーデリアンであったが静かに並んで杯を傾けるだけであった。
意識せずにいた頃は、ニ、三度こういう風に飲み歩いた事もあったのだがグーデリアンは何の反応も見せないハイネルに、あせりを感じる。
「なあ、何も聞かない気か?」
「……何をだ。」
流れてくるジャズ音楽を指で拍子を取っていたハイネルが、静かに尋ね返す。
「へいへい、相変わらず喰えねぇヤツだな。」
グーデリアンはなかなか様になる仕種で、肩を竦めて見せた。
「誉め言葉として、取っておこう。黙って喰われるワケにはいかんからな。」
眼を合わせて、言うハイネル。
いつもならば僅かにずらされる視線が、カチリと合いグーデリアンはしてやったりという風情で、ニヤリと笑う。
言葉としては、絶対に表わそうとしない二人。
グーデリアンは今までのどの女性よりも細心の注意を払い、ハイネルを絡めとろうとしている。口にしてしまえばハイネルの重荷になるか、拒絶する機会を与えてしまう事になるかのどちらかどろうと明確に判っている。
ハイネルが先に言葉をのぼらせれば、彼の人の性格において撤回される事のない確約となる。
後は、行け行けゴーゴーと押しまくれなのだが。
それにただハイネルの口から、しっかりと聞きたいのだけなのだ。
恋愛に関しては横暴なくらい強く、ずるいグーデリアン。
男心というものは、えてして意地が悪い。
だが、グーデリアンの欲する相手も男。
しかもフランツ・ハイネルという強敵とくれば、いつも気が抜けない。
どちらが先に折れるのか。互いに腹を探り合うポーカー・ゲームのように杯を重ねる。
レースに勝利したわけでもないのに酒が美味く、心地よく酔える。
席も立たずに付き合うハイネルに、まずは『見ていろ』とグーデリアンが言った通りのまま拒みもせず、見ていてくれる気になったらしいと感じる。
《まずは、……これで、いい。》
本気の恋だからといって、ハイネル相手に切羽詰ったトコロを見せるわけにはいかない。
ふかく、捕らえきれるまでは、ゲームなのだから。
これは、先にはまった方が勝ちなのだから、とグーデリアンは己にブがあることを確信する。
そして同じようにハイネルもまた、二人の間で流れている奇妙な雰囲気を楽しんでいた。
あくまでも、シラをきり通して見せようと。
惚れたとも好きだとも言わず、見ていろとだけ言った男。
《その言外に何が含まれているのか等、判っているが応えてやる必要はない。》
横柄な態度でありながら、こういう手合いのコトに関しては頭が廻るらしい男、グーデリアンを半ば呆れながら見遣る。
確かに女性遍歴では敵わないだろうが、グーデリアンの考えているコトは大抵のところ見当がつくというもの。
仕掛けられて、黙っているハイネルではない。
既に自分の中で、グーデリアンを気に入っているらしいということは気付いたのだ。
今更じたばたしようもあるまい。だが、大人しくしているつもりもない。
ある意味、堅物ではないというのが立証されるようなものの考え方だ。
《こういう手合いのゲームは、先にのめり込んだ方が負けと言うのが相場…。》
簡単に応えてやる気は毛頭ないハイネルは、暫くこのゲームにのってやろうという気になっていた。
ふと、レース最中のゾクリとする昂揚を味わう。
感じ方一つで、勝ちにもなり負けにもなるゲーム。
それをどう受けとめるのかも本人次第。ゲームと高を括っている内ならば、いいのだが。
まだ二人は気付かない。
了
このお話は、以前いただいた『自覚症状(Mr.グーデリアンの場合)』と対をなす、ハイネル編ということになります。万一読まれていない方がいらしたら、グーデリアン編もとてもステキですので今すぐGO!してください。
とおこさん、ありがとうございましたーー!!ちなみに、本編とおまけ編の間にある『おや?』などの言葉は、私ではなくてとおこさんが書いて下さっていたものです。すっごくお茶目な方なのです!(笑)
にしても!どうですか、このクールなハイネルのカッコよさ!くうーったまりません。
マジメに私は皆様からの投稿作品を募り、それをUPする管理人になった方が何倍もいいのではないかと思います(笑)。
この二人の『レースでも恋でも、相手には負けられない!ぜったいに勝ってやる!』というスタンスは、とってもいいですよね。甘ーいのもいいですけど、原点に立ち戻ったような気がします。
あと、個人的にリサちゃんがとっても好きです。かわいらしさとしたたかさを両方併せ持っているステキな女の子ですよね。
とても読み応えのあるステキな小説をくださったとおこさん、本当にありがとうございます!辺境サイトなのに、いただきものの所ばっかりこんなに充実してていいのかな・・・(笑)。