君の隣で眠らせて ハピネス


 夜半過ぎ、ハイネルはキィボードの上にせわしなく指を走らせていた。しかし、常である超然とした面持ちほどには上手くいっていないのか、湯上がりに少し湿った髪を降ろした金褐色のとばりの奥で、時折かすかに眉根を悩ましく寄せた。
 体調を気遣っているのと過保護なのとで、うるさく言う人間が周囲にいくらでもいるので、テスト・コースで得たデータを集計する仕事を一段落つくまでに終わらせ、半ばミーティングも兼ねていた夕食と一緒に打ち合わせも済ませ、シャワーを使った後にパジャマ姿で書斎にこもっている。
BGMはセントラル・ヒーディングの唸る音だけだが、実はと言うか、今回ももう一週間近く、まともに寝ていない。
 サイバー・システムの新型作成が、最初に予定していたよりも思っていた以上に足を引っ張り、他のデザインに取り掛かることができないでいたので、夜を押してデータのチェックにテクニカル・ディレクター御自ら乗り出さざるを得ない状況で、ハイネルは神経を尖らせていた。
 ほとんど無意識で、引出しから煙草を取り出し、灰皿を指で引き寄せて火をつけ、煙を吸い込む動作をしていることに、ハイネルは意図的に感覚を遮断していた。別に口が寂しい訳ではなかったが、煙草でも吸わないとやっていられないといったところだろうか。コーヒーは寝れなくなるから駄目だと言われていて、夜の十時以降は飲ませてもらない。煙草とコーヒーで生きているくらい、中毒症状を抱えている身としては、室温が低くて寒い事よりも数段、切つない一時を過ごしている。
 だからと言って、誰もいないからとこっそり隠れて嗜好品を摂取するのは、監督の沽券が廃る。普段は彼のチームのドライバー諸氏諸嬢に、やれ食い過ぎるな甘い物を食うな、健康に気をつけろ、風呂上がりに筋肉は念入りにほぐせ、走りこみを欠かすな、トレーニングをサボるな、柔軟はしたか、煙草の本数を抑えろ!だからカロリーをとりすぎだからアイスは食うな!! と、常日頃口を極めて言っているのだが、現役から引退したのを良いことに、本人の健康管理状態は最悪を極めていたことも、自覚があった。
 神経と体力とを使う仕事で胃を痛めている癖に、時間に追われて様々な責任を好き好んでかぶり、自業自得とは言え、睡眠不足の状態でどこか精神的に失調を憶えないとすれば、既にその人は達観しているか枯れているかの、どちらかだろう。残念ながらハイネルはそこまで人間ができていないので、当然、身体を気遣って規則的に休ませたがるグーデリアンや、リサやルイザたちと、その度に激しく衝突し、さらに神経と胃を痛めつけていた。
「ヘイ、ハイネル。もう良い加減にベッドで寝たらどうだい? 日付けがとっくに変わっちまってるぜ」
「…あれほど、部屋に入る前にドアをノックしろと言った筈だな、わたしは」
 色違いでお揃いのパジャマ(グーデリアンが青、ハイネルが緑、ルイザが赤、リサが黄色で、加賀が洒落で贈ってくれた代物だ)の上に、リサが編んだ(こっちもハイネルとお揃い…)暖かそうなカーディガンを肩に羽織り、スリッパ(ルイザが誕生日にやった物で、ギンガム・チェックの…以下省略)を足先に引っ掛けている。開け放ったドアせいで、室温が一気に下がった。薄いスウェット・カーディガンだけの肩には、少し寒い。
 「何度もノックしたけど、あんたはさっきから画面に躍ってる文字にばっか神経が集中してて、オレが声掛けるまで、ちっとも振り返ってもくれなかったクセに」
 部屋に入ってすぐの壁に寄り掛かり、いつものようにジーンズのポケットに手を突っ込めないせいか、グーデリアンは冷たいハイネルの台詞に不満そうに、ガリガリと収まりの悪い金色の頭をかき回し、唇を尖らせた。集中すると、途端に周りが見えなくなってしまう傾向のあることに、身に覚えがあるハイネルは、憮然とした顔を作った。
 だが、グーデリアンがいつものように機嫌を損ねる事もなく、すぐにニマニマとした笑みを浮かべて嬉しそうな顔をしているのは、今回もハイネルが口に出してはきちんと謝らなかったが、また頬から耳に掛けての範囲に、朱を浮かべていたからだろう。前にそんなことを言っていたのを、ハイネルは執念深く覚えていた。
 『年上の男に、本当は言うべきじゃないんだけど、あんたって本当にかわいいよなぁ』
 …夢を見るのはそれこそ勝手だが、大台直前の185センチもある男に向かって本気かと、うっかり鳥肌が立ってしまい、つい反射的に拳で殴り倒してしまった経験がある。それは付き合い始めた頃のことだったが、今も無条件でそれを受け入れている訳ではないので、その度にぞくぞくとする寒気を堪えている。恋愛にも、それを含む人付き合いもそつなくこなせるタイプだという訳ではないので、困っている顔を見て楽しんでいるのかと思ったこともあるが、グーデリアンは本気だった。目がマジだった。
 「いつ終わるんだ? 待ってるぜ、それまで」
 「先に寝ていろ、当分終わらん」
 あくびを噛み殺しつつ、じろりとグーデリアンは何か言いたそうな顔をした。
 「そこら辺でマジで止めとけって、あーあー、湯冷めしてんじゃねーか」
 後ろから抱きついてこようとしているのを、キッと振り向き様に睨みつけて牽制したが、肩に掛けていた黒いカーディガンが、ファサリとハイネルの肩に掛かった。
 「そのまんまだと、絶対風邪引くって。あんた最近、オーバー・ワーク気味で体力落ちてんだから、余計に後引くぜ?」
 「…余計な世話だ」
 ちょっとした恥ずかしさと、気遣われているいたたまれなさ、そして常にグーデリアンの関心を集めている優越感とをまとめて、冷たい返答をする。だが、ハイネルは男が次に返すであろう反応も、既に見越していた。
 「まぁたまた、照れちゃって、もう」
 グーデリアンは、近年とみに男臭さを増した容貌に、満面の笑みを浮かべた。それはハイネルが安心するような、表情だった。

 グーデリアンとルイザが、第17回大会のシーズン終了を待って、契約金やコマーシャル・フィルムに出るなどで稼いだギャラをはたいて、折半してハイネルのために買った家は、部屋数も多く、ちょっとした規模の屋敷だった。ただ、ハイネルが抱えた仕事と調整するためとか、膨大過ぎて簡単には仕事が終わらないという理由で、常時主要スタッフの何人かが、泊まり込んでいる。
 シュツッドゥガルド市内からも、ファクトリーからも近く、黒い森にもすぐの郊外に建てられたこの家には、チームのスケジュールを担当するリサの部屋も、当然用意されている。共同権利があるルイザはともかく、ハイネルの乳兄弟で現在は医者になった幼馴染みと、もう一人下宿している人間がいるので、グーデリアンにとって合宿所に限りなく近い環境は、不埓な夢もただれた願望も、甘い希望も抱いていた身としては、決してベストではなかった。
 だが、ワーカ・ホリックでオーバー・ワークの自覚がない、困った監督とこれを機に、めでたく晴れて同居(小姑の人数がちょっと多いが)したことで、意外な側面をグーデリアンは見せることになる。仕事に関しては神経質だが、他では無茶と無謀なハイネルと違って、まともで健康的な生活をハイネルに送らせるために、誰かが気を遣わなければ駄目だと悟った途端に、小言ジジィになった。
 それは女にしては豪快でサバけているが、万事大雑把なルイザが目を丸くするような変貌ぶりで、標的になったハイネルは、その都度実力行使も辞さぬグーデリアンの様子に、終始押されっぱなしだ。
 クシャンと、グーデリアンがくしゃみをして、物思いからようやく戻ってきたハイネルは、慌てて掛けてくれた上着を返そうとしたが、グーデリアンは手をヒラヒラさせて、断った。
 「だが、お前はドライバーなのだぞ? 風邪を引いたら来週のテストが、」
 「元々の鍛え方が違うから、大丈夫だよ。だけどオレのことを神秘する前に、もっとちゃんと自衛しろよ。自分の体調の管理もできないような、風邪っぴきの人間に何を言われても、説得力ないじゃん」
 言われてみれば道理だが、どうあっても、グーデリアンはハイネルを寝かし付けるつもりだった。
 「オレをベッドに押し込めたいんなら、あんたも早く寝るんだな」
 梃子でも動かない様子に、ハイネルは観念した訳でもなかったが、渋々データをMOに落とし、終了コマンドを打ち込んだ。最近、グーデリアンもリサ並にハイネルの操縦が上手になっていて、前のように拳を交えてまでということは、少なくなっていた。その分、ルイザがグーデリアンとピット・ロードでプロレス並の立ち回りを演じている。
 それが特権を取り上げられた訳でもないのに、少しだけ切ないのは、単なる我が儘だとハイネルはその想いを、心の中の分厚い壁に塗り込んでしまおうとした。昨年の終わりにドライバーから完全引退をして、レースで走らないことを選んだのは、ハイネル自身だった。そのことに後悔はなかったが、羨望の感情まで摩滅してしまった訳ではなかった。
何となくカーディガンを返しそびれたまま、書斎の電源を落とし、グーデリアンと一緒に部屋を出たハイネルは、階段を登って同じ2階の奥にある寝室ではなく、逆側にある洗面所に足を向けた。
 「…顔を洗ってくる、お前はもう寝ろ」
 「待ってるよ、オレが目を離した間に、あんたが書斎に駆け戻っちまわないようにな」
 すっかり行動パターンを、グーデリアンに読み取られているハイネルは、首筋まで朱を上げ、無言で洗面所のドアを開けた。眼鏡をわきに置き、冷たい水で顔を洗う。引き締まった感じで少し眠気が飛んだような気もしたが、澱のように溜まった連日の疲労は、その程度のことで解消されるということはない。
 タオルで顔を拭いてドアを開けると、宣言通りに仁王立ちでグーデリアンが待っていた。チッと舌打ちして、寝室まで無言で同行すると、自室のドアのノブを掴もうとしたハイネルの手の上に、グーデリアンが手を置くようにして、開こうとするのを制した。「寝ろ」と注意しに来たクセに、言動が首尾一貫していないではないかと、危うく文句をつけようとしたところで、グーデリアンが悪戯でも思いついたような顔をした。
 「あんたの部屋のベッド、ヒーターも入れてないから絶対に今、冷たいと思うんだ。どう? 有機物の電気アンカ付きのオレのベッドに招待したいんだけど」
 末端冷え性持ちのハイネルとしては、この季節ならではのお誘いに、ちょっと心惹かれる申し出だったが、その台詞をうかうか信じてしまったばっかりに、翌日の業務に差し支えるような羽目に陥ったことが、数度ある。一度痛い目を見ているのに、つい何度も引っかかってしまったのは、その度にグーデリアンがお誘いの台詞にバリエーションを見せるからだ。そういったことばかり、頭が回ると文句をつけてやったこともあったが、そんなに迂闊なこと言ってて、良く今まで生きてこれたわねと、真剣にリサとルイザに呆れられてしまったことも過去にあった。
 「…明日わたしは、遅くても朝の5時には起きて、本社での常務会の資料を作らなければならないんだ。しかも明日は一日その会議で時間を取られるから、資料を作ったら時間ギリギリまで、データの解析と、チーフへの指示出しのメールを5本ほど、出さなければならない」
 ちらりと、グーデリアンは廊下の壁に掛かった時計に青い視線を向ける。今が1時過ぎで、目覚し時計よりも十分前に目が自然に覚める体内時計と相談するまでもなく、あと正味3時間半程度しか、ハイネルに睡眠時間はない。そう言った台詞で、暗にハイネルは「おまえと寝ている時間はないぞ」と牽制してみせた。
 しかしグーデリアンのほうも、素直でないハイネルの扱いは、伊達に年季を積んでいるわけではない。ハイネルが変化球で勝負に出るのなら、グーデリアンもフォークボールで返さなくては。
 「実は、あんたに上着貸しちまったから、オレも良い加減、寒いんだわ。だけどあんたと一緒に寝れば、オレも風邪引かないで済む訳だし、明日の朝も6時起きでトレーニングのスケジュールだけど、あんたが起きる時に起こしてくれれば、ルイザに寝起きのところを殴り飛ばされることもないし、致命的に寝過ごすってこともないんだけど。それに、あんたが今日も徹夜で仕事してたりしたら、またどっかで倒れるんじゃないかって気が気じゃない想いもしなくて良いから、ぐっすり眠れる」
 ハイネルはまたチッと、高く舌打ちした。知能犯めと、口の中で呟いた文句は聞こえなかっただろうが、屁理屈に掛けてはグーデリアンはハイネルより、数段上手だ。
 「…ベッドに邪魔させてもらうだけだぞ、それ以外のことをしてくれるなら、例えまともに眠れなかったり、氷のように冷え切ったベッドだろうが、わたしは自分の部屋に戻るからな」
 普段の睡眠不足のせいで墜落睡眠型のハイネルに、目覚めない程度の些細な悪戯(精精、パジャマの中に手を忍び込ませるくらいのことだが)を仕掛けることくらいならどうやらできそうだと、頭の中で既に演算を終えていたグーデリアンは、満面の笑みで頷いた。
ハイネルも、忙しさにかまけてグーデリアンとのスキンシップに飢えていたから、まぁキスくらいなら良いかと、少々ヌルいことを考えていたが、お互い顔にも言葉にも出さず、グーデリアンがハイネルの肩を引き寄せようとするのを、つれなくブロックしながら、グーデリアンは抜け出していた自分の部屋のドアを開けた。それでも、強引に腕の中に拉致されながらも、その温かさにハイネルはこっそりと、安堵の息をついてもいたことは、グーデリアンには内緒にしているつもりでいる。
 それぞれのそれぞれなりの幸せの眠りを満喫すべく、グーデリアンはハイネルを抱えたまま、冷えないように肩までブランケットを掛けて、部屋の電気を落した。眠りつく寸前、お休みと小さく頬に唇を押し当てる。ハイネルからの拳での返答がないことに満足して、グーデリアンもまぶたを閉じた。



 このお話は、蕣子さんが下さったものです。蕣子さん、本当にありがとうございました!
 蕣子さんのグーハーも、ハイネルがクールでカッコいいですよねー・・・。うっとり。ハイネルもカッコよくていいんですが、私、このお話のグーデリアンが好きです!
 すごく大雑把なようでいて、ミョーにハイネルの世話をやいてしまうグーデリアンって、かいがいしくってかわいいですよね。かわいい上に、大人の男の包容力をも感じさせる!それに、このお話のグーデリアンって頭の回転のよさをとっても感じますよね。機転がきくって言うのかな・・・。
 ああ、なんてグーデリアンってカッコいいんでしょうか・・・。←私、ふだんハイネルファンとか言ってるんですが・・・。
 
 蕣子さん、改めましてありがとうございました!とってもうれしかったです。

                   


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