稀代の色事師として悪名高いグーデリアンだが、彼が誰か特定の人とステディな関係を築いたことがないという事実に気付いている者が、一体どれだけいるのだろうか。
女性とともにスクリーンや紙面を騒がしているときのグーデリアンの表情は、並べてみれば一目瞭然で、すべて同じ、レンズの前だけでの作り物の笑顔であることがわかるはずなのに、彼の派手なまでのパフォーマンスと雰囲気に惑わされ、誰も気がつかない。
「ふん」
手元にあった、紙質の悪い雑誌を数冊、デスクの上に放り投げ、ハイネルはため息をついた。
それでも、彼から向けてもらえる笑顔が、羨ましいなど。
「思うはず、ないに決まっている」
こぼれたため息に添えた言葉は、あまりにも言い訳がましかったけれど。
「おーいハイネルー?」
ハイネルの執務室として認識されている部屋のドアをためらいもなく開けるのは、妹のリサ以外にはひとりしかいない。
「なんだ」
パソコンから視線を外さずに声だけで返事をすれば、なんとなく拗ねた雰囲気が伝わってくるから、こっそりと口元だけで笑みを作る。
「ええと、あのさ」
「だからなんなのだ」
よく言えば開放的、悪く言えばあけすけなこの男が、言い難そうにしていること事態がめずらしいから、ハイネルは気付かないふりを装い、忙しいのだから用件は早く言えと、態度で示す。
「ええっと。俺、今日の分のトレーニングは、きっちりこなしたんだけど」
ほんの少し上目遣いをして話を切り出す姿など、どんな報道機関だって撮ったことはないだろう。
キーボードを叩く指は止めずに、けれどちらりと視線だけを投げかけ、聞いていることを表せば、口篭もっていた口調がわずかに軽くなる。
「ついでに、明日の分のトレーニングも半分くらい終えたんだ」
「トレーニングは毎日するからこそ意味があって、何日分かをまとめてやっても効果はないと、以前私は言わなかったか?」
何度言い聞かせても理解しないらしいことを、それでも口にしてしまうのは、監督だからか、ただ単におせっかいだからか。
だが、当然のことながら、これくらいで奴が大人しくなることはないから、言っておいて損はない、という程度でしかないが。
「ああ、ウン、明日はちゃんと明日の分をやるけど」
とたんに大人しくなる口調は、聞いていて本当におもしろい。
インタビューなどの不遜な態度からは、誰も想像できないに違いない。
「だから、なにが言いたいのだ?」
おそらくは何か頼みごと―――女の子と遊ぶ時間だとか―――をしに来たに決まっているだろうから、そんな不愉快なことはさっさと済ませてもらいたくて、きちんと顔を振り向け、語調をきつくした。
「えーっと、ハイネル、ドライブにでも行かない?」
「忙しい」
そう一言でばっさり切って捨てたはずなのに、今、ハイネルはグーデリアンの車の助手席に身を収めていた。
レースシーズン中ではあっても、年間のレース数そのものが多くはないため、インターバルは他のカテゴリーに比べるとけっこう長い。
だから、純粋にドライバー業だけを営むグーデリアンとしては、マシンのセットアップがうまくいかないときなどは特に、トレーニング以外にすることがなくなり、他のクルーが聞いたら目くじらを立てて怒るだろうが、暇を持て余してしまうのだ。
そして、そうなるとたいてい被害を被るのは、なぜかハイネルなのである。
グーデリアンほどの男なら、キャンギャルだって喜んで暇潰しのお相伴くらいは付き合うだろうし、そうでなくたってその辺でナンパをすればかなりの高い率で成功するだろう。
べつに、度を越えなければ、そういった遊びを禁止しているわけでもないのだから、きちんと己の為すべきことをしたのなら、わざわざ犬猿の仲であるハイネルと一緒にいる理由など、欠片もないはずなのに。
「忙しいったって、息抜きは必要だろ?」
そんな風に、運転席に乗り込みながらハイネルにむけてウィンクをする男の、意図するところがまるでわからない。
「やっぱねー、根詰めすぎるとかえってはかどらないってともあるからさー」
無骨な手がイグニッションキーを差し込んで回せば、心地よい振動が身体中に伝わる。
「ここって海が近いだろ?昼間はけっこう混んでるみたいだけどさ、今くらいなら誰もいないって」
ハイネルが頷くことすらしないのに、ぺらぺらと喋りつづけるグーデリアンは、どうやら潮風に向かっているらしい。
カーステレオから邪魔にならないほどのボリュームで聞こえてくる音楽を一緒に口ずさんでいるところを見れば、かなり機嫌がいいらしい。
そう、いつだって、野次馬を呼んでしまうほどのケンカは、ハイネルの態度によるものなのだ。
きっと彼にとってはコミュニケーションのつもりだろう軽口や冗談も真に受けてしまって、きつい言葉で返してしまう自分を、反省しないでもない。
もともとが、優しい男だから、ハイネルがどれほど悪態をついても、鬼監督の機嫌をとろうとしてかもしれないけれど、こうして普通に接してくれる。
元来人付き合いが苦手なハイネルだから、それがうれしくないわけはないのだけれど。
グーデリアンにとってはこれが当たり前で、だから、人との接し方に経験があまりないハイネルは、都合のいい誤解しないようにと、自分を戒めなくてはいけないのだ。
そうでなければ、優しさに甘えて、隠していた気持ちが溢れてきてしまいそうになるから。
「気持ちいいだろ?もうすぐ見えてくるぜ?」
レンズ越しに見せるものと違う笑顔を見たくなくて、ハイネルは開け放した窓から見える流れる街へと視線を固定した。
仲間、チームメイト、監督とドライバー。
出逢った頃にはいがみ合ってすらいた関係を省みれば、今の関係に不満など抱きようがないはずだった。
相変わらず喧嘩はするけれど、真面目な場面ではきちんと会話も成り立つし、ほんのたまに飲みに行ったりも出来るようになった。
それなのに、彼の放ったたった一言が崩してしまったのだ。
『イイ奴だよ』
いつかどこかで受けたインタビューの、お愛想のように付け足された、『フランツ・ハイネルをどう思うか』という質問。
マシンのこと、レースのこと、チームのこと。
相手は違えど、こちらがサイバーフォーミュラというカテゴリーに所属する立場であれば、質問内容に大差はない。
ハイネルの用意する固い回答など、グーデリアンにと臨んでくる相手が待っているわけでないし、ハイネルよりもよほど当意即妙なやりとりが出来るから、機密に関すること以外なら、たいていは彼に自由に答えさせているのだ。
だから、というわけではないが、油断していた。
監督として、元ライバルとして、ハイネルとの関係を訊かれることも少なくはない。
「えー、ワーカホリックだし、マシンオタクだし、すぐに怒るし…」
おどけた表情で流れるように並べ立てられるいつもの表現に、カメラやマイクを向けている者たちから苦笑がもれる。
いつもと違ったのは、その場にハイネルがいなかったことだろう。
たいていはハイネルと一緒にインタビューを受けるか、もしくはハイネルはその場の目立たないところに立って監視しているのだが、そのときは他に用事があってそちらを済ませてから行ったから、その部屋に入らず、開け放たれていたドアの陰から見ることになったのだ。
そしてグーデリアンは、それに気付いていなかったのだろう。
「でも」
ひとしきり、いつもの作り笑いとともに悪口とも取れる単語を並べ立ててから、ふと、言葉をとめた。
「イイ奴だよ」
向けられるレンズにではなく、どこか遠いところに視線を遊ばせ、これまで一度も見せたことがないような、穏やかで深みのある笑みをその頬に刷いたのだ。
きりりと胸が痛んだのは、その言葉にか、笑顔にか。
そのままインタビューは終わったのだろう、湧き上がるざわめきにハイネルはあわてて踵を返したのだった。
そうして、自覚してしまったのだ。
『イイ奴』と言われて悲しくなった自分に気づいて、グーデリアンに、特別な想いを抱いていることを。
一度認めてしまえば、もう、否定しようがないほどに、その気持ちが大きく膨らんでしまっていることも分かって。
それでも、グーデリアンにだけは気付かせてはいけないと、心を戒めた。
彼が、女性が大好きなのは、世界中の誰もが知っていることだ。
偏見などは持っていないだろうけれど、それでも男であるハイネルから思いを寄せられたって、迷惑なことに違いない。
悪くしたら、グーデリアンには嫌われてしまう可能性だって、ある。
だが、ハイネルがそれ以上に怯えて弱気になってしまうのは、シュティールにとって最高のパートナーを失うことだった。
いや、心のどこかでは、シュティールではなく、自分の、という思いもあっただろう。
恋とも呼ぶべき己の思いと、仕事と。
どちらかを選べといわれれば、迷いなく仕事を選ぶことは、万にひとつの間違いもない。
それは、ハイネルにとっては仕事ではなく、夢であるからだ。
野望であり、何よりも優先させなくてはならないことだからだ。
己では制御出来得なかったじゃじゃ馬を乗りこなすに足る人物としてグーデリアンをドライバーに欲し、何よりも特別だった『己のマシンで表彰台に上る』ことを欲した。
グーデリアンとなら、『今』を越えた夢だって、見ることが可能なのだ。
グーデリアン以外の者と叶えらることなど、何ひとつないのだ。
「ほら、見えてきたぜ」
かそけく降ってくる星明りを受けてひかえめに煌く波が、エンジンの音すらもかき消すほどの、腹に響く轟音と不釣合いだった。
一面の黒と翠色を含んだ飛沫の白が、ヘッドライトに弾けて光る。
他の車がないのをいいことに、パーキングに適当に停め、グーデリアンが降りたのにつられて、ハイネルもドアを開けた。
「昼間の海もいいけどさ、俺、こういう怖いくらいの夜の海も、荘厳で好きなんだ」
何者をも寄せ付けないほどの気高さがハイネルに似てるからさ、なんて、さらりと付け加えて、笑う。
稀代の色事師として悪名高いグーデリアンだから、こんなことはきっと、誰にでも言っているのだろう。
どうせこの笑顔だって、レンズ越しに見れば、いつもと同じ作り物のそれに見えるはずなのだ。
それなのに、ステディな関係を築かない女の子たちとは違い、こうして一再ならずハイネルを連れ出してくれるグーデリアンに期待してしまう自分を、ハイネルはそろそろ持て余し始めていた。
『いつまでも待ってるからね』なんて、女の子たちのようにキレイ事に逃げられるはずもない。
けれども、『友達でいい』なんてキレイ事も言えない。
告げてしまえば後戻りも出来ず、ベットのためのコインは、己の命。
彼が見る世界も、彼の時間も。
彼が欲しいのだと、我がままなほどに素直に伝えたら、彼はどうするだろう。
うろたえる彼の姿を想像して、ほんの少し苦笑をもらしたら、見とがめられて、不思議そうな、問い掛けるような視線を寄越した。
だから。
こんな風に何度も過ごした思い出を信じて、ハイネルは心を解放した。
〜Ich wunsche Sie. Ich wunsche alles von
Ihnen.〜
―君が欲しい 全部欲しい―
いきなりわたくしゴトで恐縮ですが、私は五月が誕生月です。グーと同じなのです。えっへん!他にイバれることはないのか!(笑)
といきゃっとさんがお優しくも恐れ多くもお祝いとしてこんなに素敵なお話を書いてくださいました。
といきゃっとさんのお話を読ませていただく時によく感じるんですけど、このお話を読んだ後もとても柔らかな気持ちになりました。「ろくさーぬ」や「たにん」のような起伏に富むストーリーももちろんお上手なんですけど、作家としてのといきゃっとさんに対して私がまず最初に思い浮かべるのは、『心の柔らかで繊細な機微をとても上手に描き出す方』というイメージなのでした。
大きな事件ではなくて、本当にふとしたきっかけ。けれど小さなその出来事が感情を揺らし、その人にとっての価値観やそれまでの日常を鮮やかに塗り替えてしまう・・・。
上手く説明できなくて申し訳ないんですけど、そういったことを説明がましくなくサラリと読み手に届けることが出来るのって、とても難しいことなんじゃないかな、などと勝手に思うのでありました。大雑把な私には死んでもできません。私をここで出すことさえおこがましいですか?(笑)
このお話を読むとハイネルがいじらしい!かわいい!(かわいいんですけど、けして女々しいんじゃないんですよね)です。私がグーならぎゅーっと抱き締めたくなりますね!というか、この後のグーは絶対そうするはずですね!(笑)
とても一途で、清廉で強くもあり(恋愛的な面では)弱くもあるといきゃっとさんのハイネルは、本当にスッと芯の通った白い花が似合うだろうなと思います。
とても暖かくて甘やかな、素敵なお話をありがとうございました!幸せな気持ちにさせていただきました。