欲しかったのは、対等につきあえる関係。
「いよぅ、ハイネルちゃん!まぁた難しい顔して、どしたのよぅ」
黄金色の頭が視界に入り込んでくるのは、すでに日常と言っていい。
今期最後のレース開催日まで、まだ数日の余裕がある。
すでにマシンもタイヤも全クルーも揃っており、コースに合わせて綿密なマシンの調節をしているところだ。
ドライバーではあるけれど、マシンデザインも手懸けるハイネルはすべての設定を自分の目で確認するためにクルーとともにピットにいた。
他のチームも続々と到着しており、陽気な声の持ち主もいて当然なのであるが。
それでも、半ばは予想していたこととはいえ、ハイネルはこっそりと肩でため息をついた。
まるで太陽の光を集めたかのような彼は、女性という名の向日葵たちを魅了してやまない。
両手だけにあき足らず、周囲に色とりどりの花を抱えて歩く男の名は、ジャッキー・グーデリアンという。
目下、ハイネルのライバルという立場を周囲からは位置付けられている。
「これは私の地顔だ。貴様にとやかく言われる筋合いはない、放っといてもらおう」
振り向きざまにぴしゃりと言い返したが、それで引き下がる相手だとは思われず、そして案の定というか予想に違わず、グーデリアンは女の子ひとりひとりの頬にキスを贈ってからハイネルのピットまで入ってきた。
ここでなぜ、女の子たちよりもハイネルのほうを選ぶのか、ずっとハイネルには理解できずにいる。
グーデリアンの女好きは有名だし、本人もそれを汚点と思うどころか誇りにすらしているのだ。
それなのに、なぜ、取り縋る彼女たちをわざわざ宥めてまでハイネルに話し掛けようとするのだろう。
世間ではライバルだの犬猿の仲だのと言われているが、実際はちょっとだけ違う。
確かに、年齢もサイバーへ来た時期も近く、先輩ドライバーたちから見ればまだまだひよっこのふたりだから比べられて当然だし、お互いをライバルだと認めていることは事実だ。
グーデリアンの軽い態度と揶揄するような言い方、ハイネルの傲慢ともとれる話し方と軽蔑するような目つき。
外野から見れば相反するふたりが油と水、炎と水(とある雑誌に載ったところでは野生と血統書付)のように合わないのは当然と考えるのが自然だ。
けれど、他人の目がないときにだけなら、グーデリアンのさりげない優しさやハイネルの不器用な穏やかさが顔を現すこともないわけではなかったから、本当に稀だけれど、偶然取っているホテルが同じだったりしたときには、夜、一緒に飲みに行くこともあるのだ。
ほぼ同時期、というよりもわずかではあるがグーデリアンのほうがサイバーへ来た時期は遅いのに、すでに他レーサーたちと屈託なく話している。
大先輩と言ってもいいほどのロペになど、まるで弟のようにかわいがられているのも知っている。
愛想がよくて人見知りをしないグーデリアンは誰にでも話し掛けるし、また、話し掛けられやすい雰囲気を纏っているのだ。
だから、無愛想で会話を楽しむ術を知らない、すぐに喧嘩腰になってしまうハイネルにまでも声をかけてくれる。
はじめは、いつもひとりでいるハイネルに同情したのか、からかいが目的だろうと思っていたのだが。
それでも、女の子たちを除けば他の誰よりも、いや、最近では女の子よりも、ハイネルに近づくほうが多いということを、ピット内のクルーたちの噂話を聞いて知ってから、ハイネルは自分の心の中のグーデリアンの位置を、自分でもそうと知らないうちに少しだけ変えた。
それならば。
少しだけ。
それがたとえ、ほんのわずかな可能性だとしても。
期待をしても、いいのだろうか。
祈るように、縋るように、湧き出る思いは、いつしか心の中にある容量をはるかに越えて溢れ出していた。
「友達に、なってもらえないだろうか」
それが、以来の形をとった懇願であることを、グーデリアンは精確に察知した。
最終戦を終え、新人にしては奮闘したふたりは、それぞれの国へ戻る前に、シャンペンシャワーには敵わないものの、ささやかながら慰労会と来期への激励をかねて、ホテルの地下にある静かなバーへ来ていた。
挨拶代わりの悪口雑言は早々になりを潜め、カウンターの隅で他の客席から顔を見られない位置に陣取ってそれぞれの好みのアルコールを取りながら、特に会話を交わすでなく、静かに時間を過ごした。
互いのオフの間の過ごし方や家族のことなどを、BGMに流れるかすかなジャズに紛らせながら主にグーデリアンがぽつぽつと喋りハイネルが頷くという、おそらくは互いのクルーが見れば、なんでいつもこういうふうに話せないのかと怒るか呆れるかするほどに穏やかな空間。
ハイネルが突然にそう言ったのは、会計を済ませ、グーデリアンが干したグラスの横にチップを置いたときだった。
「え?」
『鳩が豆鉄砲を食らったような』という表現をそのまま表したように驚いたようなグーデリアンの表情に、そのたった一言を言うために、勇気を総動員させたハイネルは、内心舌打ちをした。
自分はどこか、人間として欠陥があるのだろうかと。
口に出して言ったことはなかったけれど。
それでも、ずいぶん長い間、それは悩みという形でハイネルの心の中で幾度となく問い掛けられていたことだった。
コンプレックスである顔をはじめとして、自分の外見が『男』として扱われないことの多さに、かなり辟易していた。
幼いときは、それも仕方がないと諦めていた節もある。
性徴などない頃は、見てくれなど男女にさして差があるわけでもなく、女の子は髪を長くしたりスカートを穿いたりすることで男の子との違いを表すくらいで、ボーイッシュでハイネルよりも男らしい子などいくらでもいた。
けれど。
学年があがるにつれ、その差は歴然となってくる。
少年は、背も伸び、骨格もしっかりとし、体のラインは直線的に。
少女は、胸がふくらみ、丸みを帯びた身体は包み込むようなやさしさを備え。
ハイネルも例外ではなく、鏡の中に映る自分の姿には、肉づきが薄く骨ばっていて、どこにも女らしさの欠片はない。
それなのに、日に焼けない肌、鍛えても逞しくはならない身体、男臭さのない顔の造作など、『男』を主張する部分が少ないため、よく言って中性的に見られがちだったのだ。
ギムナジウムでは、学年に関わらず言い寄ってくる輩がいたし、酷いときには、勉強が好きだったことが災いし、プロフェッサーまでもがハイネルの身体を目当てにして近づいてきたこともあった。
そんな周囲ばかりだったから信用するなんてもってのほか、どころかまともに友人と呼べるものなど皆無に等しかった。
結果ひとりでいることが多くなり、ますます勉学にのめりこむようになり、欲しかったわけでもない肩書きが増えるたびに、さらに上辺ばかりを見る者しか周りにはいなくなるという悪循環。
そんな尋常でない人間ばかりがいる中で、真っ当な友人関係が築けるはずはない。
だから、いつでも欲しかったのは、たった一人でもいいから、気を遣わなくてもすむ、心を許せる友人だった。
サイバーに興味を持ち、ドライバーとして籍を置くチームの中には同年代の人もいたけれど、やはりオーナーの息子ということでどこか相手が遠慮をしていることを敏感に感じ取ったハイネルは、もうほとんど諦めかけていたのだ。
そこに現れたのが、グーデリアンだった。
派手派手しい外見、それに見合うだけの女性たち。
だからといって男に対して冷たいわけでもなく。
もともとの性格もあったのだろうが、まともに人と話した経験などないハイネルの無愛想さにも懲りず、ハイネルを見つけるたびに話し掛けてくる。
だから思い切って口に出してみたのに。
「えーと」
びっくりした顔のまま、グーデリアンはきゅっと柳眉をひそめたハイネルの顔を見ていた。
ハイネルの思考回路はまるで迷路で、グーデリアンにはとてもじゃないが理解できない。
けれど、まるでねこが毛を逆立てているような初対面のときのハイネルから、回数を重ねるごとに違う顔と雰囲気を見せてもらえることに、まるで子供のようにわくわくした気持ちでいっぱいだったのだ。
マシンの内側を覗く真剣な顔も、クルーと話すときの穏やかな顔も。
自分にも向けてくれないかなぁと考えていたのは、もうずいぶん前のことで。
こっそり観察していたときに気付いた、本当に苦手なやつにはいっそ清々しいまでに無視を決め込むか、完璧なまでに作った顔で対応するハイネルのクセ。
それが、自分に対しては、怒った顔も、滅多にないけれど笑った顔も見せてくれるから、きっと嫌われてはいないだろうとは思っていた。
誘えば、こうやってレースとは関係のないところにも付き合ってくれる。
だから。
「俺、もうハイネルとは友達だと思ってたんだけど、ハイネルは違うんだ?」
言葉を選ばずに言ってしまった。
途端に音がするほど強くハイネルが唇を噛みしめるから、グーデリアンはかなり慌てた。
「あ、ゴメン。べつに責めてるわけじゃなくて、その」
とりあえず高い天井のロビーのコーナーにあるいくつかの大きなソファが置かれた場所へ移動する。
このままハイネルを部屋へ返したら、きっともう口もきいてくれないだろうことは容易に想像できたから、なんとか説明したかったのだ。
「あのさ、ハイネルが俺と友達になりたいって思ってくれてるのは、すっげぇうれしいんだ」
有名人を泊めるホテルはそれなりに一般の客も選ぶから、さほど周囲を気にすることなく話すことができるのはありがたい。
ハイネルを傷つけることなくいえるうまい言い方なんて、女の子相手よりも難しいことをグーデリアンは実感した。
「だから、えーと、なんていうのかな、俺、今までこうやって宣言して友達になるって経験、ないからさ、えーと、だから、えーと、ちょっと、なんていうか、びっくりしちまって」
支離滅裂になっているのは仕方がないが、グーデリアンは懸命に言葉を探した。
「…ないのか?」
「え?」
自分のことで手一杯で、だからわずかなハイネルの声を聞き逃してしまい、問い返せば。
「宣言は、しないものなのか?」
真っ直ぐにグーデリアンを見て、ハイネルはもう一度繰り返した。
「私は」
その顔が、どことなく不審、というよりも不安そうに見えて。
「今まで、私には友達なんていなかったから、どうやって友達を作るのか分からなくて」
かろうじて、ガラス製のテーブルを挟んで座るグーデリアンにのみ届くほどの小さな声で告げられた内容は、またもやグーデリアンを驚かせたけれど、顔の筋肉をフル活動させていつもの表情を取り繕った。
「普通は、しないよ」
ゆっくりと、噛んで含めるように告げる。
「友達ってのは、『作る』んじゃなくて『なる』もんだからさ」
ハイネルの生い立ちや経歴は、レース関係の雑誌をめくれば簡単に知ることが出来た。
そこからは、普通の子供のように外で遊んだりせず、机にかじりついて勉強ばかりしていたんだろうことは容易に想像がついて。
それが、別の理由からだとグーデリアンが知るのは、まだ少し先になるのだが。
「じゃあ、俺がハイネルのいちばん最初の友達ってことになるんだ?」
女性に向けるのとはまた違う、子供のような笑顔を向ければハイネルはうっすらとその白い頬を桜色に染めた。
それが、グーデリアンの下腹部をダイレクトに刺激して焦ったが、ふんわりとうれしそうに口元をほころばせたハイネルを前に、意志の力で封じ込める。
「じゃあさ、ハイネルは友達とどんなことをしたかったの?」
きっといろいろと想像はしたんだろうと思って訊いてみれば、ハイネルは少しだけその緑色の瞳を見開いて、それからそれを穏やかに細めた。
「そうだな、なんでもないことを話したり、映画を観に行ったり食事をしたり、それから、お互いの家を行き来したり…」
それって『デート』っていうんじゃないか?
なんてグーデリアンは思ったが、女性に間違われたり、そうでなくともまるで女性のように扱われることが多かったからというハイネルの述懐の後だったので、賢明にも口には出さないでおいた。
その代わり、
「なんだ、それって俺らがしてることじゃん」
あははと笑って言ってやれば、今度こそハイネルが大きく目を瞠った。
「…そうか」
「そうだよ。俺ら、もうずっと前から友達だったんだよ」
うれしそうに、本当に本当にうれしそうに、ハイネルが微笑むから。
グーデリアンまで浮かれてしまうほどにうれしくなってしまったのだった。
学業でもマシン関係のことでも、ハイネルを憧れや理想として後をついてくる人は多い。
けれど、それを友達と呼ぶことは出来ない。
ハイネルが目指す、そうありたいと願う人物がいないわけではないが、やはりそれも友達ではない。
「私は、私の後をついてくるような、または私の前を歩くような、そんな人が欲しかったわけではないのだ」
それぞれが違う人物であるように、それぞれが歩む道もいつかどこかで違ってくる。
後をついてくる人を、ハイネルがいつまでも手を引いてやれるわけではなく、もちろん、ハイネルが目標とする人とまるきり同じ道を歩けるわけでもない。
「ただ、対等でいられる友が欲しかった」
たとえ全く違う道を選んでも、それでも隣にいられる人を。
「知ってる、ハイネル?」
にかりとグーデリアンは笑って見せた。
「友達ってのは、人間に対する最高の尊称なんだぜ?」
どっか見た本かなんかの受け売りだけどさ。
部屋へ戻るエレベーターの中で、ふたりきりのときにグーデリアンは言った。
「俺を選んでくれて、サンキュ」
グーデリアンの部屋のある階で扉が開き、降りる直前にハイネルの頬に軽くキスを贈れば、閉まる扉の向こうで首筋まで朱を刷いたハイネルが拳を振り上げるのが見えた。
「前言撤回だ!誰が貴様のようなやつなんぞを…っ」
それでも扉の開くボタンを押してきちんと告げなかったのは、きっとハイネルが本気でその言葉を言っているわけではないから。
そう、グーデリアンがわかるほどには、『友達』としての時間はもう長い。
友達になってほしいと思った自分ともう友達だったと分かったハイネルは、きっと今晩はうれしくて眠れないだろう。
なぜなら、グーデリアンがそうだから。
ちょっかいをかけていると思われているだけで、迷惑がられていたらどうしようと、グーデリアンだって考えたことがないわけではないのだ。
実を言えば、できればお友達よりももうちょっと進んだ関係に、なんて目論んでいたりもするのだが。
それでも今は、隣を歩く特別な位置を自分に用意してくれたと分かっただけでも、心臓がスキップしているのを自覚していた。
友達になりたいと、望んでいたのが自分だけではないと分かったときのうれしさを、今、ハイネルと共有している。
「あー、俺も眠れなさそ」
友達なら当然することだと言ってもらったハイネルのプライベート用の携帯番号が、ポケットの中でグーデリアンに使われることを待っていた。
最初は『友達』からはじめよう。
いつか道は分かたれても。
それでも一緒にいられる、いちばんの『友達』に。
- Don't walk behind me, I may not lead. Don't walk in front of me, I may not follow. Just walk beside me and be my friend.
<僕の後を歩かないでくれ。僕は君を導いてはやれないかもしれないから。僕の前を歩かないでくれ。僕は君の後をついていかないかもしれないから。ただ僕の隣を歩き、そして僕の友となってくれ。>
私のサイトではトップに英語の格言みたいなものを置いているのですが、上の格言は特にお気に入りのもののうちの一つで、裏サイトで『こういうグーハーが読みたい!』と騒ぎまくっていたのです。
そうしたらといきゃっとさんが本当にお話にして下さったのでした。
いつも思うのですが、といきゃっとさんのハイネルはキュート!生真面目でまっすぐで世間ずれしていないところがかわいくて、私がグーだったら怒られるのがわかっていてもちょっかい出さずにはいられないことでしょう。個人的に、ハイネルって性格的にアンバランスなところがあって(慎重だと思えば大胆だったり、お坊ちゃんかと思えば意外と柄が悪かったり)、そこが彼の大きな魅力の一つなんじゃないかなぁと思います。
といきゃっとさんのグーは、そういうハイネルを丸ごと包んでくれる安心感があるなぁ・・・。
自分の好きな言葉を、自分の好きな作家さんが自分の好きなジャンルで使ってくれるのってすごく贅沢な喜びですよね。今回はその喜びを満喫させていただきました。
といきゃっとさん、本当にありがとうございました!
しかし私は間接的にといきゃっとさんを脅したも同然です・・・さすがに反省が必要だと思う今日この頃です。うう、すみませんでしたといきゃっとさん!