あず・ろんぐ・あず
「なぜっ!なぜ、貴様は私にばかりちょっかいをかけてくるのだっ!?」
ハイネルは、ほとんど叫んでいた。
サーキットから少し外れた、人気のない建物の裏。
「他の人とは、ちゃんと笑顔で話すくせにっ!他の人には、愛想笑いだってするくせにっ!どうしてっ!」
捕まれた手首を強引に引っ張ってその呪縛を解き、熾烈な色をその緑色の瞳にのせた。
「どうして、いつも私にだけ…っ」
グーデリアンは逃げていった手を追いかけず、その代わり、自由になった自分の両手で相手の身体をコンクリートの壁に縫いとめる。
「仕方がないじゃないか」
悲鳴に近いハイネルの口調とは反対に、グーデリアンの声は深く沈んでいた。
「気になるんだよ。どーゆーカッコして、どーゆー話して。他の人なんか、どうでもいいんだよっ」
お互いの鼻先がくっつきそうなほどに顔が近付く。
「ハイネルしか、目に入らない」
ゆっくりと合わさるグーデリアンの口付けを、ハイネルは意外と冷静に受け止めた。
「ハイネルにしか、腹も立たない」
角度を変えて、もう一度。
「他の奴なんて、いらない」
いつのまにか、グーデリアンの左手はハイネルの細い腰を抱きこんでいた。
執拗なまでに追いかけてくる舌から逃れようとハイネルは身を捩るが、かえってグーデリアンの腕はきつく締め付けてくる。
身体を離そうともがいていたハイネルの両手が、グーデリアンのはだけたレーシングスーツにすがりつくまで、長い時は要しなかった。
いつだって、本当はさみしかった。
大会社の嫡男として生まれただけで、周囲は子供であった彼を大人扱いし、いずれ社長の座につくということで彼に媚び諂った。
そんな汚い姿を見て育ったおかげで、ハイネルは物心ついたときから人間不信で両親にすら心を完全には開かず、その上不運なことに頭脳明晰であったため、いくつか取得した博士号すら周囲の人間をして彼に愛想をふらしめる結果となり、結局、誰に対しても、どんな時も、最低限の礼儀だけを保ち、己の周りに見えざる壁を築いていた。
そんな彼の心の中に、グーデリアンは土足で、遠慮もなく入ってきたのだ。
今まで会った人間とは違い、グーデリアンは彼の肩書きや頭脳などはまったくハナにもかけなかった。
だが、他人との関係が疎遠だったハイネルにはそんな経験がまったくなく、そのグーデリアンの態度がうれしかったのだと気づくまでに、かなりの時間を要してしまった。
出会いは、最悪だった。
よりにもよって、サーキットに下見に来たグーデリアンは自分を女だと間違え、あまつさえいつも取り巻いている女どもと同じように扱おうとしたのだ。
確かに色白で男にしては華奢だが、それなりに長身である。
いや、間違いなく当時はハイネルの方が高かったはずだ。
顔立ちこそ妹と似ていると言われるが、それでも凛とした厳しい雰囲気をまとうハイネルに、女っぽさは欠片もない。
それでも昔から口の悪いクラスメイトに『女みたいだ』と言われ続けたハイネルは、だから慣れっこで、普段ならそこでいつもどおり嘲弄した相手に拳の一発でもくれてやるのだが、相手はそのまま名残惜しそうにしながらも、同行者に催促されて去っていってしまった。
多分それは、グーデリアンがハイネルを男と知った上で、わざと間違えたのではないという、悪意のなさも原因だったのだろう。
拍子抜けしたハイネルは、だが悔しくて、握り締めた拳をしばらくは解けないでいた。
だから、髪を立て、悪くもない視力の前にガラスを置いた。
誰よりも男らしく。
これは、ハイネルの、サーキットという戦場で戦うための鎧だった。
あいつに負けないくらい、強く、そして速く。
初対面で、名前すら知らなかったのに、なぜそこまで拘るのか知らないままに、ハイネルは固めた拳に力をこめた。
そしてレーシングスーツを纏ったハイネルに、グーデリアンはあの時間違えた人と同一だとは気付くことなく、周りに煽られるように『好敵手』として近いようで遠い立場を築いた。
会えばいつも喧嘩になり、乱闘騒ぎを起こすのも不思議ではなく。
『いつもの』とか『恒例と化した』などと雑誌記者すら目もくれなくなったその騒ぎで、ハイネルが己の心の中にわだかまりを抱え込んでいると気づいたものはいない。
いや、ひとりだけ、いた。
当の、ジャッキー・グーデリアンである。
いつも女に間違われるハイネルが、なぜ、自分にだけ、そうも敵意を丸出しにするのか。
まるで毛を逆立て、誰も寄せ付けまいとする、怯えているねこのようなのか。
どうして自分にだけ、他の人たちのように静かに接してはくれないのか。
その理由が、ガラスで遮られた深緑石の瞳に浮かんだ色を、すっかり日常の出来事となった乱闘騒ぎのふとした合い間に見てしまったのだ。
それは、偶然、グーデリアンの手がハイネルの頬をかすめ、眼鏡を弾き落としてしまったからかもしれない。
露わになったその双瞳に浮かんでいたのは、警戒心。
己の心が意のままにならなくて、その原因たるグーデリアンに対するもの。
グーデリアンにだけ、腹が立つ。
グーデリアンにだけ、闘争心が燃える。
グーデリアンだけ、気にかかる。
そんな思いがガラス1枚取り去っただけで、ありありと読み取れてしまったのだ。
立てた髪と度の入っていない眼鏡。
そのふたつがないだけで、ハイネルの印象がこんなに違うとは、さすがのグーデリアンでも思わなかった。
どんな時でも沈着冷静、まるで機械のような表情のなさ、不遜な態度と物言い。
それらがすべてハイネルの虚勢だと、気づいてしまったのだ。
おそらくは、必死で隠していただろう、さみしがりで怖がりな、本当のハイネル。
あんなに綺麗なのに、『汚いものをいっぱい見てきたから』といって眼鏡で隠していた、ハイネルの心。
ハイネルが抱え込んでいる思いが自分のものと同じだと気づいたときのグーデリアンの喜びは、どんなに言葉を尽くしてもあらわしきれるものではなかった。
ただ、お手軽な恋には百戦錬磨のグーデリアンも、本気になったときの方法を、知らなかった。
こんなことは、ハイネルにとって初めてだった。
何をしていても、ある特定の人物のことが頭の中から消えないだなんてことは。
トップを駆け抜けてゆくマシンよりも、グーデリアンのタイムが気になった。
グーデリアンが答えた雑誌のインタビューも、気づけば手にとって読んでいた。
乱闘中にグーデリアンが漏らした些細な言葉が、いつまでもハイネルの心の奥底を苛んだ。
他のものには気軽に、笑顔にジョークのサービスをつけて応対するグーデリアンなのに、ハイネルにだけは違った。
居抜かんばかりの視線、欠片の笑みもない表情。
そんなに嫌いならば無視してくれてもよさそうなものだが、他の人には軽くあしらう程度なのに、ハイネルにはしつこいばかりに付きまとった。
「なぜ、私にばかり…」
歯軋りの音が聞こえそうなほどに食いしばったハイネルの唇を、生温かいものが触れていった。
「止められないんだ、自分でも」
初めて聞く、レース以外でのグーデリアンの真剣な声だった。
「ハイネルが、他の人と喋ってたり。ハイネルが、俺を無視したり」
一音一音区切るように言うグーデリアンの、そのすいこまれそうなほどに深い蒼い瞳をハイネルは真正面から見つめた。
「いやなんだ。ハイネルが、俺以外のやつと一緒にいるのを見るのが」
ハイネルの細い腰がいつの間にかグーデリアンの腕の中にしっかりと抱え込まれ、そしてハイネルはそれを嫌だと思わない自分に驚いた。
「たとえそれが、ハイネルの大切なチームのやつだったとしても」
男にキスされているのに。
男に、抱き込まれているのに。
「嫌なんだ…」
いや、『男』ではなく『グーデリアン』だから。
だから。
「お兄さま、恋はね、盲目ですのよ」
そう、いつかリサの言った言葉が頭の中でスパークした。
男が男に惹かれるだなんて、狂っていると思う。
こんなことが公になれば、レーサーであるふたりには致命傷となるだろう。
それでも、グーデリアンとともにありたいと願った。
なぜ、そこまで想ってしまうのかは、ハイネルにもわからなかったけれど。
インディの頃から女たらしと悪名が高かったし、下品なアメリカのヤンキーだと、口悪しく罵られていることも知っている。
それでも、そばにいてくれるならば、それだけでいい、と。
だから、命ある限り、愛して。
さみしさという名の友は、もういらないから。
えーと、このお話は、BSB(バックストリートボーイズ)の『As Long As You Love Me』を元にしたやりとりの中で生まれました。といきゃっとさんはこの歌をグー視点、私はハイネル視点でとらえてたんですけど、それをこんなにステキなお話にして下さいました!
といきゃっとさんの描くハイネルは姿形だけではなくて、身にまとう雰囲気までキレイでとても繊細な人だなぁといつも思います(イラストがとても繊細な線で描かれているからかもしれないんですけど)。
でも、その繊細さは決して弱いんじゃなくて、しなやかさを持ってるんですよね。
そんなしなやかで繊細なハイネルを、といきゃっとさんのグーはそれこそ太陽みたいな暖かさでいつも優しく包んでくれるので読み終わった後にとても優しい気持ちになれるのだと思います。
といきゃっとさん、ステキなお話を本当にありがとうございました!いつもゴーダツしっぱなしでホントにすみません・・・。