蒼の慟哭
互いの部屋を行き来するようになって、肌を重ねるようになってもスルリと抜け出ていく。
薄い紗のカーテンで隔てられるような、もどかしい距離。
出会った頃は互いに、どうしようもないガキだったケド、今は歳を経た分だけタチが悪い。
誰かが言っていた、『右の目を隠して愛しいモノを見つめなさい』と。だが、俺ははっきりと両の眼で、見つめていたい。
あいつが何を見て、何を感じて、心を動かすのか全てを知りたいから。
だから目を瞑らず逸らす事なく、アイツと生きていきたい。
神よ、これは罪ですか。これは罰ですか。もし、そうなのであれば俺は甘んじて享受しよう。
彼の人と過ごす日々、彼の人の全てが欲しい独占欲。
このところ、グーデリアンがフラリと立ち寄っても柳眉を逆立てる事なく、ハイネルは部屋へ入れてくれるようになっていた。しかしそれは、受け入れたというよりも相手をしていられないから、やむなく入れて放っておくという現状だったのだが。
前ならば少しでも自分以外を見ていれば、所構わず『構え』と態度で表わしていたグーデリアンも大人しくハイネルの背中を見ているだけ。
「なあ、ハイネル」
「………」
きっと声も耳に届いていないのであろう。よどみなく流れる打点音が、BGMも流れていない室内を支配している。
ハイネルの側から流れてくる紫煙。
グーデリアンはカーペットの上へ直に座りこみ、ソファーに背を預けて一人飲んでいる。
アルコールの瓶が2本ほど空いているが、酔うにはまだ程遠い量。
拒絶されているのではない、不可思議な空間でグーデリアンは背筋をピシッと伸ばしてパソコンに向かっているハイネルの背に忍び寄る。
「何だ?」
まさに抱きつかんとする時、不意にハイネルから冷たい声が掛けられた。
「聞こえてた?」
「いや……後ろで動いた気配がしたからな」
『邪魔ならば、この中に入れない事を知っている。
だから今は、邪魔をしていいのだ。』
気配を潜めて近付いたのに、気付かれたのはコイツがそれだけ神経を張り詰めているという証拠。
張られたままの弦は緩めなければ、いずれ切れてしまう。
ソレを本人も判っているから俺を入れてくれたのだ。いつも俺ばかり『ズルイ男』と言うが、本当にずるいのはドチラだろう。
気付かないフリをして、俺は『眼を瞑る』フリをする。
「で、どう?そろそろ俺を構ってくれる気になった?」
軽く椅子ごと囲えば、忍び笑う気配がする。
どうせ俺を獣並みだと思っているのだろう。
「いや、もう少しで目途が立ちそうなんだ。貴様の相手なぞ、出来るか」
口で何と言っても、俺には『見えている』んだぜ?
もう神経も疲れてボロボロに近い状態なのに、なんでコイツは完璧を目指すのだろう。
仮にもレーサーならば、余計な事には口出しせずに疾く走りぬける事だけを考えればイイのに。
サーキットの精密機械と異名を取るのは伊達ではないというコトだが、こういう時が一番俺には堪えるンだぜ。判っているのか?
何も助けてやれない歯痒さ。
見ているだけの口惜しさ。
助けられる手になりたい、支える手になりたい、と思ってもお前は拒むのだろう。『NEIN!』と。
助けは要らない。
支えは要らない。
一人で立つ事を知っていると。
だから俺は、無性に苛立ちが募る。何も出来ないから、何も与えられない。
ただ人恋しくなるよう、人肌を与えるだけ。
『お前も人なのだ』と思い出させるだけ。
黙りこむグーデリアンへ、ハイネルが身じろぐ。
「おい、離せ…邪魔をするな」
(邪魔ヲシテ)
「いい加減にしないかっ。…出てもらうぞ」
(居ルノナラ居ルト、ソノ存在ヲ隠スナ)
ハイネルの零す言葉の陰で、俺の願望が幻聴となって聞えてくる。
全てを計算ずくで動く男だから、そんな相手をするならば逆に本能で動かないと負けてしまう。
どんな女よりも極上の相手。
酒に酔うよりもコイツに酔ってしまう。だから、俺はこの手を緩めない。
互いにアツクなれるのは、あのエクゾーストノートだけ。レーサーという厄介な人種。
その場に立ちゃあ、判る。レーサーだけの、神聖なモノ。
だから俺達は、一緒に居るのだろう。
「なあ…そろそろ、お前がホシイんだけど」
ハイネルのきちりと着込んだシャツの上から、その首筋を甘噛みする。
途端に、動いていた長い指が不快な機械音を鳴らし立てて止まる。
きっと、抱けやしない。
今抱いたって、コイツの琴線には触れられない。
だから何も考えられないようにしてやるだけ。
見遣る碧の瞳はその奥底に僅かばかりの癇癪の色を灯して、蒼い瞳と交合わす。
何だって頭のイイ人間は、色々と抱え込むのか…。
うっそりとグーデリアンの中で獣が目を覚ましかける。
『マダ、眠ッテイロ』
蒼い双眸をゆっくりと瞬いて、やり過ごす衝動。
ハイネルに気付かれないよう、息を潜めろ。気付かれれば、終わってしまうのだから。
言い聞かすよう、グーデリアンは胸のうちで三回唱える。
『マダ…マダ…マダ…』
深く絡み取るまでは。
カンの良い相手とのスリリングな駆引き。
そろそろ眠る時間。強引に口唇を重ね、椅子ごと後ろに引き倒せばバランスを崩した痩身が、強張る。
『大丈夫、怪我なんかさせやしないさ』
いつだって、お前を優先してやる。
捕らわれたのは、自分。だから………お前も。
グーデリアンは力強い腕力で、ハイネルの身体を椅子から攫う。
お前は気付いているか。知っているか。
お前が紫煙を燻らす時、俺は吸わないという事を。その理由を。
俺は教えてやらない。
腕の中に確かな熱を持った『機械』でない『人間』を感じる。
走り出したら止まらない、ソレは俺でなくお前だろうに。どうして、そう摩り替えるのか。
暴れ出すハイネルを嗤って見せて、一層強く拘束する。
もう、眠れよ。
俺に出来ることは、一つだけ。
お前を抱きしめるだけ。俺の手はマシンを操る為にあるものだけど、俺の腕はお前にくれてやるから……。
それしか出来ない、それだけ。
お前の目を塞いで目まぐるしく駆ける時間から引き剥がして、お前の耳を塞いで入れ知恵する邪魔なモノを絶とう。
もっと、もっと。お前を全てから遠ざけたい。
『ホラ、もう限界じゃないか』
口付けを深くして、消えた碧の瞳を残念に思いながらグーデリアンは心で呟く。
心地良く感じるように、灯をともさないように労わるキスを贈ろう。
俺だって、こういうキスも出来るンだぜ。
抗っていた身体が力を抜いていく。大の男が二人して、ソファーに背を預けてカーペットに身を投げ出している。
誰も見ていないから…抱いていてやるから、目を閉じて。
明日になれば又、始まるバトル。
中々離さないグーデリアンの口付けはハイネルから体力を奪っていく。
うっとりと気持ち良くなるように。体温の高いグーデリアンの熱を感じて、ハイネルはムダな行為を放棄した。
徐々に規則正しくなる寝息を感じてグーデリアンは薄く嗤う。
何故、コイツを見ていると哀しくなるのか。
何故、放っておけないのか。
答えは判らないけど、今は俺のモノ。
細いフレームの眼鏡を起こさないよう、そっと外してその瞼にキスを落す。
青白い顔は起きていれば斬り捨てるように鋭いものなのに、今は人形のような綺麗な顔。
聞こえるか、俺の鼓動が。
見えているか、この俺が。
強請り起こして、問いただしたくなる衝動。
それが出来ないから、苦しいほどに強い力で抱くだけ。
この神経が焼き切れそうなほど疲れきった人物はソレ位じゃ、目を覚まさないのを知っているから。この時間だけは、俺のモノ。
投げ出された足を、手を、その存在全てをイトシイと思うのは罪ですか。
神よ、俺はワカラナイ。
何が正しくて、何が悪いモノなのか。
これは、罰ですか。
一番欲する者を手にしていながら、そのくせ不安なのは。
言葉もなく、ただきつく抱擁するだけ。
抱かれるハイネルも知らない時間は、俺だけのもの。
涙が零れそうになるくらいの慟哭は、何をイミするのですか。
答えないのなら、イイ。
俺は俺の道を進むだけだから。その時、コイツが傍に入ればイイ。
他は要らない、人の気持ちが変わるものだとしても。俺自身が俺を裏切る事になっても…怖いのは、コイツが俺を見なくなる事だけ。
今だけは。
誰にもヤラナイ。
掻き抱く腕の力に、ハイネルが僅かに眉を寄せる。
例え、ハイネルであっても許さない。
俺はコイツだけでイイから。俺は此処に居るのだから……。
疲れきった身体は反応を返さない。
鏡のように己の心を映し出す碧の双眸は閉じられたまま。
グーデリアンの気持ちは隠されていく。
日が昇れば、いつものように。
どちらの情が深いと言うのだろう。
互いに見せない本心は、いつ重なり合うのだろうか。
これはレンアイなのだろうかと、疑問に思えばどうなるだろう。
ぎゅっ、と意識のないハイネルを抱いてグーデリアンは夜を過ごす。
夜が明けるまでの、密やかな儀式。
一体いつから、グーデリアンだけの時間は始まったのか。
始まりも判らない、ハイネルの知らない時間。
了
とおこさんのHP『閑宮』にて、キリ番カウントの650を踏んでいただいたお話です。テーマは『ハイネルをぎゅっと抱きしめるグーデリアン』でした。んー・・・今考えてもなかなか素晴らしいお題です。こんな時だけ自画自賛(笑)。
でももちろん、それ以上に素晴らしいのは、そんなお題をこんなにカッコいいお話に昇華させてくださったとおこさんです!とおこさん、本当にありがとうございました!
常々思っているのですが、とおこさんの描き出すグーデリアンは骨っぽくて男らしくてカッコいいですよね!そんな彼が、ハイネルに対してだけは独占欲やとまどいを感じているところがまたステキでうっとりしてしまいます。
とおこさん、なぜこんなにカッコいいグーデリアン像を生み出せるのか私に教えてください・・・・。
ステキなお話を書いてくださって、本当にありがとうございました!いつかまたキリ番を踏ませていただけたらな、と今から楽しみにしています。