アメリカン・ロイヤー
ニューヨーク州弁護士である彼は、州内でも有名な、とあるローオフィスに所属していた。
このローオフィスは、百人を超える弁護士と、それぞれの弁護士を担当する秘書、それにパラリーガルで構成されている。弁護士のうち、半数ほどが事務所経営権を持つパートナーであり、残る半数がパートナーに雇われて事件処理を行うアソシエイトと呼ばれる。オフィス内でも若手の部類に入る彼は、アソシエイトであった。
いわゆる、世に言うところのアメリカン・ロイヤー。世間で言われる噂曰く、交通事故を見れば救急車にも追いすがって被害者に相手方から治療費をむしり取るよう勧め、消費者には訴訟をして企業から大量の金をむしり取るように勧めるとまでもいわれる、善くも悪くも有名なあれである。彼個人はどうもそこまで悪どくはなりきれなかったが。
彼が自分に割り当てられている部屋を出ると、オープンスペースで何人かの秘書たちが、珍しく興奮したように声高に話しているのが聞こえた。このオフィスの秘書たちはいずれも沈着冷静で有能であり、その上常に容姿を磨くことを忘れぬ艶やかな大人の女性たちだったが、それが皆ものの見事にハイティーンの少女たちのように浮足立っている。彼は苦笑したが、事情を知っているだけに彼女たちの気持ちは確かに分からなくもなかった。
「見た、見た?」
「見た!本物だよね!」
「やっぱ本物って凄いよね。テレビで見るより断然かっこいいの!」
「大っきいよねー。応接に案内して振り返ったら、あたしの背だと胸の辺りしか見えないじゃない?腕とか胸とか凄いがっちりしてるし。でも全然重そうじゃないし、フットワーク軽いカンジ。マッチョなだけじゃないよねー。」
「コーヒー出したら、『ありがと』って、にこって笑ってくれたの、あたしに!それがすっごい格好良くて可愛いのっ」
「皆でおやつにどうぞ、ってあたしたちにクッキーの大箱くれたし。何か気が利いてると思わない?」
「レセプション(受付)で立って挨拶してるとこ見たけど、なんかもう!絵になるよねー。」
「やーん、付き合いたーいっ」
やっぱ凄いよね、と一頻り彼女らは騒いだ後、声を合わせて言った。
『…さすが、アメリカの星!』
その声が余りに大きいので、辺りを行き交う弁護士たちが苦笑しつつそちらを見る。彼らとてもいずれ劣らぬ容姿と才能と収入を持つ、いわゆるところのアメリカのエリートだが、いかな彼らとてオフィスに本物のスターが現れればあっと言う間に霞んでしまうのだった。
ねえ、と彼が自分の担当秘書をその中から見つけて声を掛けると、彼女ははっと振り返って顔を赤らめた。
「あ、先生。あの…」
「彼、お見えなんだね?」
「はい。第一応接室にご案内しています。」
ありがとう、と声を掛けて彼はこれから会うクライアント(依頼者)に関する基本ファイルと幾つかの事件ファイルを手に、その応接室へと向かった。
広い事務所の中を応接室まで歩きながら、彼はつらつらと考えていた。
今日彼とアポイントメントを取っている、そのクライアントの名はジャッキー・グーデリアンという。アメリカでその名を知らぬものはないと言われる程の有名人であるその男は、モータースポーツ最高峰であるサイバーフォーミュラのトップレーサーであり、俗にアメリカの星と呼ばれるまさに文字どおりのスターだった。
ジャッキー・グーデリアンがこのローオフィスのクライアントになって数年が経つ。最近、彼は担当者に加えられた。だがこのクライアントは特に忙しい職業についており、ニューヨークはおろかアメリカ大陸にさえいないことの方が多い。だから彼とても、中々このクライアントには会って相談を受けることは少ない。通常の連絡は紙の手紙かメールで交わしていた。
グーデリアンに関する仕事は大きく分けて二種類。一つは民事訴訟、もう一つはエージェントとしてのものだった。
民事訴訟、というのは他でもない。グーデリアンが以前に恋人として付き合ったことのある女性は沢山あり、付き合った訳ではないが関わりのあった女性も更に沢山いた。その中にはグーデリアンを何らかの理由で訴える者もいた。曰く子供が生まれた、曰く別れたことにより精神的ダメージを被った、等、等。
そんな彼女たちとの間で発生するのが民事訴訟である。
彼が然るべき方法で一々調べた所、その殆どは事実のない狂言や言い掛かりや妄想であり、金銭を要求する目的のものであったり、“アメリカの星”との関わりで有名にならんとするものであったりした。彼はクライアントにその一つ一つの調査結果を知らせた後、徹底的に法廷で戦うことを進言したが、クライアントは彼の話を黙って聞いた後、実際に彼と関わりのあった女性については事を荒立てないよう彼に望んだ。その女性が金銭に困っているならある程度の金銭を用立て、その他の何かに困っているなら何らかの方法による援助を、と。
『ミスター・グーデリアン、こういうことは徹底的にやった方がいい。彼女らには、金や何やをあなたに要求する権原は何一つないんですから。』
と、彼がどんなに勧めても、クライアントは首を縦には振らなかった。クライアントは少しだけ笑って言う。
『それでも、俺は彼女たちが好きだったんだ。もし彼女たちが困っていて、それが俺が助けることができるような事なら、少しぐらいなら何とかしてやりたいんだ。頼むよ、先生。』
そんな優しさはグーデリアンの甘さだと彼は思うが、それでもクライアントの意向には従わない訳にはいかなかった。彼は有名人であるクライアントを出廷させはせず、一人で法廷へ行きクライアントの為に戦った。
また彼の仕事には、グーデリアンのエージェント、つまり代理人として、所属チームと交渉をすることなどもあった。一般的に言えば、専門職としてのエージェントも多いが、弁護士が代理人として交渉に立つ場合もままある。グーデリアンは彼をエージェントに選んだが、担当者が別になる煩わしさを嫌っただけかもしれない。何せ、財産関係を管理するファイナンシャル・アナリストからの報告も、彼を通してさせるくらいだったので。
交渉内容としては、例えばチームから支払われる金銭の額であるとか、労働環境について、またスポンサーなどのコマーシャルに出演などした場合の報酬の取り分について、などがある。グーデリアンについて交渉が必要な事項があれば、いつ何時でも彼が出て行く。全米を巻き込む大騒ぎとなった、前所属チームスタンピードから現チームへの移籍劇のときも、裏で違約金の額などを交渉したのは彼とパートナーだった。
現チームへと移籍してからは、チームオーナーとグーデリアンが個人的に親しいこともあり、様々な待遇交渉は、グーデリアンは彼の大まかな方針説明を聞いて幾らかの質問をしたり希望を述べたりする以外は、彼に全権を委任していた。
ところで、彼からすれば、グーデリアンは実に“たちの良い”依頼者であった。まず、自分がどうしたいかという意向が常にはっきりとしている。方針を決定した後は法律的なことについては下手な口出しをせずにしっかりと弁護士に任せるし、また弁護士の話をきちんと聞いて理解し、分からない点についてはその都度質問をしてくる(ただし、面倒臭がりなのか、どちらかといえばちょっと任せ過ぎなきらいはあった)。
その上彼の優れた依頼者たるところは、弁護士の質問について、自分に都合の悪い話であっても隠し立てなくちゃんと説明をするところだった。
この“自分に都合の悪いことも隠さない”のは、簡単なようで実は非常に難しい。人は誰でも、問題が発生したときそれが自分の責任ではないかのように説明したがるものなのだ。しかしその説明を鵜呑みにして弁護士が交渉方針を立てると、往々にして相手方からの攻撃で、依頼者の不用意な発言や不適切な行動があったことなどが、まるで予測できないときに明るみにでたりする。
だからこの業界では実に皮肉だが、“依頼者が正しいとは限らない”という格言めいた言葉ができるほどなのだ。依頼者の言葉をそのまま信用するのはそれほど難しいのだ、と。
勿論全てを隠すことなく話してもらうには、そこに信頼が必要である。だから弁護士に隠し事をする、ということはすなわち弁護士を信頼していないということだ。いくら事件を委任されても、信頼してもらえなければ事件のスムーズな処理は難しくなる。陳腐な言葉だが、この業界とて“信頼第一”なのだ。
「お待たせしました、ミスター・グーデリアン。」
「こんちは、先生。」
彼の挨拶に、椅子に掛けていても大柄な、彼よりも十も若いクライアントがにこりと人好きのする笑顔を浮かべる。改めて飲み物を運んできた秘書が部屋を出るのを見送ってから、彼はファイルを開いた。
「早速ですが…まずそれぞれの進行状況についてご報告します。」
弁護士を相手にしても椅子にだらし無く座り、薄い笑いを浮かべながら片肘をつき、まともに話を聞いていそうにないグーデリアンの姿は、確かに傲岸不遜、傍若無人と言われている通りだ。だが、ぴたりと彼に向けられたままの青い目がじっと冷静に話を聞いている。
幾ら態度が殊勝でも嘘をつく依頼者より、多少態度が悪くても弁護士のことを信頼してくれる依頼者の方が彼は好きだった。
全ての案件について報告をし、グーデリアンの意向を確認したいものについては尋ねて回答を得終わったのは、始めてから二時間以上経った後だった。グーデリアンは途中でどうやら飽きてきたようだが、それでも最後まで彼の話を聞いていた。
「……今、動いている案件はこのぐらいですね。」
彼が最後の事件ファイルを閉じると、クライアントは明らかにほっとした顔をした。喉を潤すために途中で運ばれて来ていたオレンジジュースのグラスを飲み干し、グーデリアンがひらひらと片手を振る。
「何か厄介かけて申し訳ないけどね。」
「ま、仕事ですから。」
「そういえばさ、この間の手紙。あれどうなった?」
本来“あれどうなった?”というレベルの問題ではなかった。何せそれは脅迫状ともとれなくもない文面だったからだが、グーデリアンは任せたら最後、相当気になるものごとでない限り気にしている時間的余裕がないらしく、下手をすると放りっぱなしになることも多々あった。
「ああ、そうでした。あれは…」
彼は事件ファイルではなく、グーデリアンに関する基本ファイルの方を取り上げた。
ファイルされたそれはある女から送られて来た一通の手紙だった。実際に一度付き合ったことのあるその女の手紙には、ただ一言だけが書いてあった。
“あなたの今の恋人を知っているわ。”
どんな些細なことであれ厄介事の気配を感じたら必ず自分に相談するように、と彼が強く指示していたので、グーデリアンはその手紙を受け取ってすぐ彼に渡した。グーデリアンはその手紙のことが相当に気になっている様子だったが、如何せんレースシーズンに入ってしまっていたので、彼としても今までその件について全く報告が出来ないままであったのだった。
彼に向かって、彼女は言った。
『彼、急に別れようって言うから、悔しかったの。…次に彼と付き合えるラッキーな子は、どんな女なんだろう、って、思って。』
『…それで、あなたはどうしたんですか?』
『彼が今いるところを探して、後をつけたわ。』
『そうしたら?』
『…あの人が今の恋人だと思う。見たのよ、彼が何か言って追いかけて、抱き締めてるのを。………綺麗な人だった。あれは、負けたな、って……思ったの。』
『……そうですか。』
『本当はね、彼ともう一度やりなおせたらって、思ってたんだけど…あんな人が相手じゃ無理ね。あんな綺麗な人は本当に見たことなかったし、あんなに彼が必死に追いかけたり、本当に嬉しそうに笑ったりするのも私見たことなかった。悔しいからちょっとぐらい焦らせてやろうと思って手紙を書いたんだけど、……もういいの。彼、幸せそうだったから。これも要らないから、……彼に渡しておいて。宜しく言っておいてね、弁護士さん。』
グーデリアンからリアクションがあるだろうと踏んでいたらしいその女は、弁護士が出て来たことに驚いたらしく、何もかもを素直に喋ってある物を彼に渡し、それこそあっという間に消えうせたのだった。彼が相手の要求を聞く間もなかった。
「……ということだったんです。私は正直言ってちょっと分かりかねるところもあるんですが、こういう説明でお分かりになりますか、ミスター・グーデリアン?」
そのときに起こったことを説明し終わって彼が見たグーデリアンは、青い目を軽く見開いて口を半ば開いた状態で、ひどく驚いているようだった。そこで彼はもう一度呼びかけなければならなかった。
「ミスター・グーデリアン?」
「……ん、あ、…あ、ごめん。」
グーデリアンは猶もふと黙った後に言った。
「なあ、彼女…元気そうだった?」
「ええ。」
「…それならいいんだ。…何?」
彼がファイルから取り出してグーデリアンの方に滑らせたのは一枚のポラロイド写真だった。古い映像技術に凝っていた彼女が、たまたま持っていた旧式のカメラで撮ったものだった。
「…その方をご存じですか?」
「………。」
そのポラロイドをつまみ上げじっと見ていたグーデリアンは、それをデスクの上に置く。そして彼の方を見ずに、窓の方に視線を流して言った。
「…………言わなきゃ駄目?」
「いいえ、そんなことはありませんよ。」
弁護士は法律の専門家であるのは勿論だが、人間を見るプロフェッショナルでもある。グーデリアンが答える前の隙間に彼は何かを見たが、賢明にも何も言わなかった。
「この写真はお持ちになりますか?」
「俺が持ってたら、なくしたりしてまた揉め事の種になりそうだからさ。……先生の方で何とかしといてくれないかな。」
彼が問えば、相手は少しだけ笑った。
「分かりました。そのうち然るべく処理しておきましょう。お預かりしておきます。」
写真を受け取ってファイルに挟み、彼はふと肩を竦めた。
「…でも、今更あなたのちょっとしたゴシップの一つや二つ、流れようがどうしようが大丈夫だとは思いますけどね。」
ここ最近こそ鳴りをひそめてはいるが、ことグーデリアンに関して、色恋沙汰のゴシップや噂などはそれこそ枚挙に暇がない。そんな言い方で彼が軽く揶揄すれば、クライアントは彼よりもう一つ大袈裟に肩を竦めて手のひらまで広げて見せた。
「俺はね。…けど、あいつを困らせたくないから、さ。」
じゃあ、と言って席を立ったグーデリアンが、底に強いもののある笑みを浮かべた。彼は頷く。
「また何かあったらいつでも相談してください。…次のレースも楽しみに見させてもらいますよ。」
彼の言葉ににやりと笑って頷き返し、“アメリカの星”は軽く片手を挙げてオフィスを出ていった。
クライアントを見送り、部屋に戻った彼はもう一度そのポラロイドを見た。
遠くから撮られたらしく少しピントのずれたその写真は、どこかの街角の夕方の光景だった。髪の色や特徴のある姿格好でグーデリアンだと分かる人物が、向かい合った一人の人物を抱きしめている。
薄手の上品なコートに身を包んだその人物は、棒立ちになったままそんなぼやけた写真でも分かるような整った横顔を見せ、グーデリアンの肩に顎を乗せるような形で抱き締められながら、その向こうにまっすぐな眼差しを向けているようだった。柔らかそうな金茶の髪が、後ろは項の辺り、脇から顔の全面に掛けてはその半ばくらいにかかっていて、その表情の殆どを隠してしまっている。ただ、何かを言おうとしているところか、唇だけが軽く開いていた。
そして背筋が通ってごく細身な印象のその人物は、非常に背が高い。グーデリアンと並んで見劣りがしない程だった。
ポラロイドを仕舞おうと開いた基本ファイルには、グーデリアンについて報じた新聞記事などもスクラップされていて、記事の中にでかでかと位置を占める写真が幾つも目を引く。そのうちの幾つかでグーデリアンは、辺りを囲むスタッフに片っ端からシャンパンをふりかけていたり、実にエキセントリックな髪形をした眼鏡の監督の首根っこをその腕に抱え込んで、嬉しそうに満面の笑みを浮かべていたりした。ついでに、恒例行事と化した観のある、監督との殴り合いの写真を載せている記事もある。話題の尽きない依頼者に、ふと笑みが漏れた。
ポラロイドに写る人物は記事の写真には写っていないようだった。ひょっとしたらサーキットに行っていたりはしないかと、これは純粋に興味半分で彼は思ったのだが。
(見たことがあるような…ないような………モデルか何かかな?)
次の打ち合わせのファイルを探しながら、写真片手に考えても思い出せはしない。かの依頼者が忙しいように、アメリカン・ロイヤーだって目が回るほど忙しい。まあいいか、と呟いて彼は写真をファイルに挟み、ついでにファイルを自分のキャビネットに放り込んで鍵をかけた。
か、カッコいい・・・・。
思わずため息がもれてしまいそうなカッコいいお話をよしのさんが下さいました!何というか、すごく現実感あふれる描写をされているので、アメリカでのグーデリアンや、弁護士さんたちの生活の息吹を感じられるようでした。
何の知識もない私も、たっぷりと『アメリカン・ロイヤー』の世界に浸って楽しむことができました。よしのさん、本当にありがとうございました!
もうもう、グーがすっごくカッコいいですよね!(私の感想こんなんばっかりですね・・・)グーに限らず、このお話に出てくる人物は(グーとつきあっていた女性も含めて)みんな成熟していて『大人のドラマ』そのものでした!カッコいいのです・・・。
よしのさんはハイネルが直接出てこないのを気にしてらっしゃったみたいなんですけど、間接的に描写されてるハイネル、すごくステキでしたよね!とってもキレイで(もちろん!)、しかもグーが心から大切にしている相手なんだというのがとてもよく伝わってきてステキでした。
・・・というマジメな感想を書きつつ、正直な気持ちをここで一つ暴露しておきましょう。・・・・(グーの)弁護士さん、ぜひあなたがゲットした写真、処分しないで私にください!!(笑)