雨が止んだら

 今日こそ、この花束を彼に渡そう。
 周りに何十人居たって負けない。
 彼から目を離さずに、一瞬の隙を狙って、この花束を彼の手に・・・・・


 突然の雨が、またたくまにアスファルトを黒く染めていく。
 たたきつける雨粒に顔をしかめるハイネル。
 メガネのレンズにつく大小の雨粒のせいで、視界が少しずつ、いびつに歪み始める。
 さっきまで色鮮やかだった風景が、まるで水彩絵の具が溶けて流れていくように色を失っていき、その輪郭までもが揺らいでいる。

 ああ、鬱陶しい。

 そう思ってメガネを取ったハイネルの目の前に、その少女は現れた。
 花束を大事そうに抱えて、少女はハイネルを見上げていた。
 灰色に沈む風景の中で、ほんのりと白く光って彼女はハイネルに花束を差し出した。
 とまどいながら受け取ったハイネルの瞳が、花束に添えられたカードの宛名を見て微妙に細められる。
 
 花束をもらうべき人間は、遠く離れたところで女性たちの嬌声に囲まれていた。
 自分でもあの輪の中に入っていくのは勇気がいる。
 いや、正直な話、あんなふうに大勢に囲まれているところへ入って行く気になれない。
 こんな華奢な少女が入って行ける隙は無いだろう。

 <お願いします>        
 
 淡いピンクの薔薇の花びらに似た少女の唇が、そう動いた。
 
 ハイネルは大きく頷いて、花束を抱えて歩き出した。
 彼女の視線を背中に感じながら、ハイネルはその場を後にした。

 この時のハイネルは、まだ、自分が引き受けてしまったことの本当の意味に気がついていなかった。


 どこかで雷鳴が大きく轟いた。

 次々に差し出される花束やプレゼントを受け取り、笑顔と握手にウィンク等々、ファンサービスに励みながらもグーデリアンはその足を止めなかった。
 そして何気なく視線をめぐらせる。
 決して自分からは視界に入ってこない、ハイネルの姿を見失わないように。

 もうすぐ待ち合わせの時間だ。
 間に合ったら一緒にホテルまで帰ってもいいが、遅れたら即置いて行く。 
 確かそんな約束だった。

 別に行き先が同じなのだから、一緒に帰らなくたって構わないのだが。
 とりあえず言っておく。

 何をえらそうに言ってるんだか、と、グーデリアンは笑いをこらえながら聞いていた。
 一緒に帰りたいならそう言えばいいのに、自分自身に言い訳をするために、そんなふうにまわりくどい言い方をしてしまうのだろう。
 あれで遅れたら遅れたで機嫌が悪くなるんだよな。
 
 木立に隠れるようにして停まっている車のそばにいる人影を見たグーデリアンは、この日いちばんの笑顔を、自分を取り巻く女性たちの中でいちばん遠くに居る女性に向け、その手の差し出す花束を受け取りながら囲みを突破した。
 追いかけようとする流れを「また今度会おうね!」と明るく押しとどめ、軽やかに走り去るグーデリアン。
 両手いっぱいに抱えた色とりどりの花束から、雨に花びらが散っていく。
 
 その人影は自分が見えているはずなのに、車にさっさと乗り込もうとしている。
「ちょっと待ったー!セーフセーフ!!」
 両手がふさがっているから、そのまま相手の背中に体当たりしてアピールするグーデリアン。
 迷惑そうに振り向く、その瞬間がたまらない。
 飛び散る花びらの向こう側の、端正なしかめっ面。
緑の瞳が、まぶしそうに細められる。
 いつもと同じ光景・・・の、はずだった。
 でも。
 何かが違う。

 気になってもう一度ハイネルを見るグーデリアン。
 雨に乱された前髪からこぼれる雫が、ハイネルの白い顔をほんのりと光らせている。
 雨に濡れた肩、背中・・・さっき、自分がふざけてぶつかった背中。
 その濡れた白いワイシャツからほんのり透けて見えるもの。
 あれ?
 あれは、なんだ?
そのモノを確かめようとしたグーデリアンの視界を、淡いピンクの薔薇の花束が遮った。

 なぜ、そうしたのか自分でもわからない。
 ただ、グーデリアンの視線を避けたかった。
 見つめられると照れるという、いつもの感覚とは違う。
 何か、グーデリアンの注意をそらさなければいけないような気がしたのだ。
 
 案の定、グーデリアンの興味は可憐な花束へとうつっている。
 そのすきに運転席へ乗り込み、助手席のドアを開ける。
 グーデリアンは嬉しそうに受け取った花束をみつめながら、車に乗ってくる。
「え?!何コレ??俺にくれるの?」
 抱えていた山ほどの花束とプレゼントを後部座席へと放り込み、今もらったばかりの花束を膝にのせて助手席に座る。
「ハイネル、可愛い趣味してるね」
「それは・・・」
 私からではないぞ、という言葉が、なぜか出てこない。
 どうしたのだろう。
 自分がグーデリアンに用意したわけがないのに。
 頼まれただけなのに。
 あの、少女に。
 少女?

 どんな少女だった?
 思い出せない。

 フロントガラスに、大粒の雨が砕けていく。
 真っ暗になった景色を切り裂いて稲妻が走る。
 頭の上で、ひときわ大きく雷鳴が轟いた。

<気に入ってもらって良かった>
<前から一度、渡そうと思っていたのだが、なかなか機会に恵まれなくてな>

 そんなセリフをハイネルの口から聞けるとは、思ってもみなかった。

 やっぱり、今日のハイネルはどこかおかしい。

 あの、背中の・・・そう、だんだん思い出してきた・・・奇妙な手触りのモノが、気になって仕方がない。
 しっとりと湿気を含んだ薄い布の下に、柔らかく小さな凹凸があった。
 うっすらと見えたその色は、確か、淡いピンク。
 そう、ハイネルがくれた花束の、薔薇の色。
 花びら、だったのか?

 確かめてみよう。

 隣のベッドで寝ているハイネルを起こさないように部屋の電気は消したまま、グーデリアンはライターを片手に自分のベッドを降りた。
 幸い、自分と違ってハイネルは大の字にひっくり返ってガーガー寝るようなことはなく、右か左か横を向いて寝ることが多いため、ちょいと上着をめくって背中をのぞくくらいなら3秒もあれば十分可能だ。
 
 ライターのオレンジ色の火が、ゆらゆらと揺れながらハイネルの背中を照らし出す。
 白いなめらかな背中。
 傷や、痣や、シミや黒子、何か異変があればすぐに見つけ出せるに違いない。
 グーデリアンは昼間の記憶をたよりに、肩甲骨の下へと明かりを近づけた。
「なんだぁ?!こりゃ・・・」
 こんな痣、あったかな。
 揺れる火で微妙な陰影が出来たせいか、最初それは木の葉のように見えた。
 それから、その形をよく見たグーデリアンが次に出した答えは「あれ、キスマーク?」。
 そう思って見ると、それ以外の何ものでもない。
 淡いピンクの口紅の、女性の唇の跡。
「やるなあ、ハイネル!じゃなくて、いつのまにこんなの付けられちゃったのかな」
 そう言ってその唇の跡を指で撫でたグーデリアンは、自分の過ちに愕然とした。

 指の腹に伝わる、柔らかな感触。
 キスマークなんかじゃない。
 そこにあるのは、淡いピンク色をした、女の唇。
 それ以外の何ものでもない。
「まさか・・・嘘だろ!」
 嘘じゃないわよ、と言うように、その唇はにこやかに微笑した。

<会いたかった>
<ずっと、あなたを追いかけていた>
<今日こそ、あなたに花束を渡そうと思って夢中で飛び出したのよ>
<この人が私の願いを叶えてくれたの>
<嬉しい>

 ハイネルの背中にぽっかりと開いた女の口から次々と語られる言葉に耳を傾けながら、グーデリアンは必死に己の中の平常心を保とうとしていた。
 ハイネルのために。
 そうでなければ、こんな状況には到底耐えられない。
 真っ暗な部屋の中で、ライターのぼうっとした火に浮かび上がったハイネルの背中で、女の口がパクパクと動いてるなんて・・・気が狂いそうだ。

 気が狂う前に、どうすればハイネルを助けられるか考えなければ。
 どうすれば、この女・・・幽霊、というものなのか?をハイネルの体から離れさせることが出来るのか。
 
<これからはいつでも一緒に居られるのね>
 とにかく、まず、黙らせよう。 
 グーデリアンは覚悟を決めて、その唇に自分の唇を重ねた。
 
「ハイネルの背中なんかに隠れてないで、こっちに出て来て君の可愛い顔を見せてくれないか?ねぇ、ハニー」
 耳もと(と思われるあたり)で甘く囁き、グーデリアンは更に深く唇を合わせた。
 そして、相手の唇を逃さないように舌を絡め、ゆっくりと引っ張りあげるように自分の体を起こしていく。
 唇の周辺にあるハイネルの白い背中の皮膚が、引き剥がされるように浮いてくる。
 いや、内側から何かが盛り上がってくる。
 最初に現れたのは、鼻。
 続いて、まぶたを閉じた目。
 眉、額、そして顔の輪郭。
 グーデリアンはその頬を優しく撫でる。
 それから、形を見せ始めた首、肩へと手を伸ばし、空いている手をハイネルの背中に当て一気に相手を引き寄せた。

 腕の中には、ひとりの少女。
 そしてベッドの上には・・・
「グーデリアン!!貴様何をやっているんだ!」
 すっかり目を覚ましたハイネルが怒っていた。
「ちょっ、ちょっと待てよハイネル俺の話を」
「聞く耳持たん!まったく、そんないたいけな少女を部屋に連れ込んで、恥を知れ恥を!!」
「なに言ってんだよぉ。連れ込んだって言うなら、それはハイネルだぜー」 
「何を訳の分からんことを言ってるんだ、お前は。今からでも遅くないから、ちゃんと家まで送って来い!」

 と、言うことで。
 少女を腕に抱えたまま部屋を締め出されてしまったグーデリアンは、とりあえずホテルの非常階段から外に出た。
 外は、綺麗な月夜になっていた。
 腕の中の少女は、驚くほど軽かった。
 目を閉じたその姿は、無邪気に寝ているようにも見える。

「幽霊なのかなあ・・・??可愛いのに、もったいないなあ。あと3年たったら、きっといい女になるだろうに。その時にまた会いたいねぇ」
<本当?!本当にそう思う?>
「ホントだって。ハイネルの背中なんかにくっついて来なくったって、君は十分魅力的さ」
<ありがとう>
 微笑む少女の姿が月の光に透けていく。
 一陣の風にさらわれていくように、少女はグーデリアンの腕から消えていった。

 
 3年後、グーデリアンは思いがけない再会を果たすことになるのだが、それはまた別のお話。


 稲荷さん、本当にありがとうございました!怖がりの私は、少し怖いです・・・。少しというか、大分・・・・。いえ、読んでるときはいいんですけど、こういうのって後から思い出してしまうんですよね・・・。

 それにしても、稲荷さんの書くグーデリアンってすごいカッコいいです!私はこのオンナのコになってグーにキスしてもらいたい(笑)。稲荷さん、実はGHのことよく知らないのに、すごいです。ぜひまた書いてください!
 私は、稲荷さんの端的で歯切れのいい文章がすごく好きです。楽しみにしておりますので、次もよろしくお願いいたします。とりあえず、三年後の再会編からでも!(笑)
 本当にありがとうございました。

                         

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