自分自身の気持ちを整理するように、月夜の道をゆっくり歩く右近の姿を見送っていると、

「追いかけて、確かめたくはないのかい?」

 いつのまに座敷を抜けて来たのか、名雲屋が後ろに立っていた。

 せっかくの趣向も思惑もさんざんに乱され壊されて、ハラワタが煮え繰り返っていてもおかしくないのに、

 責める素振りは毛ほども見せず、涼しい顔で笑みさえ浮かべている。

 この状況を楽しんでいるのが、自分をけしかけるような口調から分かる。それでまたひと騒動でも起これば面白いって寸法だ。

 どこまでも食えない男だが、その手に乗るほど自分もお人好しではない。

「手前の出番はここまでにございますよ。心配しなくッても、ちゃんと稲垣様は妹御に会えまさア」

「たいした自信だな」

 半分くらいは呆れたのかもしれないが、名雲屋は笑ったまま手にした煙管を口にくわえ。

「桂屋のだんなから、もうしばらく遊んで帰るから、お前さんも好きにするがいい、との言づてだ。確かに伝えたよ」

 そう言って、軽く煙をくゆらせながら廊下の奥へと去って行った。



 たいした自信、か。

 ちゃんと会えるか、本当の妹なのか、ついてって見りゃアなるほど一目瞭然で安心できるが、それは心のどこかで何かしくじりがねえかと疑ってかかるようで、どうにも嫌だった。やせ我慢かもしれないが、ここはひとつ満願成就まるまる信じて腹ァくくって待つのが、男雀庵の筋ってもんで。

 それでも、せめて願いが叶うように最後まで祈ってやりたいという情は抑えられず、

 何もない長屋の畳の真ん中で正座して。

 ひとり静かに目を閉じて祈りつづけた。







 座敷に戻らず、行きつけの飯屋にも向かわず、なぜ真っ直ぐ雀庵の長屋をめざしたのか、自分でも分からない。

 気がついたら長屋の前に来ていたのだ。

 そして、

 滅多に帰ってこないという長屋に、今は灯りがついている。

 願ってもない巡り合わせに躊躇なく戸を開けると、

畳の真ん中で正座して寝ている雀庵の姿が目に飛びこんで来た。

「何をしてる貴様起きろ!」

「だんな?」

 鳩が豆鉄砲を喰らったみたいに目を丸くする雀庵の間抜けな顔に、

 少し、ほんの少しだけだが機嫌が直る。

いや、機嫌が直ったというより、少しだけ冷静になった。冷静になって、開け放した戸を後ろ手に閉める。

薄い壁で繋がった長屋である。隣家のあの気のいいおかみさんや、いたいけな子どもたちを無闇に怖がらせてはいけない。

 とりあえず、怒鳴るのはやめようと大きくひとつ息を吐く。

 畳にあがり、雀庵の前に同じように正座する。

「祝言のこと、おりんから聞いた」

「ってこたァ、首尾よくおりんちゃんに会えたンですね?ああああ、そいつァめでてえ、良かった良かった」

「何が『良かった良かった』か!私が祝言の話を聞いて、何のためにここに来たと思う?」

 のんきに頬を緩ませて笑っている雀庵に、つい声を荒げそうになり・・・慌てて抑えて低くして。

 更に睨みを効かせれば、ようやくこちらの不機嫌が察せられたようで。

 さすがに神妙な顔つきになって腕を組み首をひねる雀庵。

「・・・・・・何か良くねえことでも?」

「大いに」

「・・・・・・・・・あア、ああ、あれですかい?」

「って、どれだ。申せ」

「やっとのことで会えた可愛い妹が、あっというまにどこの馬の骨とも分からねえ野郎にさらわれちまうかと思うと悔しいような寂しいような、」

「ちょっと待て貴様、私がそんなに了見の狭い、妹が幸せになるのにケチをつけるような男だと申すか!!話にならん!!!帰る!!!!」

 とんでもない勘違いに怒り爆発。

「え?!あ!ちょ、ちょっと、だんなチョッと、」

 泣いても笑っても、狭い長屋は土間に降りれば直ぐ出口だ。

「あああああああ」



 痺れがきれたのか、いっこうに立ち上がれない雀庵を尻目に外に出ると、

 隣のうちの戸口から顔を出している男の子と目が合った。

「けんか?」

無邪気に問われて返事に窮していると、慌てたように母親が出て来て頭を下げた。

「すみません、子どもの言うことなンで、どうか聞き流してやっておくんなさい」

「いや、こちらこそ夜分に騒がしくて申し訳ない」

 あんなに感情的になるなんて、自分らしくない。

思い出すと、なんだか恥ずかしい。



 落ち着いた右近の様子からは、あんなふうに怒鳴るなんて想像ができない。

これは、よっぽどのことがあったに違いない、と、長屋の連中は噂しあった。



のちに簪職人となった右近と化粧師雀庵の、この長屋での喧嘩が当たり前になり名物になるのは、

もう少し先の話である。







 晴れ渡る青空に春の麗らかな光が満ち、白無垢姿の花嫁を優しく照らしている。

 三国一の花嫁御寮にしてあげると豪語したらしい化粧師の腕前は、それは見事なものだった。



「綺麗だよ、おりん」

「ありがとう。兄さんも綺麗にしてもらってね」

「いや私は別に何もしてもらうことはないから」



 おりんの冗談なのだろうと分かっていても、きちんと打ち消さないと気が済まない。



「おウ任せてくんねい、おりんちゃん」

「勝手に任されるな!何もしてもらうことはないと言ったろうが」



 冗談と分からないのか調子を合わせる雀庵に文句をつけると、



「そうかしら。兄さん、髷を結ったほうが、もっと格好いいと思うンだけど」



 意外と真顔でおりんに言われて。

 自分としては総髪のほうが浪人らしくていいと思うのだが。

 考えてみれば、普段はそれでよくても晴れの日にはやはり、

 それに相応しい格好をすべきではないか、と思い至り。



 だからと言って、今から髪結い床に行く時間はなく。



 目の前の化粧師に頼むのが、いちばん早い、ということになる。



「ねえ、兄さん」

「・・・・・・・・・承知」



 渋々頷く自分とは正反対な笑顔の雀庵と、おりん。



「じゃア、また後で」



 雀庵が襖を開けると、迎えに来たらしい女性が控えていて、おりんを座敷の奥へと連れていった。

 着慣れない風情の羽織袴姿の左平次と目が合って、頭を下げる。まだ一度挨拶に行っただけだが、どこか父親に似ていて親近感が持てた。左平次が大家さんに、「おりんちゃんがお嫁に行っちまって寂しくなるかと思ったら、跡取息子ができて良かったねエ」と言われるのを聞いて、それもいいな、と思った。

 無論、名雲屋とのことが落着してからの話だが。







「そしたら、始めましょうか」

 何か考え事をしているらしい右近の注意を引くように音を立てて襖を閉めると、

 我に返ったようにまばたきをして、右近が背筋を伸ばした。

 

 羽織を取り、肩に布をかけ、

鏡を前に置き、後ろに回る。

 

 右近は話すのが面倒なのか、それとも下手に動いてはいけないと思っているのか、

 瞼を閉じ座禅でも組んでいるようにじっとしている。



 それはそれで、なんだか微笑ましい。

 そのまま何も言わず、仕事を進める。



 明るい縁側から、時折、鶯の声が聞えてくる。



 予想はしていたが、鏡の中の右近が凛々しさを増してゆく。

 総髪でいても損なわれることのなかった品の良さが、本来の輝きを放ちだす。



 髷の形を整え、前に回って出来栄えを確かめる。



 春の柔らかな陽射しを受ける、

 磁器人形(ビスクドォル)のような端整な顔。



 に、見惚れて。

 思わず。



「・・・・・・何をするか」

「あ。いけねえ。ついうっかりいつもの癖で」



 紅ひいちまった。



「何が『ついうっかり』だ!『いつもの癖』だ!!何でもいいから早く取らぬかバカもの!!!」

「え?あ、へえ、ただ今」

「・・・・・・何をするか!!!!!!」

「え?だって今、何でもいいから早く取れって」







 明るい縁側から響くのは、鶯の声ばかりでもなく。



 何はともあれ、

 めでたしめでたし。





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