明るく響く三味線や太鼓、衣擦れの音に笑い声。そこに和やかに弾む人々の声が重なり、宴の賑やかさが襖越しに伝わってくる。

 その打ち解けた空気に乗って、雀庵が何気ない口調で語りだす。

「・・・手前の馴染みの簪職人で、左平次てえ銀細工の得意な親爺がおりましてねえ。ホラ、稲垣様もご覧になったでございましょう?鈴音のあの簪」

 何を話されても聞き流すつもりだった右近だが、鈴音に関りのあることと知って顔を上げた。

 雀庵は相変わらず無造作に賽を壷に放り込むと、今度はクルクルと壷を回し始めた。壷を回すようになっただけ知恵がついたと言えば言えなくもないのだが、口を上に向けたままなので転がるふたつの賽が丸見えだ。そんなものは見ないでも勝てるが、いや、勝てるだけに、か。

 そんなことで勝負になるか、と腹が立つ。

 呆れながら雀庵を睨めば、雀庵は嬉しそうに笑いかけてきて。

「あつらえた相手に一等似合いのものをこしらえるってえのが、左平次さんの腕の良さでね。あの簪も鈴音に似合いの見事なモンでしたでしょう?」

 笑顔で語る声音は相手を心から褒めるもので、右近も素直に聞くことができた。

 確かに、

 花に舞う蝶の細工が見事だった。

そして、そんな優美な簪の似合う娘に成長した妹の姿に、感慨もひとしおだった。

「感心するのァ簪を挿した鈴音の顔かたちが映えるばっかりじゃなくッてねえ、左平次さんの心意気って言うか・・・大店(おおだな)のひとり娘に生まれたものの二親(ふたおや)をなくして吉原に身をおくことなっちまった鈴音に・・・ひとりぼっちじゃねえよ、と。蝶よ花よと大切に育てた親心を形にして残してやりたかったンじゃねえかな、と」

「大店のひとり娘に生まれ?」

 耳にした言葉が信じられず思わず声に出して繰り返すと、

 雀庵と目が合って大きく頷かれた。

 ちょっと待て。おりんは根付職人の娘に生まれ、自分という兄がいる。

 鈴音が吉原に来る前に大店のひとり娘であったと言うのなら、それは「生まれ」ではなく「引き取られ」ではないのか?

 さもなければ、鈴音があの鈴を持っていた説明がつかない。

 そう問いただそうとした自分が口を開くより先に、雀庵が話を続ける。

「左平次さんにも鈴音と同じ年頃の娘が居ましてね・・・・・・あの鈴が、おりんちゃんの鈴だってえなら、左平次さんとこのおりんちゃんが鈴音にくれてやったンだと思いやすよ」

 ちょっと待て。待ってくれ。

 混乱してきた頭の中を整理しようと雀庵から視線を外し、

その手元の壷の中を回りながら色とりどりに変る賽の目を追う。



 簪職人の左平次の娘も、おりんというのか。

 同じ名前の同じ年頃の娘がいることは、それはそれで、あることだろう。

 しかしなぜそれで、

 あの鈴が、

 鈴音のものではなく、

 簪職人の娘のものということになるのだ。

 どうして簪職人の娘が、おりんの鈴を持っているのだ。

 どこをどう回ってそんな話になるのか。おかしいではないか。

 自分が鈴の音を聞き違えたとでも言うのか。

 ありえない。

 そんなことはあるわけがない。

 あの鈴の音、

 あれは、



 ・・・・・・・・・。



 思い出せない。

そんなバカな。



 三味線、太鼓、衣擦れの音に笑い声、和やかに弾む話し声に、壷の中を転がる賽の音。



 そんな幾つもの音が入り混じって重なり合うことなど、今日に始まったことではないのに。

 どんなに耳を澄ませても、聞こえてこない。

心のうちに刻み込まれていた音も甦ってこない。



 そんなバカな。

 ありえない。



 目を閉じる。

 集中する。





 背中でぐずる妹を軽く揺らしながらあやすと、母が妹のお守りにつけた鈴が鳴る。

 チリリリリン。

 鈴の音に誘われるように桜の花びらがハラハラと舞い降りてくる。

 はしゃいだ声をあげて、妹が花びらを捕まえようと手を伸ばす。

 チリチリリン、リリリ、チリチリチリ、

 どうしても取れなくて妹が泣き出しそうになる頃には花びらの動きに目が慣れていて、いくらでも捕まえてやることが出来た。

 小さな手に零れそうなほど溜めた花びらを空いっぱいに撒き、自分で作った花吹雪を浴びてご満悦の妹は大いに笑って、からっぽになった両手を差し出すと、またここに花びらを載せてくれとせがむのだ。そして、何度も何度も繰り返す。



 チリンチリンチリン・・・



 桜吹雪に響く鈴の音、兄妹の思い出。





 ・・・・・・リリリリリン。





 思い出の中で鳴る鈴の響きを繋ぐように、

耳に届いた音にハッと目を開ける。



 それまで座敷に満ちていた全ての音と、

動きが止んで。



 壷を盆に伏せた雀庵の後ろの襖が開け放たれていて。

 ひとりの花魁が三つ指ついて頭を下げていて。

 その前の畳に、



 あの簪が揺れていた。

 

「鈴音?」



返事をしない様子に何か不安を覚えながら、更に呼びかける。



「おりん?」

「・・・・・・はい、」



 はい、という答えを聞いても、なぜか落ち着かない。

 顔を上げた鈴音が別人のように見える。



「江戸は神田の薬種問屋、武蔵屋が娘、りん。父は喜八、母はミツ」



 なんだ?何を言っているのだ??

 名前は、りん。

 そうだ、合ってる。

 しかし、

 薬種問屋?武蔵屋?喜八?ミツ?

 それはお前の養い親ではないのか??

 お前の本当の父は根付職人で名は駒吉、母の名はサト。



 そして、



「私に、兄はおりませぬ」



 戸惑う自分を毅然と見つめる鈴音の瞳に、力がこもる。



「りんは、武蔵屋がひとり娘にございます」



いやしかし、



「この鈴は」

「往生際が悪ゥござんすよ、稲垣様」



 壷を盆に伏せていた雀庵が、静かに身体を起こす。

 

「壷ン中の出目はもう、決まってますぜ」



 明るい瞳、微笑む口元。



「半か丁か、あとは開けて見るだけじゃねえですかい?」



 なにを小癪な、と思いつつ、

 言い返せない自分がいる。



「ご自分でお確かめなさいまし」



 ゆっくりと、壷を開ける雀庵。

 朱塗りの盆に、めでたく並ぶは白地に赤いピンゾロの丁。



「おりんちゃんは毎日、兄さんが来るのを待っておりやすよ―――大好きだった桜吹雪を忘れずにねえ」



言われるまでもないと立ち上がろうとして、

その広い背中の陰になっていた鈴音と目が合った。



「鈴音、」



 なぜ鈴音が嘘をついていたのかは分からないけれど、

 今ここで鈴音が本当のことを打ち明けてくれなければ、いくら雀庵が何を言っても自分は動かなかったに違いない。

 だから、



「礼を言う」



 驚いたように首を振る鈴音の前に膝をつき、もう一度言う。



「礼を言わせてくれ、鈴音」



本気でそう思っていることを伝えたくて、ちゃんと目を見て「ありがとう」と言おうとしたのだが。



「さアさ、皆チョイと右近様の門出を祝ってパアっと派手に送り出してやろうじゃないかイ」



 菊千代の気風のいいかけ声と共に鐘や太鼓が鳴り始め、

 華やかな舞い踊りの輪が鈴音をさらっていってしまった。



「善は急げ。行ってらっしゃいましな、右近様。鈴音にはまた会いにいらしたらようございますよ」



 菊千代に朗らかに促されて外に出ると、

青かった闇が少し深みを増し、満月の白さがいちだんと磨かれていた。






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